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可は視線を動かして、屍の山に埋もれた、真っ赤な着物姿の日本人形みたいな女友達の亡骸を見下ろす。
「ごめん明日香さん。みんなごめんよ」
「弱く醜い者達です。
戦う術のない人間は惨めですね」
吹きさらしとなった教室に清涼な外気が流れ込み、たちこめる硝煙を晴らしてゆく中、九郎原 真姫亜は先程までと1ミリも変化のない彫刻像めいた無表情をその美貌に貼り付け、教卓の前で静かに佇んでいる。
「ご理解いただけたでしょう。
ロギゲームは開始されました。あなたが要求を聞き入れてさえいれば、回避できていたはずの事態です。次は乱馬 メルと最上川 定理を捕らえて、目の前でなぶり殺します。次は親類、最終的にあなた自身を」
彼女の周囲に、今しがた窓を破って飛び移ってきた私兵と思しき男達が続々集まり、恭しくひざまずく。全員が屈強な肉体に防弾ジャケットを着込み、肩には軽機関銃を下げ、ガスマスクで素顔まで隠していた。
「誘導してるね。キミのはそういうロジックか」
可は虚ろな瞳のまま、乾いた笑顔へと転じる。
「強迫観念をねじり込んで、心の隙を作る。
そこに付け入って洗脳する、ってわけかい。でも、回りくどいうえに雑なやり方だね。見せしめのつもりだろうけど、まとめて殺しちゃ人質の無駄遣いだし、ひとりずつの方が揺さぶりとして効果的だと思うな」
大袈裟に肩をすくめる、芝居がかった仕草。映画の内容を解説しているみたいに、わざとらしい口ぶり。
異常なまでの切り替えの早さである。
その不謹慎さに真姫亜は、眉をひそめた。
「何も感じていないのですか?
虚勢を張っているだけですか?」
「僕が恐怖を感じないって言ったら、信じる?」
「は?」
「自分で言うのも恥ずかしいけど僕はね、まともじゃないのさ。とっくに壊れてるんだよ、2年ほど前に」
※ ※ ※
再び、理科準備室。
爛々と光っていた渡の瞳孔は、戸惑いで揺らめく。鋭利なガラスの切っ先がメルに届こうかという寸前、彼女の右足が垂直に近い角度までバネ仕掛けのごとく跳ね上がって、得物を握る手を蹴り飛ばしたからだ。
宙に舞い、放物線を描いて落下してゆくフラスコ。メルは跳躍して、それを掴んで逆手へと持ちかえる。そして重力を味方につけて、全体重ごと突きおろす。上方を向いたまま硬直している、渡の顔面めがけて。
「つがるふぃっしゃあああっ!!」
想像だにしない反撃に、教師はもんどりうつ。
「あぁ……やった……やっちゃった。
どうしよ、日本じゃ絶対しないって誓ってたのに」
返り血のシャワーを浴びて、メルは振り向く。
「定理! み、見てたよねっ?
こいつ、私を刺そうとした。
殺そうと、してた!
だからこれ……正当防衛……だよね、ねっ?」
腰を抜かした定理は震えながら、何度も頷く。
「うん、だいじょぶ。誰にも言わな、ひっ」
この時、大粒の涙を溜めた目が、蠢く影を捉える。
「メル! そこ、後ろ!」
渡は上半身だけを起こして、顔面に刺さった凶器を今すぐ取り除きたいのか、しゃにむにもがいていた。刃が引き抜かれてゆくに連れて、串刺しの目玉が血の糸を引いて盛り上がり、ついには、眼窩を脱出する。
「うわああああああああっ!」
おぞましい光景に取り乱したメルは踵を振り上げ、フラスコの取っ手部分に対して思いきり叩きおろす。結果としてガラスの刃は先程よりも深く打ち込まれ、しがみつく渡の意識を今度こそ彼岸へと吹き飛ばす。
「ちゃんと死になさいよぉぉぉぉっっ!!」
痙攣するだけの肉塊と化した相手に、何度も何度も踵を叩き込むメル。やがて、ピクリとも動かなくなるのを確認すると、ようやく落ち着いた。溢れ出す汗も拭わず、酸素を求めて、貪るような呼吸を繰り返す。
「定理、立てるっすか? とりあえず、もどっ」
いつもの口調に戻っての台詞は、尻切れを起こす。定理が座り込む地点にいつしか出来ていた、小規模な水溜まりに気付いたのだ。か弱い図書委員は、失禁を恥じる余裕すらなくしてか、ひたすら泣きじゃくる。
メルは友に近寄って、スカートと下着を脱がせる。拭くものを探し求めたが、適当なものが見当たらず、仕方なくポケットから抜き取ったハンカチでもって、びしょ濡れの足や下腹部をまんべんなく拭っていく。
「んっメル……だめ、あっ……」
「いいっすよこんなハンカチ。
どうせ5万くらいっすから」
「ごまっ!」
「嘘っすよ」
程度の低いジョークは、定理を安心させるためのみならず、自分自身の緊張を緩ませるためでもあった。しかしメルは、しょせん気休めは気休めでしかないということを次の瞬間、痛烈に思い知らされてしまう。
教室の方角から、無数の破裂音が重なって轟いた。
「ひっ。な、なに今の音」
小動物じみてうろたえる定理と違って、その正体が銃声であると即座に察知できたメルは、顔を上げる。
「ちょっと行ってくるっすわ。
定理はできるだけ安全な場所に」
言葉を切って、迷う。学校で何が起きたのか不明である以上、今の定理を一人にするのは得策ではない。
思い立ち、おもむろにパンツを脱ぐ。
戸惑う定理にそれをはかせて、
「やっぱいっしょに来てくれる?」
友の肩を両手で優しくさすり、微笑んだ。
※ ※ ※
かつての乱馬姉弟は、双子の傭兵だった。
同じく傭兵であった両親と共に、中東の紛争地域を中心として様々な勢力に与して、各地を渡り歩いた。
だがそれも、2年前までの話だ。
エイダス侵攻による混乱で両親を喪った双子は話し合い、家族で守り続けてきた看板を降ろすと決める。
勝ち目のない戦いに人類は抵抗の気力を失い、当然仕事は激減し、双子は食事にも事欠く有り様だった。
双子は潔く諦めて別の道を模索したが、多くの人が経験する日常生活の常識から少しばかりズレた場所にいた者達にとって、再就職は困難を極めた。どれだけ戦闘技術を磨こうと、宇宙人が統べる戦争のない世界では、強盗ぐらいにしか役立たない。そんな時、ある変人が、路頭に迷う2名を使用人として雇い入れる。
男の名は羽根 狩人。
現在の内閣総理大臣であり、可の父親である。
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