1st.contact→install

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 世界のしくみは単純だ。  侵略する者、される者。  誰しも二者に分けられ、それぞれ歯車を回す。  であれば古鳥(ふるどり) 日絵(にちえ)の場合、どちらか。彼女は生を受けて以来、後者の立場に甘んじてきた一人である。  女子トイレの床に頬を押し付けられながら、呆然と前を見る。雑菌の温床にぶちまけられているものは、弁当のおかず。ハンバーグもエビフライも、なずなのお浸しもゴボウの甘辛煮も、一瞬で生ゴミと化した。 「あのね、日絵ちゃんが悪いんだよ?」  (から)の弁当箱を逆さまに持つ、湯田(とうだ) リオが笑う。 「三蔵(みくら)くんに話しかけてもらって、無視はないよね。感謝くらいするでしょ、普通。『サルモネラ菌の私を人間扱いしてくれてありがとうございます』とかさ。いつもパソコンとプログラミング言語でお喋りしてるから、日本語不自由だったりすんの? 言ってる意味わかる? 二進数とかで説明した方がいいのかな?」  肩まで伸びる黒髪を払う仕草だけなら清楚なお嬢様でも、その実態は口を開けば毒が漏れ出すような女。悪口でもなんでも明け透けに喋り、裏表のない性格と好意的に捉えられ、クラスではかえって受けがいい。 「私だってキツイ事いうのヤなんだよ。  でも、誰かがやんなきゃ示しつかないじゃん」 「大丈夫だよ、がんばってリオ!」 「私ら、ちゃんとわかってるから~!」  取り巻き二人が日絵を押さえ込んで、声援を送る。 「あ、もうチャイム鳴るかな。次、英語だっけ」  スマートフォンを取り出したリオは出口へと進む。手下達は日絵の頭を踏みつけて、後ろをついていく。 「待ちなさいよっ、私のお弁当……」  日絵は精一杯に叫ぶも、甲斐(かい)なく無視される。 「おいっ!」  今度は喉が裂けそうなほど声を絞り出す。  するとようやく、相手は面倒臭げに振り向く。 「なに? あんたはそのリアル便所飯ぜんぶひろって食い終わるまで、教室入ってこないでよね臭いから」 「うわリオそれ、草不可避~」 「あんたこそぉ~、キモオタ日絵ちゃんに合わせて、ネット語使ってあげるとかってチョ~イイヤツだわ」  くだらないジョークで悦に入る連中に、一発くれてやろうと、日絵はユラリと立ち上がる。(まぶた)にたまった涙のせいで、視界がぼやけ、ふらつく。その拍子に、眼鏡(めがね)が外れてしまい、汚いタイルの上を滑ってゆく。 「ふっ! てか何、その顔!」 「うわ、真っ赤じゃん! 大丈夫~?」  日絵の頬が火照っているのは、赤面症(せきめんしょう)という、対人恐怖症の一種のためで、怒りばかりが理由ではない。 「あなた達、幸せな生き物ね。どんな低レベルな事も笑いのネタにできちゃうんだから、才能だと思うわ」  薄い(くま)を下に()く大きな目を、かっと見開く。  うっすらと濡れた床に寝そべっていたせいで、猫っ毛のショートヘアが、鬱陶(うっとう)しく額に貼り付いている。 「んん? 何それ日絵ちゃん、どーゆー意味?」 「うるさい、シャラップ。……あとね湯田さん、三蔵くんが好きならさっさと告白したら? 私も彼につきまとわれて正直迷惑なの。いちいち(かん)ぐって嫉妬して噛みついてくるイカれた恋愛脳の相手も、疲れたし」  言葉は、ここで途切れる。見事に逆上したリオが、大股で詰め寄るなり、日絵の頬に拳を見舞ったのだ。 「ざけんなチビザルメガネ!」 「ちょっ顔はヤバイってリオぉ!」 「落ち着こ! もう行こ? ね?」  取り巻きがリオをなだめて、廊下へ連れ出す。  殴られた衝撃で洗面台に後頭を打ちつけ、よろける日絵は、遠ざかってゆく捨て台詞をぼんやりと聞く。 「知ってんぞ! お前の母親、離婚したてでさっそく男連れ込むような腐れドブビッチなんだってねっ!」  激しい耳鳴りの中で、忌まわしい記憶が甦る。  薄暗い玄関。出ていく父の背中を無言で見送る母。そして現れた、スーツ姿の優男。そいつが恵比寿(えびす)顔を貼り付け、手を伸ばしてくる光景がフラッシュバックする。ああ、ぜんぶ本当の事だとも。笑うなら笑え。 「お前だってどうせビッチに決まってんだ! こんど三蔵くんに色目使ったら殺すぞマジだからなあぁぁ」  尾を引く絶叫を残して、嵐は去った。  日絵は小さく溜め息をつき、眼鏡を拾う。  ひん曲がったツルを直して、耳にひっかける。  鳴り響く予鈴が、やけに遠く聞こえた。今日はもう学校サボって家に帰ろう、そう思った。引きこもって思うさま、ゲームでもしてやろう。ママやあの男は、今日も今日とてデートだろうから、どうせ帰らない。 「どうなってんのよホントにもう」  トイレの小窓から空を見上げて、独りごちる。 「ちっとも世の中変わってないじゃん。  ねぇ神様、まさか寝てんじゃないでしょうね」  天に浮かぶのは、淀んだ雨雲と、霞んだ太陽。  そして、巨大な巻き貝状の円盤(・・・・・・・・・・)。  狂ってしまった空の下だろうと、陰鬱な日常は何も変わらず、淡々と過ぎていくだけなのだろう。そんな茫漠(ぼうばく)とした失望だけが、今年15歳になったばかりの古鳥 日絵の目に映る、世界という(おり)の全てだった。  このときは、まだ。
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