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オール昼間、日本(3)
覚悟を決めて千葉は、部屋で何百回と練習したフレーズをさけぶ。
「ズ、チャチャ、……ズ・チャチャッ!」
とテーマソングであるレゲェのリズムを口で表現してから、すぐさま彼はオープニングのフリートークに入った。
「ハーイ! ラジオの前のあなた、一週間いかがお過ごしでしたか? ぼくは初めてのラジオ番組の生放送を控えて緊張に緊張を重ね、8時間しか眠れませんでしたし、朝もスッキリ目が覚め、新聞配達のバイト中もまったく眠くなくて元気いっぱい、ご飯も喉を通りまくり、毎晩2杯もおかわりしてしまいましたー! おかげでこの通り、DEBUでーす! こんばんは、千葉健太郎です!」
――この千葉健太郎が、なぜ今回ラジオパーソナリティ大賞を獲得できたかというと。
真相は、実はラジオは今だいぶ廃れていてほとんどのラジオ局の放送がネットラジオに切り替わっており、誰でも自由に番組が出来る現在、昔ながらのラジオ放送はほとんど誰も聞いていない状態であった。聴視率は坂を転がるように減り、右肩下がり。
戦後百年が経過し、若いころラジオに親しんで育った者たちは次々と人生のカーテンを下ろしていく。テレビとネットとスマホで育った人々が社会を支える今、ラジオはもはや、壺や掛け軸と肩を並べる骨董品となっていた。
要するに――応募者が六人しかいなかった。
十代の頃からフリートークの練習を一人で熱心に続けてきた千葉は、ほかの応募者のたどたどしい喋りよりは、安定していた。これだけの理由であった。まるきり素人のトークを買うという冒険は、ラジオ局は冒さなかった。なにしろ生放送二時間の枠を一度きりとはいえ与えるのだから、放送事故は避けたい。
千葉の脳内では、窓の外の夜景の灯を見つめていた。調子よくべらべら喋る人間を傍目に、ぽつねんとコトハとツクヨミがいた。
「こやつは一人でしゃべり出して、なにをしている?」
「さあ、なんでしょう……?」
ふたりは雁首そろえて、なにもしていない。ただ首を傾げているだけだ。どうやらラジオ文化は、タカマガハラには輸入されていないらしい。
「はっ、もしかして危険ドラッグを決めてるんでしょうか? 葦原の国で流行っているそうですよ」
「なんだって!?」
ちげーーーーよっ!
外野の声は無視して(そろそろ彼らが神だということを忘却しそうだった)、千葉は懸命に喋り続けた。よく考えれば、家の外でべらべら喋っている人がいたら迷惑なだけだが、千葉にとっては愉快なトークをすること、唯一これだけが自分の武器であり誇りだった。
それに近所迷惑な人が居れば、一言、うるさいと言いたくなるのが心情というもの……。
しかし扉が開くどころか、物音ひとつしない。気配が感じられないのだ。嫌な予感がして、千葉は不意にトークを中断させた。(それでもノンストップで20分は喋っていた)咳払いして喉を調えてから、顔を上げる。
「なあコトハ」
「あのう、わたしいちおう神様ですからね千葉」
「なあコトハ」
「様をつけろよデコ助やろう!!」
「アマテラス様は寝ているか、それともヘッドホンでなにか音楽でも聴いてるか、それか死んでるかだね!」
「死ぬわけないでしょう。神様ですよ?」
「あ、神って死なないんだ……そーなのォ……」
ここまできて打つ手なし。万事休す。
ヘッドホンと自分で言ってから急に疑問がわき、千葉は太い首をかいた。
そういえば、さっきから神もテレビドラマ見たりしてるけど、電気とかって通ってるのか? タカマガハラも。黄泉の国も。
ツクヨミが指で示して告げた。
「私の部屋にはパソコンがあるが……」
「パソコンあるの? じゃあラジオは?」
「らじおとは?」
やっぱりラジオは浸透していないようだ。千葉は肩を落とす。
「いまパソコンでもスマートフォンでも、ラジオ聞けるからね!覚えておいてね!『radiko』っていうアプリ!」
はあ、と興味なさそうにつぶやき、ツクヨミは続けた。
「いつだったかアマテラスが持ち込んできたのだ。アキハバラとかいう、葦原の国の街で買ったと言っていた。やつはパソコンが気に入りらしくてな」
まてよ、なにかが引っかかる。わざわざ弟の部屋にパソコンを持ち込んで篭城するなんて……。まさか……。
そのヒントから導き出される答えは、ひとつしかなかった。
「まさかアマテラス様は……ネットゲームをやっていらっしゃるのか……?」
ネットゲーム……それは、ネトゲ中毒者を生み出し、人間を社会的に死人に、廃人に、果てには現実の死へも至らしめる危険を持つ……。(※趣味の範囲でネットゲームをしている方々には当てはまりません)
ヘッドホンをして微動だにせず、気配をナノレベルに落としてゲームの世界に埋没しており、部屋から一歩も出てこない……。駆け落ち以外では、もはやネットゲームくらいしか思いつかない。
「そういえばアマテラスは、いつもスマートフォンを歩きながら操作していたな……親指の動きが、まるでゴッドハンドのように高速だった」
「そんな神様は嫌だ……」
そもそも神だからゴッドハンドだし……歩きスマホ、ダメ絶対……ああもういいや、突っ込んでいる時間さえ惜しい。
千葉は大きく肺に息を吸い込んだ。
「おーい、アマテラス様! 外に出てください! 夜が来ないと困るんだ、ぼくのラジオが中止になってしまう!」
力の限りドアに体当たりした。待て、私の家が壊れるだろう、とツクヨミが後ろでごちゃごちゃ言い始めたが聞かなかった。
「アマテラス様!」
呼びかけながら千葉は思っていた。
きっと幸せな人は、自分の生活や人間関係に満足を感じている人は、病気になるほどネットゲームに深くはまり込んだりしないと。
そこにあるのは、さびしさなのだと。
千葉だって友達は片手に余るほど。恋人は満足にできたこともないし、現実主義の両親とは折り合いが悪いけれどお金もないので実家にいるし、自分のやりたいこととかけ離れているバイトを毎日こなすのはつらい。
でも千葉が腐らずになんとか生活できているのは、ラジオという支えがあるからだ。ラジオを聞き、メールで投稿し、採用されるときのよろこび。好きなパーソナリティがラジオを通じて自分に声を掛けてくれるときの、生きてて良かったと思う気持ち。ここにいいていいんだという思い。
それから夢。
ぼくもラジオ番組を持ちたい、誰かに声を届けたい。
夢だ。
むずかしい夢だし、かなう当てもないけれど、ラジオが千葉を助けてくれた。ラジオは何にも代えがたいとくべつな存在。
だから。
天照大神にとっての『なにか』に、出逢って欲しいと千葉は思う。
「アマテラス様、ぼくは今日、ラジオをやるんです、念願の深夜ラジオです。生放送です。夜が来なけりゃ出来ません。どうか日本を夜にしてください、アマテラス様! 夜にしてくれれば、今夜ぼくはあなたのために喋ります。ほかのリスナーは無視して、アマテラス様に番組を捧げます。アマテラス様が喜んで下さる番組を放送してみせますから!」
そんなしゃべりができる確証は、どこにもない。けれど千葉は宣言した。
すると。
扉が開いた。
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