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かんしゃするぞ ヒトメスよ
ん きさま ひしょじょのにおいがするな
やけにうるさく弾け回る血管の拍動音に混じって、頭の奥深くで、男のような誰かの声が反響している。
恐怖と心細さに、涙が滲む。
「助けてよ、パパ……」
腹這いとなり、感覚だけを頼りに扉を目指す。
一刻も早く、闇から抜け出たかった。指先に触れたノブを掴んで体重を預け、やっとの事で起き上がる。
一階でインターフォンが鳴っていた。
「ママ……帰ってきたの?」
他人の体を引きずるような錯覚と戦いながら必死にもがき、階段をのぼりきった先の、玄関へと向かう。
そして、すぐさま扉を開けた。本来の日絵ならば、相手を確認もせずに迎え入れる事など決してしない。極度の精神動揺から、肉親の姿を無意識に追い求める原始的本能が喚起して、警戒心を鈍らせていたのだ。
「日絵ちゃァ~ン、こんにちは~」
立っていたのは湯田リオで、二名の手下も一緒だ。しまった、と日絵は素早く扉を引くが、半ばまでしか閉まらない。よく見ると、相手の手にブラさがる金属バットの先端部が、隙間に挟まって邪魔をしていた。
「な……にしに来たのよ、なんの真似?」
ただならぬ剣呑な空気に、声がうわずる。
「プリント持ってきたんだよ! ……嘘だけどっ!」
リオが進み出て、堂々と他人の家の敷居を跨ぐ。後に続く二人も、同様に鈍器を握り、ニヤニヤと笑う。三人の様子は明らかに尋常ではないし、もはや学生のいじめの範疇を遥か逸脱した、犯罪行為ではないか。
「警さ……!」
「来ないよ」
反射的にポケットへと伸びてゆく日絵の手の甲に、一切の迷いなく振るわれた、凶器が叩き付けられる。取り出しかけた携帯は廊下を滑り、人差し指と中指は明後日の方向に曲がり、骨肉が爆裂する感覚が襲う。
「呼べないようにするからね」
取り巻きAに口を塞がれ、悲鳴すら上げられない、そこに取り巻きBも加わって、壁に押しつけられた。
「も、おおお、ごおおおおっっ!」
「うんわかるよ。言いたい事はよくわかる。こんな事してお前らもあとで大変だぞって思ってるでしょ? 平気なんだよねこれが! ねえ、なんでだと思う? わっかるかなー、わっかんないだろうなー、あはは」
余裕の呈を装いつつ、リオは汗まみれだ。
他の二人も同様で、自分達がしでかしている犯罪を少しくらいなら自覚しているらしい。ならば連中をやる気にさせた、理由とはなんなのだ? 日絵は痛みを紛らわさんと、考え続けて、飛びそうな意識を繋ぐ。
取り巻きABが日絵の体を挟み、起き上がらせた。
「とにかく、ついてくりゃいいの。
殴んのだって疲れんだから、大人しくしなよ」
額の汗を拭い、リオは言う。
直後、派手な物音が響いた。
「おい、何やってんだお前ら」
半開きの扉を蹴り、丸刈りの少年が乱入したのだ。
「三蔵、くん?」
驚くリオに一瞥もよこさず、三蔵は廊下に上がり、取り巻き達をタックルで飛ばす。束縛から解放された日絵の手を取って、すぐさま踵を返す。そして玄関を出て、振り向きもせずに、歩道を突っ切っていった。
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