月世界八十八夜(1)

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月世界八十八夜(1)

(時報)  千葉健太郎の、『深夜ラジオよ、グッドバイ!』 (♪~ 気だるいレゲェの音楽)  さて、今夜も始まりました。こんばんは、千葉健太郎です。 先週お話した、一日に三度もうっかり電車に乗り間違えたドジ体験について、さっそく反響のメールが届いています。紹介していきましょう――  ***  木曜深夜一時から三時の枠が一つポッカリあいたことにより、幸いにして千葉はレギュラー放送を持つことになった。念願のラジオパーソナリティになれたのだ。  とはいえラジオの仕事はこれだけだったので、アルバイトは続けながらの二足の草鞋。ついでに言うと、千葉市の実家から毎週赤坂に通っていた。一人暮らしの資金を貯めて、はやく活動拠点を東京に移したいモノである。  メールはあまりこない。やはりラジオ文化は廃れている。若者のためのラジオから、高齢者のためのラジオへとシフトしてきたのはもう三十年も前。  今の五十代~六十代前半は、若いころすでにインターネットが栄えていた世代。「テレビよりも動画サイト」を見るような人々なのだ!  ぽつりぽつりと届くメールは、すべてを紹介できるくらいに量が少ない。千葉は書いてくれたリスナーひとりひとりに向かい合って語りかけるように、心込めてメールを読んだ。  戦後百年と少しが経った今、ラジオに耳を傾けてくれている人は、ほんのひとにぎり。 けれど、だからこそ少数の人々に向かって、千葉は声を出し続ける使命があるのだ。 「ラジオネーム:ゆいいつさん。いつもありがとうございます……」  大量のネタメールからしのぎを削っているわけではないので、千葉のラジオに送られてくるネタは、のんびりとした日常系が多い。  しかし、毎週送ってくる人で、毎週かならずボツにしているのがある。ただでさえ少ないメールだ、すべて紹介したいのだが、こちらで文章を手直ししたとしても無理なのだ。  ラジオネーム:言葉の神コトハ  千葉、聞いてください、今度はツクヨミ様が姿を消してしまいました。おかげで月が死んだように光らなくなってしまいました。かれこれもう八十五日も経過します。いままでは神々の力でなんとか、月が夜空に輝いているように見せかけていますが、それも時間の問題。 力を使いすぎた彼らは疲弊し、今はふせっております。今は新月なので世間の目はごまかせていますが、これから月が出ない日が続いたら非常にヤバいです。月は愛好家も多いですし、なにより、セーラームーン様が困ってしまいますよね。決めぜりふの時に。アマテラス様をはじめ仲間の神々と手を携え、けんめいに捜索中ですが、のれんに腕押しです。なんの手応えもありません。やわらかいお豆腐です。  あんなまじめそうな方にいったいなにが……。どうしましょう、どうしましょう、どうしたらいいと思いますか?  くしゃあ、と千葉はその紙を両手でつぶして、おにぎりのようにした。 「知るかよぉ!」  パーソナリティに対して敬称ナシであいさつもない上に自分を神と自称する頭のおかしいメール、採用できないし……。  もちろん今週も、コトハのメールは不採用になった。  ***  待合室でスタッフと談笑しながら、始発を待つ。千葉の担当するラジオは木曜日の深夜一時から三時なので、終わってから電車まで時間があいてしまうのだ。タクシーチケットなどは出ないが、毎週の交通費は、ギャラに上乗せされて振り込まれているので、不満はなかった。  ビル窓からみる、東の空を明け初める朝は、なかなかオツなモノだ。  金曜日はバイトを入れていないので、千葉は自宅に戻ったら悠々と昼寝ができる。金曜は彼にとって至福のひとときだった。こころなしか、おもしろいラジオも週末にかたまっている気がする。土日関係ない仕事をしていても、金曜は心躍るモノらしい。黄金色に輝く、金曜日。 「それじゃおつかれさまでいーす」  警備員に軽く頭を下げて自動ドアをくぐると、薄暗い空に星が薄く瞬いていた。 夕暮れよりも朝焼けのほうがいいな、と千葉は思った。とくに今の季節は秋。きりりと冷たい、背筋がのびる感じがたまらなくいい。 「千葉!」 「おうううっ?」  驚いてむせてしまった。  見覚えのある、ころっとした小さな少女が、転がりもせずに道の端に座り込んでいた。  コトハ。ハートのかたちをしたツインテールと唇。大判の椿の着物、威力のない飾りのミニ扇。  こんなガキんちょでも言葉の神様だという。言葉の神って……笑うところかな? コトハは人間でいうと、トレンディドラマとマンガを愛する女子中学生くらいの語彙力しか認められないのだが……。 「で、なに。ツクヨミがいないって?」 「です、です。ていうかツクヨミ様でしょう、千葉。神様を呼び捨てとは恐れ多い!」 「あー、で、夜の国の、あの住まいからいなくなっちゃったの?」 「です!」  あいづちに「です」オンリーは、やめてほしいと千葉は思う。ぼくを「death」したいのかなと誤解してしまう。 「月がないと困ることってある?」 「へ?」  ぽかんと口をあけるコトハ。 「だからさ~……太陽はないと、人間や植物や動物、とにかく生態系に属するものすべてが生きられないんだよ。それくらい重要なワケ。神様中の神様といってもいいよ。でも月は? 月と言えば、メンヘラがやたらあこがれて、自作ポエムに頻繁に登場するアレだろ?」 「ポエムによく登場するんです? さすが月は人気者ですね~!」  ゆがんだ人気といえなくもない。実は千葉自身も、中2の頃に一時期、身の上相談するときにだけラジオ投稿のペンネームに『月影のポルカ』とかなんとかいうのを採用していた。そのペンネームは闇に葬り去ったが…… 「月っていうのは、太陽に比べればあまり信仰されてないし。一部の好事家の趣味だよ。はっきり言って自らは光らない、ただの衛星だし。なくなったところで、ぼくらの地球の生活にはなんら影響ないと思うよ。月が見えないと、まー……ちょっと寂しいくらいで。ふぁ」 「へええ……月はなんの役にも立ってないんですか」 「まあね」  役に立っていないワケではない。古来、月のあかりのおかげで夜道を歩けたり、月に思いをはせることで詩作や絵画がはかどったり、恋人たちがいい雰囲気になったりしてきたんだろう。知らないけど。  あいにく現代は、真夜中でもLEDの明かりで真昼と変わらない照明を得ることができるし、千葉の地元でさえ月がなくても夜道は明るいのだ。 「だから月がなくなっても、別にほっといて大丈夫なんだ、ふあああ…よ」 「へーそうだったんですかぁ」 「そんなワケないだろふあああ……」 「千葉が今だいじょうぶだって言ったんじゃないですか!? っていうかさっきからあくびしすぎじゃないです!? かりそめにも神様と話してるのに、失礼すぎますよっ!」 「かりそめって、やっぱおまえ神じゃなくてただのガキなんでしょ?」 「いまのは言葉の綾っ!」 「言葉の綾の表現ができるんだね~、偉いねコトハ」 「こんにゃろううう!!」  ついにコトハが腕に噛みつこうと両腕でつかんできたが、千葉はこともなく腕を持ち上げてコトハをぶらぶら揺らした。 「べつにぼくたちの生活には困らないけど、月がまったく輝かなくなればNASAやJAXAやオカルトマニアや、ムーの編集部が黙ってないんだよなぁ……」  世界中で大騒ぎが起きるだろう。しかも、なんの前触れもなく科学的理由もなく、こつぜんと月が観測できなくなったとなれば――  それに実は、月がないと困る問題が出てくるかもしれない。封印がとけて魔物が現れるとか。地球の枢軸がずれて、平行世界へ突入するとか。  月がある世界と、月がない世界……ふたつに分かたれてしまう地球……二つの世界を行き来できるのは、選ばれし主人公だけであり……って、村上春樹かよ! 「千葉、ツクヨミ様を探すのに協力してください」 「なんでぼくが!? もういいでしょ眠いんだよふぁぁ。寝かせてくれよ……徹夜明けだって言ってんのに」 「寝てていいですから! 『因幡の素兎』の上で」 「えっ……いいの?」  着物に手を突っ込み、再び真っ白い兎を取り出したコトハは、ボムと背中を雑にたたいた。DVかよ……と思うとイナバは、気持ちよさそうに伸びをして体の面積を広げる。あっというまに、ベッドというよりふかふかのじゅうたんのようになった。遠慮なく仰向けに寝転がると、イナバの呼吸によってシーツは上下し、ゆりかごみたいに気持ちいい。まぶたがだんだん垂れ下がっていく…… 「って、このままぼくを眠らせて、夜の国につれていくつもりじゃないよね?」  あわてて千葉は身を起こしてイナバに座り込んだ。疑われたことに対しコトハは、口をハートではなくダイヤの形にして憤慨した。 「夜の国には、あらかじめ行ってきましたよ。さすがに次は、お人好しの千葉も来てくれないでしょうし……」  夜の国から消えたとなれば、ツクヨミは夜の国を統治することに嫌気がさし失踪したとしか思えない。タカマガハラや葦原の国(地上、つまりここ)と比較してはかわいそうだが、夜の国は黄泉の国の別名だし、死んでいくところだし暗くて辛気くさい、だれもいきたくない。USJと対極の不人気スポットである。千葉ももう金輪際行きたくないし。 「イナバのベッドは、ほんの五分ほど横たわるだけで驚くほど疲れがとれるんですよ。だから、お疲れの千葉に使ってほしかったのに――」 「あ、そうなんだ……こころなしか、肩とまぶたが軽くなったような……」 「もういいだろ!? おれは眠いんだよ」  今度は敷き布団にされたイナバがご立腹で、千葉はあわててその真っ白なおなかからすべりおりた。が、着地を失敗して足首をひねった。ラジオが命より大事な千葉に、運動神経は皆無であった。  滑った先には、にっこり笑ったコトハが待ちかまえている。 「さあ、打ち合わせですよ千葉。この前いったおしゃれカフェーに行きましょう!」 「こんな時間にやってるわけないでしょ……」  千葉は片耳を押さえた。  始発が動き始めたばかりの早朝である。コトハは実のところツクヨミなんてどうでもよく、ただ千葉にたかって喫茶店でスイーツが食べたいだけのようだ。 「えーっ……じゃあ普通のカフェーでもいいですよ…」 「普通のカフェはやってないの。二十四時間営業なら、まあ……」  ぐるりと周辺のビル群を見回し、千葉は駅の方向にあたりを付けた。よく知るファミレスの看板を、通勤電車からよく見かけていたのである。
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