月世界八十八夜(5)(終)

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月世界八十八夜(5)(終)

 五ヶ月がすぎた。また木曜日。ラジオの日は、早朝に起きてしまう。ラジオは深夜一時からオンエアなのに。  千葉は朝、目を覚ますと、今朝も無事に太陽が昇ったことを知るのだった。  あれから、どうなったのだろう?  毎日飽くことなく太陽は昇るし、夜になれば、暗い夜の帳が落ちる。  あんなに頼りなかったコトハが、必死に舞を踊っているのか?  アマテラスが踊るさまを目撃すれば、あまりの清さ豪傑さに目がつぶれるので、けっして見てはいけないと言われる、その舞を……  コトハのようなお子さまの、ちんちくりんな舞で、果たして太陽さまは目覚めるのか、安心して眠りにつけるのか。心配だ。  別の候補者が頭角を現し、舞っている可能性もある。というか、その可能性がかなり高い。  なんにせよ、もうあの神たちに関わることもないだろう。  八百万の神がいるらしいとはいえ、ただの一人の平凡な男である千葉健太郎が頼りにされるとは、はなはだおかしな話だったのだから。  またなにか大問題が起こったとしても、千葉のもとにコトハが来ることはもうなさそうだ。ラジオにメールも来なくなった。  忙しく働いている証拠であろう。  アマテラスたちはほんとうに、月世界へ旅立ったのか?  知る術はもうない。  願わくはあの神の三柱が、いじけることなく幸せに暮らしていますように。  今となってはあの出来事が本当に起こったことなのかも、わからない。  証拠はひとつもないのだ。  ラジオ番組のメールボックスには、コトハからのメールは残っているかもしれない。が、電子メールという、いくらでも身分を偽れるあやふやなものは証拠とはなり得ないだろう。  今週もラジオ局に出勤する。その前に、局のそばにある神社に寄り、また今宵のラジオの盛況を祈願する。  ちっこい神様と出会ったこの場所に、もう彼女の姿は見えないが、それでも神社にお参りするとこんなに気持ちが落ち着くのだと千葉は初めて知った。 「よし、がんばるぞ……」  千葉は半年前からダイエットを始めていた。  一週間でどれだけ体重を落としたかを生放送で報告しているため、リスナーに見守られている(見張られている)気がして、さぼれないのだ。  神様がラジオを聴いてるかもしれない。神様だけでなく妖怪も。この世ならぬ者も。彼らは寂しく、いじけているかもしれない。そう念頭に置いて、誰でも楽しめる番組を。  気持ちを新たに。 「おはようございます!」  スタジオに入った千葉は、プロデューサーから呼び止められた。  この春、番組編成が変わる。深夜の帯番組の終了という、酷な知らせだった。  ***  気持ちは一転して暗雲立ちこめ、もって行き場のない思いをドーナツや唐揚げに変えて、結果的に千葉はむしろ太ってしまった。 「ラジオが終わるなんて……そんなのってないよ……」  芸能事務所に所属しているわけでもない。テレビに出るような特技や個性があるわけでもない彼が、ラジオパーソナリティとして仕事を得ていたことが、奇跡だったのかもしれない。  半年とはいえ、続けてこられただけで御の字だと。  それでも夢が叶うともっとその先の夢を見つけるように、千葉はこれで終わってしまいたくなかった。  ラジオは公共放送だ。勝手気ままに、好きなときに放送できるネットラジオではない。ラジオ局が終わらせると決めたら終わる。リスナーの意見も、パーソナリティのやる気も問題にされない。  どうにもならないのか。  このご時世、ほかのラジオ番組に拾ってもらうことも相当むずかしい。トーク番組は風前の灯火なのだ。  おわりなのか……夢みたいな、たのしい時間は……。  千葉は神社の木陰で、そっと涙を拭いた。 「聞きましたよ。終わってしまうそうですね、ラジオ」  肩をふるわせて、顔を上げる。 「まさかあきらめたんです?」  背がちっとも高くなっていないし、格好も見覚えのある着物の、少女がとことこと後ろから歩いてきた。手には大きな扇。アマテラスから受け取った神器。  やっぱりこいつが、新しいアマテラスオオミカミ。天を照らす太陽の神。  「あきらめちゃダメです。きっと、なにか方法があります! ラジオ続けましょう。わたし、毎週聞いてるんですから、ないと困ります」 「コトハ……なんで……」 「千葉には助けてもらいましたから。それも、二度もです……お返ししなくては罰が当たります」 「お、おい、おまえになにができるんだよ……これはラジオ局の判断で、スポンサーだって降りることが決定したわけで、だから」 「きっとなんとかなりますよ。ほら見て、太陽だって昇ってますもん。気合いです、気合い!」  千葉はあっけにとられて太陽を見上げた。ていうか、今日、曇ってる。今にも一雨きそうな模様。  境内の桜のつぼみは、今か今かとふくらみ、春を待っている。 「さあ、まずは腹ごしらえですよ~」  期待を込めたまなざしで、コトハは長い袖をふりふり、元気にあげる。 「しゃれたカフェーに行きましょう!」  言うと思った。 終
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