その日から

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 ──左手に握り締めていたスマホが震えた。一瞬躊躇ってから、タップした。 「もしもし」  言葉が喉に引っ掛かったように、うまく出せなかった。 『もしもし、かあさん?』 「なっちゃん!?どうしたの?こんな時間まで、起きてるなんて……」  夏美の声に、なぜか目頭が熱くなった。ごまかすように、咎めるような声を出した。 「今ね、MITAYA(みたや)にいるの。かあさんの事、迎えにきたんだよ。びっくりした?」  私の言う事などお構いなしに、夏美は明るい声で近くにある本屋さんの名前を出した。 「えっ!?ほんとに?迎えにきてくれたの?」 『とうさんに代わるね』  自分の言いたい事が言えて満足したのか、私の質問に答える事なく夏美はダンナに、スマホを渡したようだ。 『もしもし、お疲れ!終わったよな?駅まで行けばいい?』 「あっ、うん、駅にいる。とうさん、ありがとう……」  胸が、詰まるようだった。なんとか、それだけを絞り出して言葉にした。 『おう!じゃあ、また』  いつも、必要な事しか言わないんだから。でも今日は、それがありがたかった。  ──私は、彼に会わない事を選んだ。  私が厚かましくも感じた彼の好意が、もし本当だったとしても。私は、彼の想いには応えられない。ダンナや娘達を、傷付けるような事はできない。寂しさや虚しさを感じると言いながらも、日常生活を大きく変える勇気は、私にはない。  でも、彼に会えばそんな気持ちが揺れてしまう。彼が何かを求めれば、私は応じたくなるだろう。心の中が、もっともっと彼でいっぱいになる。そんな風になるのが、怖かった。
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