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月世界八十八夜(2)
全国チェーンのファミレスに連れて行くと、さすが都会、こんな時間でも四割の席が埋まっていた。雰囲気のある喫茶店ではない。店内を見て明らかにつまらなそうに覇気をなくしたコトハだが、テーブルにチョコレートロールケーキのバニラアイス添えが並ぶと機嫌をよくした。
「わーーい!」
とりあえずスイーツを与えておけばいいらしい。それにウェイトレスの制服もかわいいと懸命に目で追っていた。白と紺で構成されたシックな衣装。まだ若いだろうに、明け方も仕事なんてご苦労なことだ。誰にでも事情があるのだろうと、千葉は想像を膨らませる。
が、コトハにはそんな思いは露ほどもわかないようで、目をきらきらさせるばかり。
「わたしもこのカフェーでアルバイトしたいですよ。ぜったいに似合いますよね、ええ、タカマガハラの誰よりも似合いますとも」
「本題に入らないなら帰る」
「まってくださああああああああ」
ドリンクバーしか頼んでいない千葉は、からのコップを持ってコーラをついで席に戻った。するとまじめな顔でコトハがこほんと咳払いし、本題に入った。
「ツクヨミ様のことですが……」
「ツクヨミさん、自分なんていなくてもいいと思って、いなくなっちゃったんじゃない?」
「やっぱり、そうでしょうか」
「うん。さらに自信なくすことが起こったんだと思うね」
「お仕事でなにか失敗したのでしょうか……? よくある仕事のミスといえば、そう、自分のミスによる事故で同僚が植物状態になってしまい、仕事終わりに毎日見舞いにいくも、その同僚の妹に来ないでください! と冷たい目でにらまれ拒否され続け、缶コーヒーを必ず一本だけ差し入れして寂しげに帰る……妹『お兄ちゃんはあいつのせいで! あいつのせいで…!』」
「そんな仕事のミス、滅多にねえよ! あの、なに? 次は刑事ドラマにでもハマッてるの?」
コトハは日本で放送されているテレビドラマを毎日のように見ているらしく、会うたびに何かにかぶれていた。今は刑事ドラマや2時間サスペンスものにお熱のようだ。
「今度こそ駆け落ちかなあ!? と半ば期待したのですが、アマテラス様に聞いたら知らないと言われてしまいました……」
恋愛ドラマブームも継続中らしい。頭の中が忙しい奴である。
「そこでわたし考えたんですけど」
「自分で考えられるならぼくを呼ぶ必要あった?」
「ありますよおおお! あのね、千葉のラジオで呼びかければいいんです。というかメール送ったのに読んでないんです?」
「ラジオで呼びかける……? 寝言?」
「起きてますうう!」
コトハはしゃべりながら、アイスだけを掬って先に食べている。
アマテラスのために毎週ラジオを届けると約束した千葉。念願のレギュラーをもった今、リスナー全員に楽しんでもらえるよう心を砕き、声を届けている。神とはいえ、アマテラスのためだけに毎週しゃべるわけにいかない。
「あれ以来、ツクヨミ様もスマホで毎週聞いているそうですよ。千葉のラジオ。名誉なことです。誇りに思っていいですよ。で、ラジオでツクヨミ様に呼びかけて、ラジオでツクヨミ様の悩み相談を受けるというのはどうでしょう? そこで夜の国に戻るよう説得するなんて、ナイスアイデアだと思うんです。神様がリスナーなんて、聴取率もぐんぐんアップしますよ~!」
「そりゃーいいアイデアだな! なんて思うかよぉ!」
むしゃくしゃしてお腹がすいた千葉は、店員呼び出しボタンを押して、カレーライスとサラダセットを注文し、多少気を取り戻した。
「ラジオに神様が人生相談するってわけ? そんなの放送できるわけないでしょーが。月が消えてることもばれるし」
「そんなのしゃべったところで、リスナーは本気にしません。余興のお芝居だと思うはずですよ。それにいまどきラジオなんて、ほぼ誰も聴いてません」
「うるさいよ! だいたいぼくがレギュラー持ってるのは週に一回なの。あと一週間後だよ。それじゃ遅いだろ」
「今夜にでもまた生放送すればいいです。あなた芸能人なのでしょう? 日本の一大事ですし、嘆願すれば放送枠くらい」
「無理無理……ぼく芸能人じゃないし」
「ええ~っ! 千葉、芸能人じゃないんですか? ドラマ出ないんです? 俳優さんに会ったことないんですか!」
「ないよ……地元のスーパーマーケットに営業で来るお笑い芸人を、遠目でみたくらい……」
やる気メーターのゲージが半分以上下がった顔で、コトハは口を小さくした。
「あ、あのう……じゃあ来週でいいのでお願いできませんか。月の不在は、神々でどうにかごまかしますから」
「神々の神業でごまかせるんだったら、ずっとそれでもよくないか?」
「そんな他人事みたいに! たいっへんなんですよ!」
「まあ想像するに大変だろうとは思うが……」
「うう、いいアイデアだと思ったのに……」
仮にラジオから呼びかけて、ツクヨミ当人が聴いていたとしても、真正直に応じてメールや電話をしてくるわけない。それ相応の覚悟を持って家出したはず。
「ねえ、ほかに親しい人……ていうか神、いないわけ?」
「ツクヨミ様はあのとおり引きこもりタイプの御方ですし、アマテラス様以外にあまり交流が……あっ」
ふわふわのロールケーキをのどに詰まらせかけたらしいコトハは、あわてて紅茶をのどに流し込むと、緊迫の面もちで続けた。
「そうです、スサノオ様がいらっしゃいました。海の国です、海の国に参りましょう千葉」
「えー? それってどこの国? スサノオってあの、むやみにそのへんの人を殺してアマテラスをマジギレさせた弟でしょ……? いやな予感しかしないよ」
「食事が終わったらさっそくいきますよ、千葉!」
「だからなんでぼくも!?」
「月がなくなってしまってもいいんですか?」
「それは……ヤだけど」
断れなかった。
夜空の月を眺め、愛で、だんごを食べたり酒を飲んだりする情緒や風情をいいなあと思う心は、現代人である千葉も、持ち合わせているからだ。
またラジオで得意げに武勇伝を語ったところで、リスナーは誰一人信じてくれない、無謀な冒険に繰り出すことになってしまった。
人知れず、誰にも感謝されずに地球を救うなんて、ヒーローって辛い。千葉は恰幅の良いおなかをなでた。
海の国とは、どうやら葦原の国の一部らしい。島のない海にあるそうだ。そこで、「海底二万里」に出てくるような巨大海洋生物が出現したときに暴れないように監視をするお役目を、スサノオは担っているらしい。巨大海洋生物なんて、いるのか? もちろんめったにいない。人跡未踏の秘境の海、すなわち船も通れないほど荒い大海原を統治、という名目らしいが。ある意味、月を見守るツクヨミよりもひどい仕事で、失踪したくなりそうだ……なぜそんな左遷みたいなことに……?
「ま、実際のところ左遷なんですよぉ。本人はバカだから気づいてませんけど……」
「おいコトハ、言葉遣い!」
「ふぁああっいけない!」
両手でハート型の口を覆うコトハ。
千葉は自分でも十分に、言葉の神を名乗れるのでは、と一瞬考えた。が、恥ずかしくて実際には無理だった。
大海原にどうやって移動するかというと、やっぱり因幡の素兎に乗っていくしか方法はないという。
夜の国よりはまだいくらかマシ、と思ったのが大間違いだった。
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