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2nd.contact→incident
解けない謎が、いつもある。
僕はどうして、ここにいる?
どうだろ『コギュット』、キミにわかるかい?
頭の中で住む友達に向け、羽根 可は問いかける。木漏れ日の舞う教室の席で頬杖をつき、まどろんで。
《うう、ずいぶん根元的な問題ですね……
でも、わからないとは矜持にかけても言えません。頑張って、思考しますです……えーと、むーんむむ》
相手の微笑ましい姿を想像し、可は心で舌を出す。
ごめん。正解なんかないんだよ。
キミを困らせたくってね、意地悪しただけさ。
《い~っ? なぜですか? 模範解答がないなんて、そんなの問題とは呼べませんです! ひどいズルですデキル! 極悪非道です! 無限地獄のカンジタさえ舌を巻く、マンモス鬼畜サドの諸行なんですです!》
脳ミソの内側からポカポカ叩かれているみたいな、微弱で断続的な頭痛が逆にこそばゆくて、吹き出す。
コギューは大げさだな。
あと、それをいうならカンダタね。勉強不足。
追い討ちの指摘にも反応しない。
どうやら、へそを曲げたらしい。
「れれ、からかいすぎたかなぁ……」
「デキル、朝から独り言かよ。欲求不満かー?」
弾けるような声に、顔を上げる。
いつもの雑談メンバーが、机の前に集まっていた。
話しかけてきた垂れ目の男は、乱馬 素数という。
制服の詰襟の前を全開にし、首に巻いたナプキンを垂らすという、何やら妙ちくりんな格好をしている。
「また頭の中の友達っしょどーせ?
ご主人クンは今日も、思春期爆走中っすねー」
その双子の姉である乱馬 メルは、ツインテールを左右に揺らしながら、可と弟の間に割り込んでくる。服装だけでいえば彼女はもっと奇抜で、フリル付きのカチューシャに加えて、指定のセーラー服をエプロンドレス風に改造するなど、取って付けたみたいな弟のコスプレとは趣からして違い、色々と徹底している。
乱馬姉弟は可の同級生にして、羽根家の使用人だ。曰く、日常においてもポリシーを曲げず貫いた結果が現在のスタイルだという。だが平均的な公立校である文明高校においては、どうにも浮いてしまっている。
「み、未熟ゆえ抗えぬ業。
歪なる蒼き春の肖像、そんなお年頃」
パンクロリータ風の黒い洋服を着込み、ネコミミをつけた最上川 定理が、低音でボソボソとささやく。
照れ屋の彼女は、たとえ友人相手でも面と向かって会話できないという難儀な性格の持ち主であるため、たいてい本などの遮蔽物で顔を隠す。ちなみに今日の一冊は、『新訳保健体育~明かされる♂の神秘~』。
「壮絶に妬いてまいますわ~。うちというものがありながら空想の産物としっぽりどすか~、や~らしっ」
目にも艶やかな紫の和服を纏う出流火 明日香が、蝶々の描かれた扇子を畳む勢いでピシャリと鳴らす。衆人監視の中にあってはばかりもせず、背後から可に抱きつくなり、豊満な胸を大胆にもすりよせていく。
定理は図書委員、明日香は風紀委員だというのに、彼女らに至ってはもはや制服すらも着用していない。校内の気風が緩いというよりも、フリーダムな生徒に対して、教師陣が押し負けていると表す方が正しい。
「おいこらニセモノ京女。
脂肪の塊が目障りなんだよ! 死亡させっぞ!」
頬を染めて放たれた、メルのハイキック。
その爪先に扇子を当て、文字通り紙一重でいなして見せると、明日香は鈴を転がすようにコロコロ笑う。
「まあまあ、メルはん野蛮やわぁ。そんなんゆーて、うちがリアルに死んでしもたらどないしはるーん?」
「一向に構わないんですけどっ?」
片や腹黒く、片や怒り剥き出しに微笑む。
「な、なんという殺気。色欲と暴力が交差する禁断の聖戦が始まるとでもいうのか、ふ、二人ともコワイ」
二人を遠巻きに見守り、定理はリスみたく震える。
「メルも明日香さんも落ち着いて。
僕のために争うなんて嬉しいけど困るよ」
可が目を細め、仲裁に乗り出す。
「はぁ? き、聞き捨てならないっすね! それじゃまるで自分がご主人クンのこと、意識、してるみたいじゃないすか! 自分はただメイドとして主の貞操を守ろうとしてただけで、特別、深い意味なんか……」
否定という名の肯定を、メルが全身で示せば、
「あら、やっぱりライバルどしたかぁ。
ま、うちはかましまへん。恋路を邪魔する悪い虫はきっちりばっちり、たとえ友達でもブッ潰しますえ」
明日香は溜め息をつき、懐へと手を差し込む。
「なんすか何を出すつもりっすか。
戦争なら買うっすよ! このエロテポドン!」
「そないに懐の小さいことやからおっぱいも相応しいサイズのままなんとちゃいますぅ? この嘆きの壁」
「二人とも聞いてほしいんだ。
僕はどっちの心も体も平等に愛してるよ」
一触即発の空気を塗り替えるべく、可は前に出る。
「明日香さんのおっぱいは確かに特上の霜降り牛さ。でもいくら良いものでも同じものばっか食べてたら、胃もたれするでしょ。メルのおっぱいはそう、サラダなんだよ。極薄だけど、脂で疲れた体を優しく包んで癒す必要不可欠の存在。だからこそ僕は今こそ、金子み○ずをリスペクトする。みんな違って、みん……」
「しゃからしかっ!」
メル渾身の膝蹴りが、彼の鼻っ柱に沈み込む。
「いややわ~、息を吐くよなセクハラ……
いっそ清々しいわ、惚れ直しましたぁ~」
明日香はといえば、もじもじと身をよじるばかり。
ともあれ、争いは回避した。
鼻血を垂らしながら、可はホッと胸を撫で下ろす。
「よくぞ言ったデキルよ。
お前の勇姿を、俺は決して忘れないだろうー」
定理の背中に隠れつつ、彼女の長い黒髪をいじくり回しては遊んでいた素数が、へらへらと友を讃える。
「神々の禁忌の戯れ、髪はやめて」
いやいやをする定理に軽く押し飛ばされた後、
「そうだデキル、おっぱいで思い出したけど、さっき校門のとこでスッゲェ可愛い女子と会っちゃったぜ」
唐突に神妙な表情となって、素数は言う。
「なんだって? その話、詳しく」
しばらく机に突っ伏してダウンしていた可が、水を得た魚のごとくに、シャキッと背筋を伸ばして立つ。
「よく聞け、このオープンスケベ。あの制服はたぶん名声学園高校のだなー。お嬢様なんだぜー、きっと。身長はデキルと同じくらいでさ、スタイルとかモデルレベール。俺の見立てだと、スリーサイズは上から」
そこで、赤面した定理が素数を叩き回す。
本の角を使って、こめかみあたりを重点的に狙う。
「いって! よせやめろ、なんだよ急にー」
「て、てめーは、我を怒らせた。え、えっち、ばか」
悪友系の情報通バトラーが逃げ回り、
中二病ネコミミ図書委員が追い回す。
「あーあ、アホばっかっす。もうやだこいつら」
「いやーんデキル様、他の娘に目移りせんとってー」
ツンデレ暴力メイドが呆れ果て、
ヤンデレ京都弁風紀委員がブンブン首を振る。
可の席周辺はいよいよもって混沌を極め、すっかり慣れっこな他の生徒も、また始まったと無視する女子から良いぞもっとやれと囃し立てる男子まで、反応は様々だ。可は、この馬鹿馬鹿しい日常が好きだった。
仲間と騒いでいる間だけは、理由のない苛立ちや、いつまでも胸に残る解けない疑問を全て忘れられる。ここにいて良いのだと、自分を許せる。おこがましいとは思うが、できるなら自分がこの場所を守りたい。
羽根 可は、そんなふうに、ぼんやり考えていた。
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