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 ※    ※    ※ 「でもね、弱者と強者の違いは力の有無(うむ)しかないの」  現実世界に戻った日絵は、異空間での言葉の続きを呟き、目前に迫る手下AとBに対して腕を振り抜く。  二人の体が宙に舞い、放物線を描く。  中央通路の左右に並ぶ座席の、背もたれ部分に落下して、腹を強打したうえで洗濯物みたく垂れ下がる。 「立場なんざ、簡単にひっくり返る(・・・・・・)って事。  今から私が、たっぷりレクチャーしてやんよ」  吐き捨て、口角を吊り上げる日絵の右手は、異形と化していた。指が関節を無視して1メートルの長さに伸び、かさぶたのごとき鎧に覆われ、爪などは分厚く肥大して(かぎ)型を呈している。甲殻類(カニ)の脚にも似ているいびつなそれが、肉眼には捉えきれぬ速度でしなって(・・・・)唸り、圧倒的な膂力(りょりょく)で、外敵を薙ぎ払ったのである。 「なんだよアレ、えっ? ええ?」 「シスター、あ、あんなの聞いてないですよ!」  身を寄せ合って震えるばかりのリオと三蔵の横で、シスター・マルゲリータはどこか嬉しそうに微笑む。 「ゆでると美味しそうな手デスネ。  驚きデス、アナタも『ソピスト』だったとは」  滑らかなブロンドの髪が重力に逆らい、揺らめく。修道服の一部分、豊満な乳房を包む布が盛り上がり、内側から勢いよく張り裂ける。晒されたのは、眩しいほど白い素肌と、皮膚を突き破って伸び出る十二対の肋骨であった。人間の骨格の限界を超えて巨大に変形しているそれは、昆虫の脚のごとく、不気味に蠢く。 「あんたのは煮ても焼いても不味そうね!」  日絵は(カニ)の手を操り、背後に佇む聖母像の首を無理矢理に引っこ抜くなり、投擲(とうてき)する。石の重量と人外の強肩を相乗した攻撃は、しかし命中する寸前、肋骨による刺突の迎撃を受け、粉々に砕け散ってしまった。 《おいヒトメス! よせ、分が悪い!》  もうひとつの口が日絵の額から生まれ、叫ぶ。 《ソピストが我々の力をどのていど引き出せるかは、『洗脳』によって手駒とした知性体の総数で決まる。貴様はゼロ、相手は万だ! 離脱せよ。貴様の代わりなどいくらでもいるが、我輩はオンリーワンだぞ!》 「えっ何よそれ?  いきなり専門用語だされてもわかんないんだけど」  逃げろと言われても礼拝堂の入口は塞がれている。どうやら敵は、自分より強いらしい。もちろん、出し抜く手管を思案するだけの暇を提供してくれるほど、慈愛の精神に満ち溢れてはいないだろう事も確かだ。 「出る杭は打って叩いて渡るデス。  おいで、『ラッソフィーニ』!」  日絵目指して走り出すマルゲリータの体が、さらに変貌する。本人の体積を明らかに上回る量の肉塊が、腹の中心部から飛び出したではないか。怒濤の勢いでもって襲い来る、円柱形の物体と、日絵は目が合う。肉柱の先端は、鋭い複眼と厳つい(あご)を持つ昆虫の顔を象り、ダイオウグソクムシを連想する醜悪な形相だ。  日絵は、とっさに15メートル跳躍。  接触を、すんでのところで回避する。  天井のステンドグラスに接近した瞬間、背中の布を破って新たな蟹の脚が生え出て、ガラスに穴を穿つ。ハサミ状の先端部分を窓枠に引っかけ、曲芸師じみた格好でぶら下がりながら、彼女は下に視線を落とす。 「うげ、きも!」  思わず、口元がひきつった。今まで己のいた場所で醜い肉塊の怪物が聖母像に食らいつき、蠢いている。 「ちょっとラッソ、獲物は上ヨー!  もおー、ならば、人海タッティカ(戦術)デス!」  マルゲリータは、口笛を吹き鳴らす。  すると、礼拝堂の扉という扉から修道服姿の男女がなだれ込んできて、広い空間をたちまち埋め尽くす。誰もかれもが、生気の枯渇した青白い顔をして、焦点定かでない虚ろな両目でボーッと宙を見つめていた。  これが、ザラトストラのいう洗脳か。  なるほど勝てないと、日絵は早々に悟る。  個人の力量差に加えて、多勢に無勢。  とくれば、最善の手はいつだって唯一だ。  だがその前に、入口を睨めつけて蟹の手を向ける。各関節を操作して十数倍の長さまで変形したそれは、鞭のように空気を裂きながら真っ直ぐに飛んでいき、密かに抜け出そうとしていた三蔵の足首に絡み付く。 「うあ、あひああぁあーッ!」  蟹の手は、そのまま一気に収縮する。彼は情けない悲鳴の尾を引きつつ、ものの見事に釣り上げられた。 「たっ、たす、助けて!」  涙にとろける滑稽な泣き顔で、叫ぶ。 「悪かった、謝るよ、ゴメン! で、でも俺、本当にお前の事かわいそうだって思って……いや違う違う。とにかく俺は最初から反対だったんだってば、あんな悪ふざけ……なぁリオ、お前からもなんか言って!」  応えるべき少女の姿はどこにもない。  ただ、扉が虚しく開閉しているのみ。  絶望し、脱力しきった三蔵の足を放さぬように蟹の手にブラ下げて、日絵は切迫しつつある状況を知る。麿谷シスターのしもべ連中が塔のごとく折り重なり、こちらへの到達を目指して、手を伸ばしてきていた。 「潮時ね、うらっ!」  日絵は気合いと共に新たな蟹脚を背中から生やし、高速の突きによって、ステンドグラスを微塵に砕く。散らばる破片が極彩色の雪みたく降り注ぐ中、二本のハサミで巧みに天井を渡り、屋根の上までよじ登る。 「アスペッターレ! 待ちナサーイ!」 「誰が待つかっての」  突き抜ける青空の下で、男子を俵持ちに抱えあげ、清々しい向かい風を肌で感じながら駆け抜けてゆく。くすんだ光を放つ煩わしかった太陽も、その隣に我が物顔で居座る忌々しかった監視円盤も、輝いて映る。 「くらっち? ね、デートしよっか?」  しなを作って話しかけても、彼に反応はない。  別の存在へと生まれ変わった感動に打ち震えつつ、日絵は満面の笑みをたたえ、屋根から身を踊らせた。  ※    ※    ※ 「ひだ、ひだいって! らめてよぉ!」  湯田リオは尻を蹴飛ばされ、教室の床にキスした。叡智大付属女子中学校・3年1組の面々が、皆一様に無表情、無言のまま集まってくる。どこか白けたかのような、乾ききった視線で、リオを見下ろしている。 「なんで、ほんなことするろぉ!」  青黒く腫れ上がった頬でモガモガ喚き、背後に立つ三蔵 玄一を睨む。早朝、寮の自室で2日間ほど閉じこもっていたリオの所に突如として押し掛けて、教室まで引きずって連れてきたのは、他ならぬ彼である。 「なんれ、みんあ、なんでなにもいわないの?」  明らかに異様な、現実には有り得ない空間だった。暴力沙汰を前にして、誰もが人形じみた不動を貫く。 「なに驚いてるの? これがいつもの教室だよ」  教卓に腰を預ける、ただ一人を除いては。 「私にとっての、ね」 「にっ、にひぇ……!」  悪夢の中、古鳥 日絵は涼しい顔で腕を組む。 「どんだけ暴力振るわれても、誰も関心を持たない。あなたが今いるのは、いつも私が見てた世界なのよ」 「られか、たすけっ」  見苦しくもがくリオだったが、すぐ別の女子生徒に馬乗りにされて、ガムテープで口を塞がれてしまう。 「何その被害者みたいな態度?  あなたも随分と、ひどいことしたでしょう?」  さらに日絵は、リオの頭を掴む。  右手が泡を吹き出して、甲殻に包まれてゆく。 「男に芝居うたせて。  クソシスターけしかけて私を洗脳させようとして」  指先が、頭の内側に、沈み込む。  痛みも流血もない代わりにリオを襲うのは、思考の全てを舌で転がされ蹂躙される、おぞましい不快感。 「やめへっ……ゆる、ひへっ……!」  恥を捨てて、リオが許しを乞う。テープの隙間から(よだれ)が滴り、裂けんばかりに開いた瞼から涙が溢れる。 「いいよ謝らなくて。もう全部、許してるから」  日絵は最上級の哀れみを込めた微笑を浮かべると、一人の人間の自我を、一切の躊躇いもなく握り潰す。 「だって、これからは友達でしょう?」
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