3nd.contact→indication

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 真夜中に髪を切る。  日絵は無表情で見下ろす。風呂場のタイルに次々と落ちて折り重なってゆく、忌まわしい猫っ毛の束を。  愚かな憧れ達が、足元で死んでいる。  呆けながら鏡に目をやると、一糸纏(いっしまと)わぬ肌に点々と青アザを散りばめたチビ女が映り込んでおり、驚く。  誰だ、これは?  長かった髪は、すっかり短くなっていた。無造作に切り散らかされた醜いちぢれ毛、まるで(さる)のそれだ。  猿、猿、猿猿サル猿サル猿さる。  なんだこいつ、誰かと思えば、私じゃないか。 「あっは? く、はは……ひっ!  うぐ……ふひひっ、ふひゃははハハハハッ!」  狂った哄笑が響き、浴室の壁やタイルに染み込む。ハサミを持つ方と反対の手は、丸眼鏡を握っていた。父が出ていく時に、残していった品だ。それをかけてから、改めて鏡を覗けば、自分の姿がぼやけていた。  こいつはいい、なんとも滑稽(こっけい)ではないか。  私自身も、私以外も、全部こうして歪んでしまえ。ハナから、まともに映らなければ、気にもならない。  これでもう見たくないものも、見ないで済む。  簡単な事実に今さら気付いた自分が、どうしようもなくおかしくなって、日絵はいつまでも笑い続けた。  なかよしだったふたりは、もう、どこにもいない。  ※    ※    ※ 《いいかげん起きぬか、ヒトメス。  たださえ乏しい脳細胞が、余計にとろけるぞ》  ザラトの声で覚醒した日絵は、緩慢に首を起こす。昨晩から地下室にてネットゲームに没頭するうちに、デスクに突っ伏す格好で眠ってしまっていたらしい。寝ぼけまなこをこすり、イスにもたれて軽くえづく。  最悪の目覚めだわ。  違和感を感じて右を見やると、右腕が伸びている。粘土か飴細工じみて骨格を無視した形状へと変貌し、手首の先は膨張して、ザラトの全身を形成している。わざわざ実体化してまで、何かと思えば、遊んでた。 《うりゃ死ね! どりゃ死ね!  いま必殺の! 名古屋撃ちィ!》  長髪で馬面でタキシード姿の壮年紳士が声をあげ、一喜一憂しながらかじりついているゲームの筐体は、1978年に登場して一世を風靡(ふうび)した金字塔的作品、もはや伝説とされているスペース・インベーダーだ。 「まだやってんの? 宇宙人殺すゲームよそれ」 《広義では貴様とて宇宙人であろうよ。  細かいこと……ってヨソ見してたら死んだ!》  そのうちにコインが切れ、スタート画面へと戻った筐体をしばらく見つめてから、ザラトは宿主を睨む。 《……しかし合点がいった。ああいう(・・・・)わけか。  乗り気でなかった貴様が、ゲームに介入したのは》  日絵の頬が、かっと赤らむ。 「私の記憶、覗いたわね?  こっこの、変態カニ野郎!」  怒りに任せ、自らの右腕の皮膚をつねる。  鋭い痛みは、腕と繋がったザラトの背中にも伝う。 《痛~い! よさぬか馬鹿ァ!  覗いとらんし! 勝手に流れ込んできたの!》  洗脳された者(日絵はこれを畜人(ちくじん)と名付けた)は、ソピストの末端細胞として操作され、感覚も繋がる。つまり日絵は畜人の目と耳を通じて、No.2対No.9の、ロギゲームをリアルタイムで観戦したというわけだ。  かつて姉と慕った人物との、奇妙な再会であった。 《どんな形であれ貴様は参加した!  この意味、理解しておろうな!》 「シャラーップ!  不公平でしょ、あんたの頭ん中も見せなさいよ!」  歯軋りする日絵を、ザラトは、冷たい視線で刺す。 《狙われるぞ、貴様。  お楽しみの洗脳生活には、戻れんと思え》 「はっ、何が来ようと返り討ちよ。  私はもう、昔みたいな弱虫とは違うもの」  気を取り直して、パソコン画面に戻った。  真姫亜を殴った三蔵の手の感触が、鈍く(よみがえ)る。  自分でも軽はずみだと思う。  ただ、無性に気にくわなかった。  大言(たいげん)ならべてイイ気になってる、あの女のツラが。  だからぶちかましてやったのだ。 「あ~思い出すだけでムカつくわ!  あんな誇大妄想オタクに成り下がってたとはね!」  思わず毒づき、苛立ち紛れにデスクを蹴りつけた。自業自得で爪先が痛み、ザラトと一緒に涙目となる。 《また痛い! 自分の体と我輩を大切にしろォ!  昔はメチャ可愛かったのにお父さん悲しいぞォ!》  コインを再び投入してゲームに戻ろうとしている、やけに俗っぽいオッサン宇宙人が、牙を剥いて騒ぐ。日絵はソイツの広い背中にタックルをかましてやり、もつれ合いのケンカの火蓋(ひぶた)を、ここに切って落とす。 「あんたに育てられた覚えはないわよ~!」 《ヒトメスめ、また邪魔しくさって許さん!  見るがよい、紳士流かにボクシングの妙技ぃ~!》  ぼこすかボコスカぼこすかボコスカぼこすか。  やがて両者は、不毛な争いに気付く。  コンクリートの床で寝転がり、体温を冷ます。 《ハァハァ……やるではないか。『あんたもね』……》 「うっざ。声マネすんなって。  古いヤンキー風にしても友情とか生まれないから」
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