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呼び出された先は馴染みの小料理屋。
人の殆どいないカウンター席――で、そこから俺に向かって手を振っているのは薄藤色の髪の男。
馴染みの顔に軽く手を上げて応えれば、男は楽しそうに笑って自分の隣にある椅子を後ろに引いた。
「久しぶりだな」
「そうですね。かれこれ三ヶ月近く……歩き回っていたので」
「いいよなぁ~撮影旅行…。今時期は特に羨ましいぜ――って、ぅん?よく考えたら今こそ撮るもの山ほどあるだろ?」
「ハハ、確かに桜前線と一緒に北上する――というのも面白そうではあるんですが、そろそろモラトリアムも終わりかと」
「…モラトリアム、ねぇ?ここ最近、ちょくちょくお前の名前を見るんだがねぇ~」
「それは――…たまたま、ですよ。たまたま、良い縁に恵まれた――ってだけです」
モラトリアムという単語に怪訝そうな顔をする薄藤色の男に、それは――俺の写真が広告用の素材に採用されたのはたまたまだと答える――と、男はより渋い顔をした。
…まぁ、採用されておいて――誰かに認められておいて、それを「たまたま」と形容するのは確かに嫌味ったらしい話だろう。
それも尤もだが、俺としては本当にたまたま――というか、知らぬ間に誰かの目に留まっていた、という棚ぼたに近い「採用」だけに、
イマイチ実力で掴み取った仕事という認識が薄かった。
――それに、だ
「アレは使い方がよかった――から、評価されたんですよ」
「使い方、ねぇ…」
「…もちろん俺自身、あの一枚は自信をもって投稿しましたけど、意趣を汲み取って活かしてくれたのは使った人間――デザイナーの力があってのことですよ」
「……まあなぁ~…広告ばかりは、素材が良けりゃいいってモンじゃないからなぁ…」
「………そういう意味では、アレは『使い難い』と思ってたんですけどね」
「ほお」
朝日を浴びる雄大な山々――とその陰で静かに佇む湖。
…手前味噌になってしまうが、その二つを収めた写真は神秘的な美しさを持っていた――が、それと同時にどこか寂しさのような、もの悲しさを内包していた。
明るいか暗いかで区分すれば間違いなくマイナスに分類されるだろう一枚――
――だがその中にある明暗の、それらが共にあることの尊さというか、有り難さというのか……。
そんな言葉では言い表せない感覚的で抽象的な魅力を伝えたかった――という俺の意図を理解して、
それを引き出すことができるデザイナーがいた――から、俺の作品は評価されるに至った。
理解されたことも、評価されたことも、嬉しくはあった――が、何よりは驚きだった。
なにせ超感覚的、感性勝負の作品だっただけに。
「…正直、アレは師匠へ向けた私信用だったんですよ」
「師匠……修克先生か?」
「ええ。たまに俺の投稿をチェックしてくれているみたいなので、その時にでも見てもらえれば――と」
「…で?先生からのお言葉は?」
「らしい――と褒められはしたんですが、お前にはまだ早くね?――とも言われました」
「うん…まぁ尤もな評価、ではあるよなぁ」
「ええ、だから師匠も驚いてましたよ。コレを選んで使うバカがいるのか――って」
芸術性の高い写真――その一枚で完成している写真、というのは、デザイナーという職種の人間にはあまり好まれない。
そういう写真を見て、カメラマンの腕を買って撮影を依頼する――ということはあり得るが、あえて芸術性の高い写真を選ぶことは少ない。
…たまに、ネームバリューで採用されることもあるらしいが――それは、俺にはありえない。
なにせこの業界では俺は無名――…少しばかりの可能性として、師匠の名を聞きつけて、というのもあるが――。
「…フフッ」
「…なんだよ?」
「いえ、師匠に『接待してこい』と言われたのを思い出して」
「あー…うん。そーゆーパートナーは大事だもんな――…で?会った事あるのか?」
「それが一度もないんですよ。メールも『問題ありませんか?』『ありません』のやりとりだけで。
一度だけ電話で話しましたけど、出先だったのであれこれとは話し込めなくて」
「…へー」
写真を使うにあたってのアレコレは、まさか評価されることになるとは思っていなかっただけに、メールで簡潔に済ませていた。
広告が完成した時に一度だけ、デザイナー側から連絡を貰ったが、旅先で撮影をしているタイミングだったこともあってあれこれと話すことはしなかった。
最後の連絡からすでに一ヵ月以上が経過している上、そもそものやり取りが事務的なものだっただけに、今更の連絡は正直なところ少し気が引ける。
…さすがに敬遠されるようなことはないとは思うが、「仕事のため」とはいえ、顔も合わせたこともない男といきなりサシで食事というのはキツいだろう――女性が。
「――知り合い、なんですか?」
「ぁん?」
「知ってるんですよね、彼女のこと」
「、おま………っ…ホント、変なところで敏いよな…」
「ははは、チカ先輩とは良くも悪くも頻繁につるんでましたからね――で、どうなんです?」
「…おーおー知ってるよ。なーにせあの大御が自ら秘書にスカウトした逸材、だからな」
「……ぇ…あの大御さん、が――………て、ぅん?秘書??」
「そーなんだよ。秘書、なんだよ――本業は」
「…じゃあ広告デザインの仕事は……」
「秘書業と並行してやってる、宣伝活動の総合プロデュースの一環――だとさ」
「……」
薄藤色の男――大学時代の先輩である梅木雪親さんの口から語られる事実は、どれもこれもすんなりとは頭に入っていかない。
女性蔑視の激しいあの大御さんが、自身の傍に女性の秘書を自ら置いた――のも眉唾物だが、
それが件のデザイナーで、なおかつ広告デザインが「本業ではない」というのが信じられない。
…あれだけの実力を持っているなら、それだけで十分だろうに――……どういうこと、だろうか。
「…副業――ではない、んですね」
「ああ、本人曰く、どっちも全力――だとさ。
…実際すごいぜ?新人だってのに円滑に仕切って、きっちり成果も上げる――
…個人的には大御の秘書なんか辞めて、プロデュース業に専念してくれた方が世のためと思うんだがなぁ~…」
「………チカ先輩も、ずいぶん買ってるんですね」
「……ま、一緒に仕事をしたからな――…ありゃ本物だよ」
苦笑いして言う雪親さんに――滅多に他人を認めない雪親さんが認めた彼女――だけに、どうにも興味を引かれてしまう。
マルチな才能と言えば聞こえはいいが、裏を返せば器用貧乏――ということもある。
一つを選び、その他すべてを捨てて、その世界を極めようとしている――俺たちからすれば、マルチなヤツは好感を持ちにくい。
それは嫉妬か、自分へ対する不満からくる八つ当たりか――理由はそれぞれだが、プラスの感情を持つヤツはそう多くないだろう。
――…ただ、ありえない例外も居る、わけだが。
「それじゃ、顔合わせのセッティング、よろしくお願いしますね――先輩?」
「……ハッ、こーゆー時だけ後輩ヅラしやがって」
「ヒドいなぁ。日頃から尊敬する先輩として慕ってるのに」
「…じゃあー今回の撮影の土産どーしたぁ~」
「ああそれは…――ハイ」
「……………………ぅ、く………いい写真…じゃ、ねーかぁ~…!」
旅の中で撮りためた写真の中から、気に入ったものを厳選して、アナログに出力した「写真」たち――を見る雪親さんの表情はどこか悔しげ。
でもそれは、俺の腕がいいとか、雪親さんの腕が劣るとかいうハナシじゃない。
これは、単純だけどとても複雑な事情――…ま、俺に首を突っ込むつもりはないけどね。
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