オール昼間、日本(2)

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オール昼間、日本(2)

 ふたりは神社に戻っていた。どんなに猛暑の晴天でも、社の周辺はシンとした空気に緊張感が帯び、涼しげに感じるから不思議だ。まだ東京の都心でも、大いなる自然に対する敬意と畏怖を感じる心は残っている。  それで夜の国にはどうやって行くのかと問うと、やおらコトハが胸元の半折に手を突っ込んだので、千葉は反射的に目を覆い隠す。三秒後薄目を開けると、少女の手には半妖怪で半ぬいぐるみみたいな、おもちのようなふわっふわの兎が乗っていた。本物の兎の形は取っていない、デフォルメされた兎だ。 「なに?」 「彼は『因幡(いなば)の素兎(しろうさぎ)』、名前はイナバです」 「名前安易すぎない!?」  だったら最初からその兎となんやかや対話して話を進めていけよ! ぼくいらないだろ! と思ったが、イナバは「やっと外に出られたぜー、まったくおれを無視するなんて」とべらべら喋りはじめた。これは魔法少女にありがちなマスコットキャラというやつでは……。 「だっていちいちうるさいんだもん、イナバが……」 「おまえが一人じゃなんにもできないからだろぉー?」  イナバの抗議を無視し、コトハは無理やり笑みを作った。 「この子が道案内してくれますんで……」 「な、あんたって魔法少女だったの?」 「神様ですってばぁ!!」 『因幡の素兎』ってどんな話だっけ、たしか白いふわふわの毛が最終的にスプラッタな血だらけになったんじゃ…… と、千葉が嫌な予感を胸に抱いていると、心の準備を与える間もなく、コトハが扇を取り出した。 普通の扇ではない。少女の腕の長さほどもある大ぶりの扇。紫色の刺繍が施された、鳥の羽のように美しいそれを掲げて、舞い散る枯れ葉のごとく振り下ろした。すると、 「イナバ!」 「しょうがねぇな!」  呼び声に呼応するように、素兎はざあっと毛並みを逆立たせて、天空に舞う白い竜のごとく伸びをした。まさか……と目を見張る千葉の前で、素兎は身体をふうせんのごとくふくらませて二倍にも三倍にもなり、ふくよかな白い絨毯のようになった。  手綱もないのにひょいひょいと慣れた足でコトハは素兎の背中に乗り、綱のかわりに白い毛をむんずとつかんで安定を図る。 「さあ、行きますよ、千葉」 「ぼくも?」  これは一大事だった。もはや逃れられない、こんな大ネタは二度と出会えない黄金の実、禁断の果実みたいなものだ。囓らずにはいられない。ラジオで話すネタを求めて日常の中で楽しいこと・不思議なことを探すくせのついた青年にとって、恰好の遊びだった。  目をつむって開ける。やはり大きな兎がいて、ちいさな神様がいた。  えいやっと千葉もその背中に乗っかった。  ***  飛行機なんかと違って、屋根もなければ椅子もなく、爆風は吹き曝し。強風と圧力に身をさらされて、人間の身が持ち堪えられるのか。 だいたい上空というのは空気が薄くて、そして寒い。寒いなんてものではない、肌に千本の針が刺さっているように痛い。 「うぴょおおおおおお――――――」  ふだんは出ない奇声も発せられた。どこから声出てるのか自分でもよくわからない。  もう乗り物酔いというレベルではなかった。理解の大気圏を突破している。今すぐ麻酔を投与してもらって、気絶するように眠りたかった。縄でしばりつけてくれて構わないから、意識を失った方がましだ。 「がばがばばばば」  発音の自由も奪われる。わあ、と目を丸くしてコトハが驚いて首だけ振り返って見てきた。 「千葉! つかまってください!」  手が冷え切り、素兎の毛玉につかまっていられそうにない。見かねたコトハが叫んできたので、捨てられそうな恋人にすがるように必死に千葉はがばっとコトハに抱きついた。が、 「そこはさわるなああああ!」  つかまれといったからつかまったのに、理不尽にもコトハに肘裏で顎を殴られる。  当たり所が悪かった、いや良かったのか、丁度良いツボを直撃したようで、後半の飛行は幸いにも記憶がない。  もうぼく御陀仏かも知れない……と思いながら、千葉は悪寒で目が覚めた。  絵の中に飛び込んだような景色に囲まれていた。  日本の国宝である鳥獣戯画タッチの空だった。真っ暗ではなく薄曇りの夕暮れにちかちかと一番星が瞬き、満月がほんのりあかりをきざしていた。  だだっぴろい空き地の日陰に、地味な草がそこここに生えている。真っ暗闇の土地を想像していた千葉は、拍子抜けした。 「……ここが夜の国……?」 「急ぎましょう。はやくツクヨミ様を見つけましょう。長居すると葦原の国に帰れなくなります」 「ちょっと待て、重要なことをさらっと言わなかったか」   重力が増したように身体全体が少しだるい。確かに長く居たら身体がどうなるか不安だったので、無理に身を起こした。すると元のサイズに戻ったイナバは赤い目を細め、ぴょんぴょん兎らしく跳ねながら、だるそうに告げる。 「ま、黄泉の国だからな。下手したら現世に帰れない。魂がコッチに定着しないようにしっかりと気を持たないといけないぜ」  その瞬間に、千葉の背筋にミミズが十匹くらい駆け抜けるような悪寒が走った。平衡感覚が失われ、よろめく。 「黄泉の国ってなんだよ! 夜の国じゃなかったの!?」 「何言ってるんです? 黄泉の国のことを、夜の国とも表現するのですよ。日本人なのにそんなことも知らないのです? 夜の国といった方が、語感が美しいので、わたしはそう呼んでいるのです」  得意そうに胸を張って、コトハはほこらしげに頬を染めて言った。 「えっへん!」 「えっへんじゃねええええええ!!」  今すぐ赤坂に帰る! と、だだっ子のようにわめく千葉を無視し、イナバが疾風のように駆け出した。移動手段のイナバがいないと戻る手立てがひとつもない。千葉は舌打ちし、コトハと並んで、兎の尻尾を追いかけて走るしかなかった。  間もなく小屋に着いた。海岸の監視員が詰めるような、最低限の広さしかない石造りの家である。日本は木の文化なのに、なぜ石……?  災害が多くて、木の家はもう嫌になってしまったのだろうか。そもそもこの黄泉の国にも自然災害なんて起こるのか。謎が一杯で千葉は考え込んでしまった。 「ここがツクヨミ様の家のようだな」と白い兎。静電気が走るように、背の毛がびりりと逆立っている。強い力を感じているようだ。当然だが千葉はなにも感じない。 「こんなちっちゃいトコが? 月の神様の自宅なの?」 「あり得ますね。ツクヨミ様はいつも、アマテラス様という目立つ光の影に隠れて、実に謙虚なお方ですし……それに、家が広いと掃除するところが増えるだけ、収納スペースが広くても無駄なものを買ってため込んでしまうだけ、いっそ持たない暮らしを……っておっしゃってました」 「そんな、『若い頃は物欲の赴くままに消費活動しまくって派手に遊んでたけど人生の後半になって、断捨離に目覚めた人』みたいな……」  彼女の辞書には正攻法という言葉しかないのか、コトハは正面切ってドアを叩いた。 「たのもー!!」  ステンドグラスのカラフルな窓から、こぼれる明かり。誰か中に居るのは自明だったが、こつんとも音がしない。 耳をよく澄ませると……機械音のようなものが微かに聞こえる。現代人の千葉にはお馴染みの音だ。ディスクがくるくると回る機械音……。パソコンにディスクを入れたときの、ぶうーんという、処理に時間がかかっている音だ……  ダ、ダレカイル……? 「わ、びっくりした!」  そのコトハの声の方が、よほどびっくりした。   振り返ると、長い髪をだらりと垂らした、そのへんに歩いてるとは思えないようなハンサムがいた。 「ツクヨミ様!」  え、この方が……? 月の神様?  コトハが深々と頭を下げて挨拶している傍らで、千葉は目を白黒させる。  有名なアマテラスと違って、特にこれといったイメージを持っていなかったツクヨミ。が、見たところ、女性たちを次々と籠絡できそうな美貌だった。 音楽家のごとく気難しげに、眉間に皺が寄っている。演奏会で女性を興奮させ、バッタバタと卒倒させたというイケメンピアニスト、フランツ・リストのごとく。  自然も味方するのか、そよ風が吹き、夜空に流した墨のようにつるりと黒髪がなびく。ゆったりとした着物を帯で支えて、裾の奥にも長ズボンを履き、ブーツで締めている。  アマテラスの行方を尋ねると、ツクヨミは首を横に振った。しばらく会っていないという。 「ご自宅に入らないんですか」 「……いや、入るけど、おまえらがいると入りづらい」  ツクヨミは額を押さえて、大きな溜め息を一つ。そのまま座り込んで瞑想をはじめてしまった、わけがわからない。瞑想というかもう迷走だ。  こそりとコトハが耳打ちしてくる。 「怪しいです。お部屋にアマテラス様をかくまっているのでは……?」 「そうかも……」  口が硬そうで余分な交友関係を持たないツクヨミは、アマテラスが頼りだそうである。もっと下の弟、スサノオには秘密を打ち明けられそうにない。千葉には漠然としたイメージしかないが、スサノオはヤマタノオロチを退治した元気で無邪気、そしてがさつな大男だ。その奔放さでアマテラスを激怒させたエピソードがあったはずだ。 「無事に帰宅するところを、確認させて頂きます!」  コトハが両腕を広げて大声で宣言すると、やれやれと腰を上げると、ツクヨミは頭をかいた。 「参ったなぁ」 「ずばり……当てましょう、ツクヨミ様」  眼鏡をかけていないのに眼鏡をあげるしぐさを真似て、コトハは大まじめに背筋をぴんと伸ばした。 「ずばり、ツクヨミ様とアマテラス様は、デキているでしょう!」 「出来てるってなにが?」と千葉。  ツクヨミが、髪の先までも固まらせている。その間にも、千葉は律儀に与太話に付き合っていた。 「駆け落ちってこと? あのさぁ、二人は姉弟なんでしょ」 「姉弟だから、なんて関係ありません。二人は愛し合っている、世界を敵に回しても、人類が木っ端みじんに滅んでも! だから一緒に暮らしたい、役目を放棄して逃げた姉をかくまっている。これからふたりで愛の逃避行。そうですね!?」  ツクヨミがぽかんと口を開け、なにかを言う前に、「きっとそうです! そうに違いないっ!」とコトハがさっさと次の言葉を喋ってしまう。おそらく自分より何階級も上の神様に対して、なんて失礼なヤツなんだ。 「いまタカマガハラで大流行しているんです。生き別れの姉弟がひょんなことから再会して、いけないと分かりつつも惹かれあってしまうドラマが……『冬のどなた』、略して冬ドナ」 「タカマガハラって人間界からの輸入が微妙に遅れてない?」  神なのに、愛だの恋だのといった俗っぽいテレビドラマに夢中になるものなんだな、と言うと。 「人間の手が作るものは、それはもう繊細で芸術性が高くて、笑えて泣けて、ほっとしたと思ったら次の事件が起こって、いいところで『また来週』ですよ? 一週間なんて待ちきれません。素晴らしいですよ! 神々は人間をつくって良かったってみなさん思ってます!! われわれには、ドラマやマンガは作れませんもの」 「そりゃーよかったよ……」  人間の作るもの全てが、素晴らしいわけでもない。玉石混淆だし、中には核兵器だとか危険な薬物とか、石どころでなく存在しない方がよかったものも多い。が、少なくとも、人間が失敗作と思われていないだけまだ良かったと千葉は感じた。  ツクヨミは「アマテラスとは恋仲ではない」と断りを入れてから続けた。 「白状するが、実はアマテラスは私の家に篭城してしまった。てこでも出てこない。私が呼びかけても梨のつぶてだ」 「えーっ……じゃあ食事とかはどうやって……?」  千葉の素朴な問いに、夕暮れを見つめてツクヨミは月の跡をなぞるように手をかかげた。 「半地下になっている貯蔵庫に、山ほどの酒や干し肉などを貯蔵しているし、それほど困らない。第一、神は人間とは身体の構造が異なるし、三食きちんと栄養バランスを考えて食事をしなけりゃならないわけではない。ところで君は誰」 「ぼくも、自分がなぜここにいるのか定かではないんですが……早く赤坂に帰りたい……」 「通りすがりの民よ、頼む、アマテラスを外に出るように説得してほしい。私の言葉など耳を貸さないのだ」 「おーい! 神が人間に頼むんじゃないよ!」 ツクヨミは大声を受けて、愁眉を悲しそうにひそめた。日差しをよけるように目元に手をかざす。 「ああ、なんて大きな声なんだ……やめなさい、私は傷つきやすいのだ。ただでさえ、アマテラスは日本中で知らぬ者はいない有名人、それに比べ私は、名はおろか、存在すらロクに知られていない、どマイナー神様……。なぜだ、月はとても人気のある星なのに、なぜ私は無名なの? 月を冠する人物といえば日本では、私よりセーラームーンさんのほうが有名……。暗くうじうじと過ごす私についた二つ名は、ガラスハートのツクヨミさ。それ以来、きれいなガラスを集めるのが趣味になってな……でもガラスは壊れやすくて、月に一度は誤って割ってしまうんだ。そんな夜は悲しくて、だから月は満ちてもすぐに欠けていってしまう……ああ、いっそ私の存在を消してしまいたい!」 「月が欠けるのは太陽が当たる方向の関係だろ! あんたの傷つきやすさのせいだったの?」  ニヒルな笑みを浮かべ、ツクヨミは斜めに空を見上げた。 「でも、ガラスハートって二つ名は、ちょっと気に入ってる……」 「なら良いじゃねえか!」  月は太陽が反射しなくては輝かないように、ツクヨミは自ら光りを発しない。アマテラスに隠れているような神だったのだ。この分では、姉の説得などツクヨミに出来そうにない。 「わたしからもお願いします、千葉! わたしの言葉にも耳を貸さないと思いますから!」  最初から諦めるなと言いかけたが、確かにアマテラスは己の罪を自覚しているだろうし、次期の太陽神候補である小童……小娘? の説得にほだされるとは思えない。  ため息を吐き、千葉はにやけた。 「おいおい、コトハさんとやら。日本神話のなかでもとりわけ超有名な、天岩戸のエピソードを知らねえのかよ? 高卒でフリーターのぼくでも知ってるぞ」 「ふぁ? なんですかそれ?」  ほんとにコイツ神なのかい? 自分は大いなる陰謀に騙されているのでは……。  くしゃりと髪をかき、千葉は思った、さっきから腕時計もスマートフォンも、時間が止まってしまっている。こんなことしている場合じゃない。  外でわーきゃーと楽しそうにするわけさ、それでアマテラスの興味を引くんだ、と手短に説明した。なるほどと頷き、コトハはすぐに家の周辺をかけずり、舞い踊り始める。 「わ~~い、たのし~~い、きゃあきゃあ、わーわー、とっても愉快です~~~! こんな素敵なことを体験しない方がいらっしゃるなんて、同情します非常にソンですね~~~!」  ひどすぎる演技力に、思わず足払いで転ばせたい加虐心が沸いてきたが、バチが当たって不幸な事故に遭ってもまずい。見過ごした。 「ゼエハア」  体力がすぐに尽きたようで、コトハは大の字になって草原に寝転がって、そのまま睡眠に突入しそうだった。こっちの魂胆は見え見えなのでは……と千葉は気分を暗くしたが、そうも言っていられない。  夜が来ないのは困るどころか、黄泉の国から葦原の国へ帰れなくなったら、千葉の人生はおしまいだ。まだ生放送のスタジオのブースに入ってもいないうちに、死ねない。 「千葉健太郎の、深夜ラジオよ、グッドバイ!」
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