1

1/1
前へ
/4ページ
次へ

1

 9月の初旬にしては、乾いた風がカサカサとアスファルトの落ち葉を舐める。どんよりと雲が垂れ込めているせいか、どこか肌寒く感じる。行楽日和だとはお世辞にも言えないが、日本最大級のテーマパークだけあって、大勢の人でごった返している。それでも、世間の夏休みの機関よりはだいぶマシなのだろうが。啓太たち一行は、アメリカ西海岸の港町を模したゾーンを、チュロスやイカのサンドウィッチを片手に歩いている。 「晴れてなくて、良かったかもな。どのアトラクションも待ち時間結構あるし。」 スマートフォンで、フックにかかった人食い鮫の模型を撮りながら、貴司が言う。鮫と一緒に取るためだけに行列ができているのを見ると、啓太は興が覚めていく感じがした。元来、啓太はこの手の超大型テーマパークがあまり好きではない。ひと昔前までは、地方の遊園地というものはまだ賑わっていて、待ち時間も長くて1時間ほど、アトラクションも絶叫コースターもあればのんびり楽しめるメリーゴーラウンドのようなものまであり、どこか懐かしいような賑やかながらも懐かしいような時間が流れていたものである。ところが、近頃は猫も杓子も大型テーマパークばかりで、大学でも啓太たちの今日いるフォックス・パークに行ったことが無い学生はほぼいない。たった五分のアトラクションに乗るために、2時間も3時間も並び、やっと乗れたと思いきや過剰に過激なライドばかりで、一層疲れてしままう。啓太たちの左手に列を作っている客たちだって、SNSにあげる写真を撮るためだけに、何分も待つ神経が信じられない。つまり、啓太は2018年を生きるにはいささか古い人間であった。写真がデジカメからすっかりスマートフォンに取って代わられ、二年前は自撮り棒が大流行したものの、今は鳴りを潜めている。そんな2018年の初秋だった。  啓太は、人の多さに辟易しながら3人の仲間たちとゆっくり進んでいった。カントリー調のレストランや射撃場は啓太の好みに合っていたが、それよりも人混みと先ほどまでの激しいアトラクションの揺れに酔っていた。貴司と涼介、それに正樹の4人は高校からの友人だった。九州の片田舎から、関西の大学まで出てきた啓太にとって、この4人は自分の故郷を自分に繋ぎとめてくれる存在だった。世の中には、大きく2種類の人間がいる。昔の状態に留まりたがる人間と、変化を求めて、過去をきれいさっぱり切り離すことができる人間と。卒業したら、地元に近いところに戻ろうと啓太は思っていた。地元の友人たちのはっきりとした物言いやコテコテの訛りが聞けないだけで、我慢ならなかった。同じ日本人のはずなのに、大学で知り合った友人たちは地元の友達とはやはり違う。啓太は、キャンパスの知人とは一定の距離間を保つようにしていたし、そんな啓太に対してもあえて他の学生は距離を詰めようとはしなかった。大学に入って4か月ほどだが、卒業して地元で働く日を心の中で数えていた。 「お前、フェイスペイントしてもらいーよ。」 「イヤやし、女子じゃあるまいし。」 「ストーリーにあげようや、そのハートのやつとか、いいっちゃないや。」 かなり激しめのアトラクションに立て続けに乗ったにも関わらず、他の三人はピンピンしている。みんなの話しているのを聞くと、楽しかった高校時代に戻ったように、リラックスできたが、体の疲労はそれでも出てしまう。啓太は早く港沿いの観光ホテルにチェックインし、熱めのシャワーを浴びてベッドに体をうずめたいという気持ちが出てきた。 「啓太、疲れとるっちゃないと?ちょっと休憩しよっか。」 フェイスペイントアーティストの並ぶスペースをはしゃぎながら、ずんずんと進んでいく涼介と正樹にはぐれまいとしながら、啓太の横を歩く貴司が声をかけてくれた。 4人の中で一番背が高く顔立ちも整っている貴司は女の子にも引く手あまたで、高校の時には気づかなかったが、都会的な風貌に似合わない訛りの強い言葉遣いは、かえってチャーミングだった。丹念に櫛の通った髪はサラサラと初秋の風にたなびいている。白シャツに黒のスウェットを重ね、シトラスのボディスプレーの香りを漂わせている貴司は、とても清潔で居心地が良かった。 「大丈夫。でもさ、もし良かったら次はアトラクションじゃなくて、デスリサイタルっていうの見たいっちゃけど。」 「おう、俺もそれ見てみたかったっちゃんね。二人に聞いてみようや。」 「あいつら、まだまだ遊び足りんそうやけどな。」 二人でクスっと笑いあう。貴司はどんなタイプの人とでも友人になれる器用なタイプだ。貴司がいなかったら、啓太はきっと正樹と涼介のテンションについていけなかっただろうと思う。 「おーい、次、アトラクションじゃなくて、音楽聞こうや。」 貴司の呼びかけに応じて、人の流れに逆らいながら、二人が啓太たちの方に向かってくる。 「何言いようとや!そんなん行きよったら、全部のアトラクション乗れんかろうが。」 「そうたい、今日は、人少ないっちゃけん、アトラクションコンプリートするばい。」 貴司はクスリと苦笑いして、二人の肩を抱く。 「啓太が休みたいっち言っとるけん、休憩がてら音楽でも聞こうや。洋楽ロックのライブがあるらしいばい。」 「洋楽なあ、俺らせっかく来たけん、アトラクションがいいな。」 「そうばい、それか、俺と正樹と絶叫系乗ってくるけん、二人で音楽聞き行ったらどうや?」 4人の間で自然と了解がとれる。啓太としても好都合だった。 「じゃあ、待ち合わせしようや。17時にハリウッド・コースターの前でどうや?」 「おっけー、俺ら乗り終わってなくても待っとってや。」 涼介は貴司と軽く手を叩き合わせると、颯爽と正樹とともにロサンゼルスシティの方向へと足を速めていった。 「せっかちやな、あいつら。どうせ俺らも同じ方向やのに。」 くしゃっと笑いながら、二人の言った方向を見つめている。啓太は、二人の行った方角を見ている貴司の横顔を見ていた。 「気分、大丈夫?」 啓太の顔色を窺いながら、貴司が声をかけてくれる。4人の中に自分が溶け込めているのは、貴司のおかげだろうと思った。涼介たちとの再会を喜ぶ気持ちもあったが、4か月も離れてしまうと、前のようにはいかない。歯車が少しずつかみ合わなくなっているのだ。それでも、啓太にとっての居場所といえるのは彼らの間だけだった。変わらないのは貴司だけだ。見目も良く、心遣いのできる貴司を女の子たちは放っておかなかったし、男子の友達からも人気だった。大学でも、たくさんの友人に囲まれているのだろう。 「ありがとう、だいぶ良くなった。」 「そっか、次のライブが15時やけん、ゆっくり行こうや。」 高校の時は良く一緒に帰ったな、と貴司がつぶやくと、そこから当然のように思い出話となった。貴司に告白してきた女の子のこと。みんなに怖がられていた体育教師のこと。たまたま電車に乗り合わせた野球選手のこと。 少しの間だけでも貴司を独り占めにできて、啓太は独りよがりな勝利感を覚えていた。誰にも言ってはいなかったが、貴司は中学の時から啓太の憧れだった。貴司はゲイでは無かったが、貴司が本当に好きだった。ただ、単なる友情とも言い難く、かといって恋愛感情でもないこの特別な愛をなんと言ったらいいのか分からなかった。 一つだけ確かなことは、啓太にとっては貴司のことが他の誰よりも大切だということだ。 「もうすぐやなー。」 ロサンゼルスシティの入り口にたどり着いた瞬間、啓太の体中の血が逆流するのを感じた。啓太が心を奪われたのは、このゾーンで最も人気のアトラクションよりも、各所に散りばめられたハリウッドの名所のレプリカだった。石畳で舗装された路上には、ハリウッドのウォークオブフェイムがほぼ完ぺきに模されている。蝋人形館も、ハリウッドスターたちの壁画も現地のものが忠実に再現されている。 「なんや、手形がそんなに面白いとや。」 「うん、ちょっとじっくり見さして。」 きょろきょろと辺りを見回す啓太を貴司は面白そうに見つめている。 啓太が愛したもののもう一つは、映画だった。中学校に入ったばかりの頃、通い詰めた図書館で雑誌「太陽」の映画女優特集を何の気なしに手にとってみた。表紙のグレタ・ガルボを見た瞬間、啓太の目はくぎ付けになった。リリアン・ギッシュ、ベッシー・ラブ、ベティ・デイヴィス、キャロル・ロンバード、ミリアム・ホプキンス、ジンジャー・ロジャース、ジュディ・ガーランド、もちろんグロリアスワンソンにマレーネディートリヒ、グレースケリー・・・・  信じられないほどの美しさだった。普段見ている現代の女優など比べ物にならぬほどの、神々しさだった。そこから、衛星放送でクラシック映画を録画し、古本屋に足を運んでは映画のパンフレットやポスターを買いあさった。そのあたりが、啓太の昔を愛する精神の土壌となった経験かもしれない。モノクロームの香りと格調高いファッション、泥臭く、人間らしいキャラクターたち、心と心のつながりが今よりもはっきりと濃く存在する古き良き時代を封印したクラシック映画にどんどんのめり込んでいった。 「啓太、そんなに映画好きやったっけ?」 他の来園者が無造作に踏みつけていくジーンハーロウの手形を食い入るように見つめている啓太の肩を、貴司が軽く触る。 「あれ、あの有名な人やないや。」 貴司の言葉ではっと我に返った。 貴司の指さす方向を見ると、白のサテンドレスに身を包んだブロンドの女優に扮したテーマパークのキャストが、来園者たちに優雅に手を振っていた。口元のほくろ、官能的なまでのふっくらとした唇、片方のヒールをわざとカットして歩く独特のウォーキングスタイル。間違いなく、20世紀最大のアイコン、マリリン・モンローだ。そして今は、トランプ大統領はメキシコに壁をつくると宣言し、二年後には東京オリンピックが予定され、世界中の人類がスマートフォンを所持している、日本では元号が変わることが決定している、そんな2018年だ。 「色っぽいなあ。」 啓太は貴司の呑気な言葉には反応せず、ただ黙ってマリリン・モンローの一挙手一投足を見ていた。 外国籍のキャストを起用しているようだ。本物のマリリンと同じく脱色して作り上げられたプラチナ・ブロンドだった。マリリンが歩くたびに、春風がふわっと巻き起こるようだ。彼女の周囲には、どこか甘ったるい香りが漂っている。今まで嗅いだことはなかったが、かの有名なシャネルの5番だと、啓太は確信を持っていた。時折投げキッスを送る彼女は、お世辞抜きでとてもかわいかった。どこから探し出してきたのかは分からないが、ほぼ完璧にマリリン・モンローを模倣していると思った。もし、本物のマリリンが町を歩いていたら、こういう風に、男に視線を送っていただろうと思えた。啓太にとってマリリンとは、古き良き時代を象徴する憧れの女性だった。 マリリンにくぎ付けになっている啓太に再び貴司が話しかける。 「なあ、あの人ってスカートめくれるやつよな。」 貴司のその認識は貴司にとって、煩わしかったが、まさに「7年目の浮気」を完全に意識したコスチュームだ。他の観客達はマリリンにスマホをかざし、ある人は一緒に撮っている。 「良かったら、ご一緒にお写真どうですか?」 パークの清掃担当と思しきキャストの人が声をかけてきた。あまりにじっと見つめていたので、写真を撮りたがっている客だと思われたのだろう。しかし、一緒に写真を撮ってくれ、と言う勇気はなかった。あまりに近寄りがたい人に思えたのだ。 「今、映画の撮影が休憩に入ったところみたいです。」 ちょっとした受け答えも、映画の街を再現するように徹底されているのだろう。それでも、写真を撮る気にはなれなかったし、貴司もどことなく気恥ずかしそうに見える。 「啓太、もうすぐ始まるばい。」 貴司がシャツの袖を引っ張る。シャネルの5番の香りが貴司の爽やかなレモンシトラスの香りにかき消され、啓太は現実へと引き戻された。 「あ、ああ。そうやな。ごめん。」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加