2nd.contact→incident

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 ※    ※    ※  首相私邸に帰った(できる)は、文明高校事件のニュースで騒ぎ立てる使用人達に囲まれて質問攻めを受けたが、 「そんな事件あったなんて知らなかったな。  今日は早退してマックでサボってたから、僕」  と適当に答えてすぐさま自室にこもった。  独りきりでいるには持て余すほど広すぎる空間で、広すぎるベッドに沈み込み、少年は重い瞼を閉ざす。  総理大臣の子。このレッテルが疎ましかった。  そもそも父は選挙で当選しただけの人間であって、王様でもなければ特別なエリートでもなんでもない。しかも現在の与党・自明党の先代総帥であった祖父のコネによる、明らかな出来レースの結果にすぎない。  その息子というだけの理由で色眼鏡で見られ続け、周囲から腫れ物扱いされるのには、うんざりだった。特技もなく、凡夫を地で行く可にすれば、お前の存在価値など父親だけだと言われているのと同じだった。  そして、ある日を境に彼のレッテルは更新される。国民を敵に売った、裏切り総理(・・・・・)の子、というふうに。  忌まわしきエイダス襲来の日、アメリカをはじめとした連合加盟国が続々と武器をとって立ち上がる中、日本の羽根 狩人首相だけが何を思ってか、真っ先に先方の降伏勧告を受諾して支配下に下ったのである。  それまでに向けられていた視線の意味は逆転して、可の存在はたちまち、怒りや蔑みの的となっていく。  10月18日、のちに『血のフラワープ記念日』と称される暴動を、タカ派団体の構成員が引き起こす。  首相私邸に雪崩れ込んできた武装集団は、当時中学2年の可の前で、SPや使用人を次々と撃ち殺した。血みどろの部屋の中、ついに可自身にも銃口が向き、あわやという場面で庇いに入ったのは、母・流音(るね)だ。  全てが終わる頃、可の心は変質していた。  欠け落ちた感情の隙間に、疑問が根付く。  大切な母が身を投げ打ち、家族を持つ大勢の人々が犠牲となってまで、どうして自分は生き延びたのか。人生の目的もなく、存在意義すら見いだせないようなつまらない人間が、どうして生き長らえているのか。  僕はどうして、ここにいるのか。この解けない疑問こそが、今の羽根 可の人格を構成する全てだった。  ※    ※    ※  いつしか可は深い眠りに落ちていた。  奇妙な世界にいる自分を、ぼんやり自覚する。  砂利で埋め尽くされた地面に岩や丸太が配置され、水中でないにもかかわらず水草が随所に生えて漂う。見渡せば、四方は巨大なガラスの壁に囲まれており、アクアリウムめいた閉鎖空間の内部なのだとわかる。 「頭蓋領域か。何か用かい? コギュー!」  声を張り上げて呼ぶと、天上で弾けたまばゆい光が人の輪郭を形作って、ふわりふわり舞い降りてきた。 《今のデキルは(いちじる)しく消耗してますの。  メンタルケアが必要と判断しましたです》  顔面の右半分を、深海の貝類・スケーリーフットを彷彿とさせる黒い貝殻の仮面で覆う、華奢な少女だ。淡い(みどり)の長い髪を踊らせて、鉄色の(うろこ)とレースが織り成すドレスを身に纏う姿は、幻のように儚く美しい。 「またまたそんなこと言っちゃってさ。  コギューの方が怖くて眠れないとかじゃないの?」  さっそくからかう可だが、目の前に着地した彼女は恒例の大袈裟なリアクションを起こしてはくれない。仮面で隠されていない左半分の、透き通らんばかりに白い頬が(ほの)かに紅潮して、空色の左目が潤んでいる。 「どしたの? 真面目モード似合わないね?  いぃ~っとか、ふぇ~っとか言いなよ、こぎゅっ」  薄く柔らかなコギューの唇が、可の唇を塞ぐ。  鼻の先をぶつけ合ってしまう、ぎこちない口づけ。 「やめてよ」  夢見心地に落ちかけた可は我に帰り、コギューの、ドレスから剥き出しの艶やかな肩を掴んで引き離す。  傷付けてしまわぬよう、できるだけ、優しい力で。 《あっあのっ、ヒトオスが喜ぶような行為をですね、デキルの記憶から検索かけてみたんですっ。それで、その……なっ、なにかまちがいでも? もしかして、イヤだった? 不快になっちゃったです、か……?》  真っ赤に茹で上がって、あたふたしたかと思えば、不安そうにうつむいたりと忙しいコギューであった。 「イヤじゃない。むしろ嬉しいけどさ。  こういうことは無理してするもんじゃないよ」 《むっむっ無理じゃないです! デキルはワタクシのだいじな栄養源ですし! 元気になってもらわなきゃ困るんですの! だっだからもっと他の別のアレでもいいし……あっ、えとえ~と……ほら……あのぅ……》  もじもじと太ももを揺する、人間臭い仕草をして、熱っぽい眼差しで上目使いに、宿主の顔を見つめる。 《デキルの、好きなこと。いつも本で読んでるようなこととか……なんでも、してっ、いいですよっ……?》 「まって。人間には理性ってものがあるの。  弱ってるからって女に手を出すのは鬼畜の所業さ。それこそ無限地獄のカンジタでさえ舌を巻くほどね」 《それを言うならカンダタですの!  まちがえたです♪ デキルは下等生物ですね~♪》  ふたりきりの空間で、無邪気に笑い合う。  ひとしきりふざけたあとでコギューがふと切なげに瞼を伏せた瞬間、可はギクリと硬直して肩を揺らす。普段通りの調子を装っても、相手は自分と心で繋がる存在だ。空元気など、既に見透かされていたらしい。 《ワタクシ、デキルのことがすきです。  あまいの(・・・・)くれるし、かわいがってくれるから。でもすきだからこそ、ときどきすっごく心配になるです》 「お、次はマンガで勉強したセリフかな?」 《むー! 乙女の告白を茶化すなんて!  冷酷無比です! ゲスの2乗の極みですですっ!》  恥じらいのパンチを見舞われ、可はふらつく。 《とにかく、いいです? デキルは、敵だらけです。あの裏切り者のヒトオスみたいなのがどこにいるかもわからない今、身近な奴らは絶対に信用できません。片っ端から侵略して、洗脳しておくなのべきです!》  言い聞かされ、不思議と思い浮かぶのは今日の惨劇ではなく、今日までの楽しかった友人達との思い出。 《デキルをいじめるデキルじゃない他のニンゲンどもなんか、みんなみんな大きらいです! 戦うのはまだ怖いけど、あなたを守るためならワタクシいくらでも残酷になれるからっ! だから、だからっ……う~》  長いまつげの隙間から、真珠みたいな涙をポロポロ溢してわめくコギューに対して、可は背中を向ける。 「ありがと。でもごめん。  それでも僕は人を信じるよ。だってさ……」  信じなければ会えなかった。  信じなければ笑えなかった。  ※    ※    ※  中学2年生の頃を思い出す。血のフラワープ記念日から約2ヶ月半を経て、最も心が荒んでいた時期だ。 「おいこらお前だよお前。ちょい聞いていい?」 「……何さ。急に話しかけないでくれるかな。  お前お前って何度も、馴れ馴れしいんだけど」  にやけ顔の同級生に廊下で呼び止められて、驚いた可は無意識に、つっけんどんな態度で応じてしまう。 「いや、あのな……さっき階段のとこでだよ。  うちの姉ちゃんのぱんつ、見てただろ?」  心臓が、跳ねる。見てたのではなく、見()たのだ。階段をのぼっていたら偶然、少女が上段にいただけ。これをいいネタとして、ゆすりたかりに持ち込むハラづもりではないかと、警戒心を露にして相手を睨む。  そうしていると返ってきたのは、 「気に入った!」  予想だにしない反応だった。 「それほどのスケベの素質、ムッツリのまんま眠らせとくのはもったいねー。どうせならオープンにしてく方が気持ちいーぜ、やるほうもやられるほうも。いやでも、犯罪にならん程度に解き放つようにしろよな」  ポンと肩を叩かれ、サムズアップを送られる。 「いや、お前教室じゃずーっとひとりでいるし誰とも話さないじゃん? だからまーよくわからんやつかと思ってたけどさ、まさか仲間だったとはな! よーし友達になろう、エロの真髄ってのを伝授してやんよ」  勝手に話を進められ、強引に手を引かれる。しかしなぜだか心地よく、抵抗しようという気になれない。 「あとお前もっと笑えよな。そこら探せばいくらでも楽しいことあんだから。ほい、こいつは名刺がわり」  そいつが満面の笑顔で懐から取り出したのは、可にとって初めて見る、『エロ本』というものであった。 「乱馬 素数(もとかず)だ! そすう(・・・)じゃないぜ!  俺はどんな数でも割り切れるナイスガイだかんな」 「意味わかんないよ」  その時、可は本当に久しぶりに、少し笑った。  ※    ※    ※  しとしとと雨が降り始める。  可とコギューの心象風景でもある頭蓋領域に。 「人から貰う優しさも信頼も大切にしたい。  だから洗脳はしたくない……でもね、コギュー」  うつむきながら黙って聞いていた、コギューの方を振り向くと、びしょ濡れの微笑みを見せて可は言う。 「あの女だけは許せない」  少年の裏側の奥で、無機質な鬼が(おもて)を上げた。  No.2 & No.9 entry!
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