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月世界八十八夜(3)
コトハと千葉を背に乗せたイナバは、景気よく飛んだ。あっという間に景色が湾岸になってやがて大海になった。秋の日本海は凍るような寒さで、氷の刃が肌に無数に突き刺さっているような痛みが走る。
案の定気絶し、気が付けば大海原を見下ろす、海上五メートルほどのところに浮かんでいた。地表が見えない、地平線はぜんぶ海だった。風が強く、揺れる波は高い。落ちたら元も子もない状況で、千葉はよりいっそう強く素兎の白い毛並みにしがみついた。
「スサノオ様、いらっしゃいませんねぇ……」
「まさかスサノオまで失踪してるとか、言わないよな?」
「スサノオ様だってばー!!」
「呼んだか」
じゃばあっと波がせり上がり、海面から出てきたのは海坊主のような大きなアオウミガメに乗った少年だった。
抜けるような空色の髪に、白い柔道着。瞳も濃い海の色を映したようなターコイズブルー。水を滴らせた、いかにも元気そうなヤツだった。
「へっ? なぜ、こんなところにイケメンがっ……!?」
急にガタガタとふるえ出すコトハは、葉の根が合っていない。こんな辺境の場所に、ほかのホモサピエンスが生息しているとも思えない。どう見積もっても彼がスサノオだろう。
「おいらがスサノオだけど、あんた誰」
「うっそぉ! なんて運がいいんでしょうわたしは! こんな! トレンディドラマに出てくるような美しい殿方だなんてっ!」
興奮してイナバの耳をばしばしとたたくコトハは、逆にイナバに振り落とされそうになっていたが、それでもにやにやと笑い続けていた。
「いや、ツクヨミだってそうとう美男子だったと思うんだけど……」
ツクヨミは確かに美形だが、色白で顔色が悪く、ぼそぼそしゃべりで明朗でない。その点、スサノオは健康的に焼けた肌の色で(海に住んでいれば自然そうなるだろうけど)表情も、太陽みたいに明るかった。見た目の年齢も近いし、コトハはスサノオが好みらしい。神に見た目の年齢など関係あるのか謎だが……
スサノオは髭面の剛胆なオッサンで傍若無人の豪傑、という、どこかの本に載っていたイメージをそのまま信じていた千葉は、落差にあぜんとした。
勢いよく自己紹介するコトハは、もうここに来た当初の目的を失念していそうだった。横から口を挟む。
「なあコトハ、スサノオってたしかお嫁さんいただろ? ……クシナダヒメっていう……」
千葉は記憶をたぐり寄せた。ヤマタノオロチという大蛇は、頭尾が八つある化け物で、クシナダヒメを生け贄にしようとしていた。それを颯爽とヒーローのごとく現れ、助けたのがスサノオだ。そのお礼に、スサノオはクシナダヒメを嫁にもらったという。
「えええ、ふえーっ!?」
だからなんで神なのに有名な神話のエピソードを知らないのか不可解だが、コトハは涙目になってスサノオに訴えかけていた。
「スサノオ様、お、お嫁さんいるんです!?」
「いやー実は、おいら、クシナダヒメにふられちゃって……」
「えぇ?」
今度は千葉が大声を上げた。まあ、神話と史実が違うのはよくある話なのかもしれないが……「史実」っていったいなんだろうと頭を抱える。
「酒を飲ませてぐでんぐでんに酔っぱらったヤマタノオロチの尾を裂いたら、あいつの凶暴性はなくなって、まるでおとなしく平和主義になったんだ。今まで生け贄として犠牲になってきた娘さんたちも、なんと生きたまま生還したんだよ。だからおいら、とどめはささないでおいたんだけど、なんでかなぁ~、ヤマタノオロチとクシナダヒメがいい感じに見つめあっちゃって。姫の父親は泣いて土下座して反対したんだけど、一度火がついた恋は止められないっていうか……あいつら、つきあい始めたんだよ……おいら、ぜったいいけると思ってたんだけどなぁ」
それは誘拐された少女が凶悪な誘拐犯と一緒にいるうちに情が移って惚れてしまうという、一種の錯綜状態なのではなかろうか……。
しばらく時が経てば姫も我に返るのではと思ったが、なんと、スサノオによれば何百年経った今もカップルで仲良く暮らしているという。ヤマタノオロチは、八つも頭があるため、微妙に頭ごとに性格が異なり、姫いわくいつも新鮮に過ごせるのだそうだ。なんのこっちゃだよ。
「あぁスサノオ様を振るなんて、なんて女なのでしょう!!」
とか憤慨しながらも目がぎらぎら輝いているコトハは、野獣のようにスサノオの姿を捕らえていた。待て。待て待て。
「ツクヨミはどこいったんだよ? 寒いからはやく用件すませろよ!」
「はっ! そうでした……」
***
海の上なので喫茶店に入り落ち着いてお茶を飲む、なんていうこともできない。まったく肌寒く風ふきすさぶ中で、日が落ちないうちに話を終わらせなくてはいけない。千葉は、何度目かの大きなくしゃみをする。
「ツクヨミのことは知らないなぁ、というかいなくなったことも知らない。おいら、お役目でずっとここにいるし、ツクヨミは夜の国から動けないみたいで、もうかれこれ千年くらい会ってない」
「そんなに? それはお寂しいでしょう……」
「ぜんぜんへいき。連絡は取ってるから」
といって、スサノオは柔道着の中から最新機種のスマートフォンを取り出した。やっぱり神もみんな一柱に一台、持っているようである。いったいどうやって契約し料金を払い、故障の修理をし、機種変とかしているんだろう……?
「メールしてみてもらえます!?」
「いやメールアドレスは知らないんだけど、Twitterで」
Twitterやってるのかよ、神同士で……。神だけしか入会できないたぐいのSNSとかじゃないんだね。
「ツクヨミ、いまどこ?久しぶりに会わない? ……送信っと」
どうやら仲は悪くないようだ。
横からちらりと見せてもらったところ、ツクヨミのアカウントはここ一年ほどまったくつぶやかれていない。しかも鍵つきで、フォロワーは一人しかいない(つまりスサノオ)、あとつぶやきの数が十二個だけ。
「あちゃー、これツクヨミ様見てないのでは……?」
千葉もそう思ったが、いまこれしか連絡手段がないのだから仕方ない。不安をよそに、びりっと音が鳴り、リプライが来たことを告げた。早い!
[ちょっと旅行中で……またこんどにしてくれないか]
旅行中? ツクヨミがのんきに観光旅行を楽しむような性格とは思えない。親しい者もそれほどいないようだし……千葉は眉をひそめる。
「どこにいるの?おいらも行きたい(^o^)」
とスサノオが、無邪気に返信を返したが、それ以降うんともすんとも言わなくなってしまった。
「はぁ~、また手がかりがなくなってしまいましたね……心当たりとかあります?」
「あるわけないじゃん」
「ですよねー!」
妙にうれしそうに同意するコトハを無視し、千葉はスマートフォンの画面を横からにらんでいた。ツイートの下に小さく、○○から送信、とはっきり書いてあるのだ。
「位置情報載せてるじゃねーか!」
千葉のつっこみが海原へ霧散する。いまツクヨミがいる場所がこれでわかる。と思ったら、位置情報はエラーで文字化けしていて、%%54q09u34%%と書かれていた。
ツイートの文字はしっかり書かれているのに、位置情報だけ文字化けなんてことあるんだろうか? 千葉は、明智小五郎になった気分で深い瞑想に入り込んだ。どうしたらこの怪文書を読みとけるのか……。
「どうしたんです千葉、トイレに行きたいんですか……?」
「ちがうわ!」
千葉はスサノオのスマホを借りると、ダメもとで%%54q09u34%%をコピーし、地図アプリで住所の欄に張り付けた。
検索。
画面が一瞬まっくらになり、神様のスマホを壊してしまったかと、くじけそうになる。が、そこはただ遺体の安置所のような、真っ暗で静かな場所を示しているだけと分かった。
『月面』
とあった。
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