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『文明高等学校を襲った痛ましい事件から一夜明け』
アナウンサーがTV画面で悲壮感たっぷりの演技に酔う様を、乱馬 メルは虚ろな眼差しで眺めている。
「おはようメル。起きてたんだね」
病室のドアを注意深くゆっくり開けて入った可は、激しい朝日が射しこむ窓のブラインドを閉じにいく。ベッドに横たわるメルは、陶器製の人形じみた横顔をTVに向けたままで、なんの反応も示してくれない。
乾ききった唇から、涎がひとすじ垂れている。
「ダメだよもー。女の子はちゃんとしなくちゃ」
口をハンカチで拭うも、やはり反応はしない。
時雨村病院にメルが搬送されたのは、昨日の午後。担当医の説明によると銃弾は右肺と心臓の間を貫通、不幸中の幸いというべきか脊柱は無事であるらしい。ただ胸の大血管付近が傷付き、緊急手術が行われた。
早朝に意識は回復したというが、心が閉じたまま。
「悪いと思ったけど許可なく部屋に入った。
タンス物色して着替えを持ってきちゃったよ」
可は持ってきた大きな鞄をベッド上に乗せるなり、中身のひとつを取りだして、相手の目の前でいじる。
「ほら見てキミのぱんつぱーんつ♪ こんな派手なの持ってたんだね♪ 是非ともはいてみせてほしいよ、僕の目の前でね。あっ、この際だし1枚ちょうだい。お惣菜事情がどうも切迫しててさ、助けると思って」
ツンデレメイドが息災なら、確実に命取りな発言。しかし間合いに入っても、キックが飛ぶ気配はない。
「お願いだよメル、本当に欲しいんだ。
怒ったなら殴ってよ、M属性も完備してるし」
笑みを刻む口角は、徐々に下がってゆく。
下着を弄る両手も、腰の位置まで降りていく。
《デキル、無意味な行為です。
このヒトメスの思考は、止まってるです》
頭の中のコギューが、ひどく素っ気ない声を出す。
「僕を恨んでくれたっていい。だから戻ってきてよ」
薄々と理解はできていた、それでも認めたくない。命をとりとめた最後の友が、魂のない脱け殻などと。
《無駄です、デキル》
「僕のせいだ、僕さえいなけりゃ。
素数は定理とくっついて、明日香さんはメルとまた仲良くケンカして、みんな普通のままいられたのに」
《この個体に執着しても、時間の浪費です》
「うるさいっ!」
使い慣れない怒声に、喉は痛む。
「何がわかるって言うんだよ!
体もなくて生きてもいない、バケモノなんかに! うんざりだ、頼むからもうヨソの星に行ってくれ! 今すぐ時間を巻き戻して、僕の中から出ていけよ! これ以上、僕の周りを滅茶苦茶にしないでくれっ!」
「病院ではお静かに」
廊下を通った看護婦長が、言い捨てて去ってゆく。
《ぅひくっ、ごめっ、なさ……
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい》
脳内の声は、しゃくりあげるように、泣いていた。
《わからないです、ニンゲンの情緒が。
ワタクシは、ワタクシは、バケモノだからっ……》
「違うんだコギュー。
ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
常套句ばかり並べる己を嫌悪し、可は口をつぐむ。
「ごー……しゅー……じん、くーん」
この時、メルの唇が微かに動く。
「……ころ、して……」
そしてそれきり、また動かなくなる。
日差しが緩やかに角度を変え、病室に影を落とす。可は手で顔を覆い、皮膚から血が滲むほど爪をたて、小刻みに震えた。永遠とも錯覚する数秒が流れゆき、やがて小さなノックの音が、痛い沈黙を破って届く。
「どォもお取り込み中スミマセン」
可が無表情を差し向けると、既に開いているドアを拳の裏でノックする、トレンチコートの男がひとり。
「どなたですか」
「警視庁の男旗ってモンです。
いや災難でしたなァ。心中お察し申すよっと」
その辺の歩道でむしってきたようなタンポポを手のうちでクルクル回すと、空いた方の手で手帳を開く。
警視庁捜査一課 男旗 瑠三、と印字されている。
「職質ですか。ごくろうさまです」
「そんなもんだけどちょいと事情が違ってましてね。おたくの乱馬 メル? って子の件で伺ったんすわ。どォでもいいけど近ごろの若者どもの名前ってのは、どォしてこうもいちいちキラキラしてんのかねェ?」
自身の名を棚にあげた事を口走ってから、
「彼女に捜査令状が出てましてね。
渡? ゴクロウさん? って方の殺人容疑で」
口元を、不吉な形に緩める。
ただでさえ乱れていた可の精神は、さらに波打つ。
メルと渡教師の間に起きた出来事を知らない彼は、瞬間的に二人に関するあらゆる記憶をまさぐり出す。
「こんなとこでする話でもないしねェ。
ちょい場所変えても、いっかなァ?」
わざとらしく崩した口調が不気味な悪寒となって、可の背中を縦横無尽に這いずり回って蹂躙してゆく。
その刹那、
《がぁお~(`□´)》
男旗の右腕が鳴く。
手のひらは瞬時に肉食動物の顎へと変形するなり、握っていたタンポポに食いついて荒々しく咀嚼する。さらに直後には皮膚と筋肉が爆発的に膨張してゆき、少女に限りなく近い異形の全身像を組み上げたのだ。
《ハイど~もども♪ ちょり~っす♪》
猫科動物じみた金色の瞳孔は、人懐っこく煌めく。三日月型を描いて笑う口の中に、犬歯ばかりが並ぶ。
リボンで小さくまとめられたツインテールの髪は、鮮やかなショッキングピンクに色づいて網膜を刺す。肩まわり腰まわりの布地をあえて省いて生成された、ネイビーブルーのセーラー服に小麦色の肌が映える。
耳に当たる部位は尖ってブレード状のヒレを呈し、後頭部に帽子のツバみたいな図太い突起を生やすと、その下部からグロテスクなもうひとつの口……深海の古代鮫・ミツクリザメのそれと似た大顎が飛び出す。
「こォら『エイミール』……
今は顔見せNGつったべや。聞いとけおめェ」
嘆息する男旗に対し、少女はお尻を振って答える。
《だってボク、バイブス上がっちゃってんだもん! とっくにおっ死んでるくせして生きてるヒトメスと、生きてるくせしておっ死んでるヒトオスなんてさっ、滑稽きわまりなくても~マジウケもんじゃ~んっ!》
「なんかワリィねボーズ。アホのせいで随分と予定が早まっちまった気ィするけどよ、改めて自己紹介だ」
ハイテンションで騒ぐギャルエイダスを放置して、男旗は、ナイフの輝きを宿す切れ長の目で可を睨む。
「ソピストってやつの6番目みたいだぜ、俺ってよ」
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