3192人が本棚に入れています
本棚に追加
/169ページ
マンションのエントランスを抜けて外に出ると、暖かい春の日差しに包まれてしずくは瞬いた。
軽い足取りで桜の花弁に彩られたアスファルトを歩き出す。
「…気持ち良い」
爽やかな風に髪を梳かれる感触が、ひどく心地良い。
そのまますっかり歩き慣れた歩道を抜けると大きな通りに出た。
「…っ」
車には相変わらず身が竦んでしまう。
それでも歩みを止める事なく、しずくは駅の方面へと向かった。
いつか。
平気な顔で外を歩ける日が来るのだろうか。
そうなれるのならば、色んな所へ行ってみたい。
──その時、宗一郎さんはまだ傍に居てくれるのかな。
迷惑ばかり掛けてしまう俺の傍に──。
一人になると途端に後ろ向きになる思考に苦笑して、しずくは空を見上げた。
頬に当たる風が先程よりも冷たく感じられて手をポケットに入れる。
「…大丈夫」
おまじないのように呟いて、しずくは力強く歩を進めた。
そのまま洋菓子店に寄っていつものクッキーを買った後、足らなかったオムライスの材料を買う。
出掛けることが決まった宗一郎に帰ってから絶対に作ると言い含められた事を思い出して、少し笑ってしまった。
細々とした買い物を終えて店を出たが、まだ宗一郎が帰って来るまでには時間がある。
しずくはふとベランダにやってきた花弁を思い出して、公園へと足を向けた。
帰り道にある小さな公園には人気がなく、静かだ。
あの海辺の公園に良く似た此処は、相変わらずお気に入りの場所だった。
ぽつぽつと植えられた桜の木の中でも、一際大きなものがベンチにかかるように咲き誇っている。
しずくはベンチに腰掛け、ぐっと背を反らして桜の木を見上げた。
「綺麗…」
舞い散る花弁が強い風に踊って降り注ぐ。
青い空とのコントラストが、綺麗で少し切なかった。
──宗一郎さんと、見たかったな。
今朝は平気だと送り出したけれど、やっぱり少し寂しいのかもしれない。
普段から殆ど一緒にいる筈なのに、そんな風に思う自分に呆れてしまう。
持って来たスケッチブックを手に取り、開く。
しずくはそっと目を閉じて、真っ白なキャンバスに一つ線を描いた。
最初のコメントを投稿しよう!