その時間《とき》まで

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 フッと小さく笑った後、彼が口を開いた。 「自分の話を、少し聞いてもらえますか?」 「いいですよ。どうぞ!」  彼の話を促すように左手を彼に向け、こちらを見ている彼に微笑んだ。 「今日は、接待でした。得意先の会長と社長です。ちなみに二人は親子です」  小さく頷いた。接待に、疲れたのかな? 「食事の後、会長のリクエストでスナックに行きました。自分の上司の、行きつけの店です」  “スナック”か。私には、すっかり縁のない場所になった。若かりし頃は、会社の飲み会の二次会、三次会といえばスナックだった。上司や先輩に引っ張っていかれ、デュエットやチークダンスを付き合わされた。  今だったら間違いなく、“セクハラ”、“パワハラ”案件だ。  でも、決して嫌な思い出ではない。いつも上司や先輩のおごりだった。自分では頼めない、いいお料理やお酒をいただけた。お酒の飲み方というか、楽しみ方を教えてもらった気がする。  懐かしさに、少し頬が緩んだ。が、前を見たまま話していた彼の頬がピクッとひきつったように見えた。  そのスナックで、何かイヤな事でもあったのだろうか? 「そのスナックにいた女の子、二十歳のナナちゃんを、会長は気に入りました。ナナちゃんにずっと話しかけていました」  「フウ」と彼が、大きく息を吐いた。 「でもナナちゃんは、会長の相手をまともにしようとしません。なぜか自分の隣に座るし、会長にデュエットを誘われても『ナナ、そんな昔の歌、わかんな~い』ときました」  おそらく、ナナちゃんの言い方を真似て裏声で言った彼。思わず吹きそうになったが、彼の真剣な横顔に、なんとかガマンした。
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