29人が本棚に入れています
本棚に追加
オール昼間、日本(1)
「いよっしゃああああーーーーー!」
奥ゆかしい青年・千葉健太郎は、幼少期ぶりの大声を上げた。ラジオ東京第一回新人ラジオパーソナリティ大賞のグランプリを獲ったせいだ。
三十分間のオリジナルラジオ番組を放送局に送り、スタッフによる一次審査を通過した六作品の中から見事、リスナー投票で優勝した。
十二歳のみぎりから深夜ラジオにネタを投稿してきた、ハガキ職人の執念の勝利である。
この企画の優勝賞品は、記念の万年筆と、『深夜ラジオよ、グッドバイ』のパーソナリティに一日だけなれる権利――である。
月曜から土曜まで、長い間放送されてきた伝統の深夜ラジオ番組。
それが『深夜ラジオよ、グッドバイ』だ。
今年、ラジオ東京の開局95周年を記念して、素人から喋り手を募集する企画は行われた。千葉は一も二もなく飛びついた。三度の飯よりラジオが好き。将来の夢は深夜ラジオのパーソナリティになること。そのためには芸人になればいいのかアナウンサーか歌手か声優かマンガ家か、と真剣に頭を悩ませていた。
千葉市で育った彼は、大学進学を機に華々しく東京で一人暮らしをする人生設計を立てていた。が、大学受験に失敗し、就職活動でもつまずき、今は日銭を稼ぐアルバイトでけっきょく実家暮らしのまま。
現実社会でなにひとつうまくいかない千葉は、それでも毎日ネタを考えて暇さえあればラジオにメール投稿し、ラジオの声に耳を傾ける。
その時だけ、生きた心地がするのだった。
自分の生きる道はコレしかないと、二十歳にして決意していた。夢の第一歩は今夜だ。嬉しすぎてすでに千葉は武蔵野線から常磐線へと電車を乗り継ぎ、ラジオ東京の社屋の前に来てしまった。まだ太陽の恵みが頭上に輝いているのに。
打ち合わせがあるため、担当者から三時間前入りを言われている。それでも深夜一時からの放送なので、まだだいぶ時間が空いている。
早くスタジオに入れるわけでもないので、深呼吸し、その場を離れる。もし今夜の放送が大評判を呼び、絶賛の反響が鳴り止まなくなったら――レギュラーも夢じゃない。この土地に慣れておくことは必要だ。
彼は周辺の散歩をはじめた。
雨の後の山に群生したキノコほどたくさんビルがあるのに、さらに建設の足場を組んで象の鼻のようなレールが延び、新たな高層ビルが建設されつつある。映画のセットのような街をぶらぶらしていても、緊張の糸が解けない。後数ミリで鉤針が心臓に突き刺さりそうな興奮状態である。
千葉は静けさに導かれるように、ブーゲンビリアの大きな葉っぱのある垣根を通り、神社に足を踏み入れた。
左手には私立大学のキャンパスがある小さな参道を取り囲む木がひしめきあい、都会から浮き上がったような空間を作り出していた。
一本道をゆけば、小さな鳥居が千葉を出迎えた。柄杓で掬った水で手を清め、本堂へ。精一杯の気持ちを込めた五円玉。賽銭箱に投げ入れ、粛々とした気持ちで手を合わせ、なむなむと神頼みをする。
カミサマホトケサマ……
霊験あらたかな気分に浸りきった千葉の耳に、ひきつり笑いが聞こえた。
「ギャっ!」
のけぞるように三歩後退してあたりを見回すと、絵馬の飾られた掲示板のすみっこにしゃがみこんでいる、ちいさいのを見つけた。
「ヒッヒッヒッ」
真っ赤な椿の大柄の着物を着た女の子で、まだ小学生の真ん中くらいの歳だろうか。お祭りでもあったのか。かくれんぼの鬼でもしているような恰好。気になって目を離せないで居ると、急にがばっと起き上がって千葉のもとに飛び込んできた。
「たすけてくださいぃ~!」
笑っていたのではなく彼女は泣いていたのだ、ひきつけを起こすほど感情的に。
「迷子?」千葉は近くの交番に送り届けるつもりで笑いかけた。どうせラジオの時間までたっぷりと余裕がある。
ぶんぶんと首振って涙を飛ばすと、女の子は唇をハートの形にして開き、大まじめに、こう言った。
「アマテラスオオミカミ様が失踪しました。夜が来なくなります」
その女の子の言い分はこうだ。
太陽を司る神様でおなじみの天照大神(まあ名前くらいは聞いたことがある)。なぜか失踪。
彼女の扇と舞いによって太陽を昇らせたり沈ませたりしているから、アマテラスがいないと日本を夜にできない。まさかそんな地球の自然の巡廻を守る重要な役が、たったひとりの女性の手にかかっていたなんて驚きだよワイフ! ワッハッハ! ワイフいないけど思わず千葉はそう返していた。
「普通の女性というわけではありません、神様ですから」
言いつのってくるこの少女、よく見ると口の形だけでなく、二つに結ったいわゆるツインテールの曲線もハートの形になっていた。
一介のラジオパーソナリティ見習いに対処できる相手ではない、早いところお巡りさんに引き渡そうと手を引くと、強い力で振り払われた。
「気軽に神に触れていいものではありません! シッケイな!」
「はあ、そもそも君は誰なんだよ一体」
「だからわたしも神です。コトハといいます。そのう、なんというか、代理で……」
「神様ってそんないっぱいいるんだ!?」
「八百万の神というじゃないですか。日本にはたくさんの神がいます。神は細部に宿りますから。スパゲッティの神もいれば、カマキリの神も――」
「まあいいや、で、代理ってなに?」
「神のありがたいお言葉を遮らないでくださいっ!」
「与太話をそんな……それより急いでないの?」
「はっそうでした……わたしアマテラス様の代理です。アマテラス様の後継者になるべく修行をしている候補生の一人で、なぜか代表者に選出されてしまい……でもさきほど試しに、舞いを踊ってみたんですがまったく日が暮れませんでした!」
「もっと有望なのいないわけ!?」
「太陽の上昇と下降をできるのはたった一つの柱! アマテラス様だけなのです~~~、このままでは日本には夜が来なくなります~~! 一大事です!! 夜のままで朝が来ないと冷え切って日本滅亡しますけど、夜が来なくてもなにか絶対まずいですよくわからないけど~~!」
「はあ……」
とうとう本格的に泣きだしたコトハをあやすため、やむなく千葉はビルの地下にあるカフェに連れて行った。
コトハの言葉を信じるならば本日、日は暮れず、日本は夜中明るい白夜のような状態になるわけだ。そうなったら異常気象。夕方以降の番組編成は、緊急に変更されてニュースと気象の報道になるのでは。天変地異の前触れだといって、ムーの編集部とかその周辺のオカルトマニアの方々が騒ぎ出し、今夜の『グッドバイ』の放送だってあやしくなる。そもそも夜がこなければナイトではない。千葉の愛する『グッドバイ』は夜に放送してこそ輝く。ビル窓から明るい日差しを浴びながらの放送なんて嫌である。夜景を見下ろしてくだらないトークをし、素人たちの冴え渡る投稿メールやハガキを読む、それこそが……ソレこそが深夜ラジオの醍醐味ってやつだろう! それなのに! 夜が来ないのはぼくにとって死活問題! 全力でこの問題に立ち向かわねば!
……と、ここまで考えたが、夜が来ないワケないだろ、と千葉は冷静に突っ込んだ。
ネタ帳代わりにしている、『ほぼ日手帳』を取り出して、余白部分に太陽系の地図を簡単に描いてやる。
「だいたい日本だけ夜来ないとか、おかしーでしょ? 地球は丸いんだよ。太陽のまわりを公転して自転してるわけ。じゃあアジア諸国は、アメリカは、ヨーロッパは、アフリカは? どうなるんだよ、ずっと夜のところもでてくるってか?」
「え、う、うわあああ・あ・あ・あ・あ…」
ちっさい脳が容量越えを起こしてフリーズしかけたらしく、コトハは頭を抱えて震える指で、メニューのふっくらパンケーキいちごソースのせをしめした。
「ちょっといま考えますから、考えますから追加注文していいです?」
「あんた、ただ腹減ってるだけじゃねぇーか!?」
さきほどナポリタン大盛りを平らげて、ソースがついて唇がタラコになったコトハは、臆面も無く、運ばれてきたデザートも食し始めた。
その間、千葉は夜のラジオが気がかりでほとんどなにも口にできず、珈琲をかっこうつけてブラックでちびちび飲んでいた。にっがい。
「とにかくすでにアマテラス様が失踪して三十日」
「え!? そんなに? ずっと普通に朝も夜も来てたけど……?」
「夜が来ていたわけではありません。実はずうっと昼間なんです。人間たちに気づかれないように、神々の全勢力を結集して、日没時刻に合わせて太陽を幾重ものベールで覆い隠し、偽の夜を作り出していたのです。ですがそれももう、限界……体力を尽くした神々は疲労で倒れ、今夜はごまかしがききません、ゼエハア」
そんな馬鹿な……
千葉は腕組みしてここ一ヶ月の空の模様について思い返してみた。が、とくに変わった様子はない。気象庁もNASAも、異常事態についてはなんの発表もしていない。
嘘だとしても嘘をつく理由が思い当たらない。千葉は乗ったふりをして言った。
「で、具体的にどうするんだよ。解決方法は?」
千葉の今夜のトークネタは決まったようなものだった。もちろん、おかしな女の子の与太話に付き合わされたって話だ。事前に練りに練って用意していたトークネタをすべて捨てて、新しいこの話をするしかない。脳裏で組み立てていく。
「いまから舞いを練習してアマテラス様のように立派におつとめを果たすことは、奇跡を起こすか『精神と時の部屋』に入らない限り無理です」
「ねえ神ってドラゴンボール読んでるの!?」
「タカマガハラでもジャンプは大人気ですから……葦原の国(人間界)から毎週、使者によって届けられます。アマテラス様も愛読されてましたよ」
「すげーな…さっすが…」
「アマテラス様を見つけ出し、また大御神として役目を果たして頂くよう説得するしかありません!」
「でもそんなすっごい神様が本気で姿くらましたら、誰にも見つけられないんじゃ」
「いいえ見つけるしかありません……もぐもぐ、わたしは『夜の国』に行きます」
「ん? 何?」
パンケーキにのった苺を口に放り込んでもぐもぐさせながら、真顔でコトハは続ける。
「夜の国です。もぐ。アマテラス様の弟君であるツクヨミ様が統治していらっしゃる場所。お話を伺いに参ります。もぐ……タカマガハラはすでに八方尽くして捜索しましたが、いません、この葦原の国でアマテラス様が住み着きそうな、霊験あらたかな神社仏閣は大勢の捜索隊がもぐ、探している最中なので、わたしは夜の国へ参ります。ツクヨミ様ならなにか手がかりをご存知のはず、そうであるはずです、そうでなければならない」
「なんで?」
ここでミルクを一口飲むと、コトハは目の下に戸惑いを浮かべた。
「なぜなら、おふたりはとても仲がおよろしいのです」
「へーそうなんだぁ……がんばってー……って、それならこんなとこでぼくと喋ってないで早く行ってきなよ。時間ないんでしょ」
時計の針は十三時を過ぎている。もたもたしている暇はないだろう、いくら真夏とはいえ日本は日照時間が短いのである。夜七時を過ぎれば暗くなってくる。
コトハの説を真に受けるとすれば、神々は力尽きて温泉にでも行きたい気分、ぎらぎらの太陽は覆い隠せない。暗くならなければ、目に見える形で異常事態が日本全国津々浦々まで知れてしまう。
「何言ってるんですか? あなたも行くんですよ千葉、ゴクン」
「なんでだよっ!! 行かねーよ!」
思わず大声を張り上げてもう帰ってやろうと立ち上がりかけたら膝がテーブルにぶつかって悶絶していると、コトハがじっと透明な目で見つめてきた。今度はハート型の口の周りにいちごジャムがぺったりついている。
「あなただって夜と朝と昼がいつものように来なくて、このままずーっと何日も昼間が続いたら困るでしょう?」
「そりゃそうだけど!」
「恋人と良い雰囲気に持っていきたいのに日は暮れないし太陽はさんさんと照っていて夜景もなければ月明かりも星明かりもない、ほのかな間接照明でいい感じにもできず、寝るタイミングも掴めないし困るでしょう?」
「そんな局所的なとこじゃなくて、ほかにもっと困ることいっぱいあるわ!」
たしかに夜が来なくなるのは辛い。だいぶ困るわけだが、なんの証拠もないトンデモ話を信じろと言われても無理がある。
「むう……わたしを疑っているんですね?」
「神様だっていう確証も持てないし……疑うでしょ、ふつう……」
「疑ってるなら当然、夜の国の存在も信じてないってことでしょう。なら少しくらい着いてきてくれてもいいですよね? だって夜の国なんてないんですからね?」
「なんで一人で行けないの? 怖いの?」
「ぐうっ……まさかよもや怖いなんてことある訳ありませんわたしこれでもアマテラス様の後継者になるべく来る日も来る日もせっせと修行を積んできたのですから夜の国が怖くてぶっ倒れそうだなんてあるわけないじゃないでうわああああん怖いようううう」
本格的に再び涙をこぼし始めてしまった、幼い女の子。それに相対する成人男子とくれば、非があるのは明らかにこちらになってしまう。
マスターやウェイター、ほかの客、店にいる全員が千葉を薄目で見ている……。
それにしても夜の国が怖いとは、たぶんこの子が太陽の神アマテラスの候補であることと関係しているのだろう。夜の国なんて、深夜ラジオを聴いて育った、夜型人間の千葉に似合いの、星が輝く美しい国なのではないか?
千葉は自分のお人好しさに、がっくりとうなだれた。
「仕事の時間まで、なら……」
最初のコメントを投稿しよう!