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真夜中に髪を切る。
日絵は無表情で見下ろす。風呂場のタイルに次々と落ちて折り重なってゆく、忌まわしい猫っ毛の束を。
愚かな憧れ達が、足元で死んでいる。
呆けながら鏡に目をやると、一糸纏わぬ肌に点々と青アザを散りばめたチビ女が映り込んでおり、驚く。
誰だ、これは?
長かった髪は、すっかり短くなっていた。無造作に切り散らかされた醜いちぢれ毛、まるで猿のそれだ。
猿、猿、猿猿サル猿サル猿さる。
なんだこいつ、誰かと思えば、私じゃないか。
「あっは? く、はは……ひっ!
うぐ……ふひひっ、ふひゃははハハハハッ!」
狂った哄笑が響き、浴室の壁やタイルに染み込む。ハサミを持つ方と反対の手は、丸眼鏡を握っていた。父が出ていく時に、残していった品だ。それをかけてから、改めて鏡を覗けば、自分の姿がぼやけていた。
こいつはいい、なんとも滑稽ではないか。
私自身も、私以外も、全部こうして歪んでしまえ。ハナから、まともに映らなければ、気にもならない。
これでもう見たくないものも、見ないで済む。
簡単な事実に今さら気付いた自分が、どうしようもなくおかしくなって、日絵はいつまでも笑い続けた。
なかよしだったふたりは、もう、どこにもいない。
※ ※ ※
《いいかげん起きぬか、ヒトメス。
たださえ乏しい脳細胞が、余計にとろけるぞ》
ザラトの声で覚醒した日絵は、緩慢に首を起こす。昨晩から地下室にてネットゲームに没頭するうちに、デスクに突っ伏す格好で眠ってしまっていたらしい。寝ぼけまなこをこすり、イスにもたれて軽くえづく。
最悪の目覚めだわ。
違和感を感じて右を見やると、右腕が伸びている。粘土か飴細工じみて骨格を無視した形状へと変貌し、手首の先は膨張して、ザラトの全身を形成している。わざわざ実体化してまで、何かと思えば、遊んでた。
《うりゃ死ね! どりゃ死ね!
いま必殺の! 名古屋撃ちィ!》
長髪で馬面でタキシード姿の壮年紳士が声をあげ、一喜一憂しながらかじりついているゲームの筐体は、1978年に登場して一世を風靡した金字塔的作品、もはや伝説とされているスペース・インベーダーだ。
「まだやってんの? 宇宙人殺すゲームよそれ」
《広義では貴様とて宇宙人であろうよ。
細かいこと……ってヨソ見してたら死んだ!》
そのうちにコインが切れ、スタート画面へと戻った筐体をしばらく見つめてから、ザラトは宿主を睨む。
《……しかし合点がいった。ああいうわけか。
乗り気でなかった貴様が、ゲームに介入したのは》
日絵の頬が、かっと赤らむ。
「私の記憶、覗いたわね?
こっこの、変態カニ野郎!」
怒りに任せ、自らの右腕の皮膚をつねる。
鋭い痛みは、腕と繋がったザラトの背中にも伝う。
《痛~い! よさぬか馬鹿ァ!
覗いとらんし! 勝手に流れ込んできたの!》
洗脳された者(日絵はこれを畜人と名付けた)は、ソピストの末端細胞として操作され、感覚も繋がる。つまり日絵は畜人の目と耳を通じて、No.2対No.9の、ロギゲームをリアルタイムで観戦したというわけだ。
かつて姉と慕った人物との、奇妙な再会であった。
《どんな形であれ貴様は参加した!
この意味、理解しておろうな!》
「シャラーップ!
不公平でしょ、あんたの頭ん中も見せなさいよ!」
歯軋りする日絵を、ザラトは、冷たい視線で刺す。
《狙われるぞ、貴様。
お楽しみの洗脳生活には、戻れんと思え》
「はっ、何が来ようと返り討ちよ。
私はもう、昔みたいな弱虫とは違うもの」
気を取り直して、パソコン画面に戻った。
真姫亜を殴った三蔵の手の感触が、鈍く甦る。
自分でも軽はずみだと思う。
ただ、無性に気にくわなかった。
大言ならべてイイ気になってる、あの女のツラが。
だからぶちかましてやったのだ。
「あ~思い出すだけでムカつくわ!
あんな誇大妄想オタクに成り下がってたとはね!」
思わず毒づき、苛立ち紛れにデスクを蹴りつけた。自業自得で爪先が痛み、ザラトと一緒に涙目となる。
《また痛い! 自分の体と我輩を大切にしろォ!
昔はメチャ可愛かったのにお父さん悲しいぞォ!》
コインを再び投入してゲームに戻ろうとしている、やけに俗っぽいオッサン宇宙人が、牙を剥いて騒ぐ。日絵はソイツの広い背中にタックルをかましてやり、もつれ合いのケンカの火蓋を、ここに切って落とす。
「あんたに育てられた覚えはないわよ~!」
《ヒトメスめ、また邪魔しくさって許さん!
見るがよい、紳士流かにボクシングの妙技ぃ~!》
ぼこすかボコスカぼこすかボコスカぼこすか。
やがて両者は、不毛な争いに気付く。
コンクリートの床で寝転がり、体温を冷ます。
《ハァハァ……やるではないか。『あんたもね』……》
「うっざ。声マネすんなって。
古いヤンキー風にしても友情とか生まれないから」
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