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二十六
「パパ? ……パパ?」
大の大人(部長)がべそをかいている横を沙緒里は通りすぎた。
背後から自分を呼ぶ声がきこえた。沙織里は足をとめ、おもむろに沙夜子のほうに振り返る。さっきまで自分が立ちすくんでいたところには、母親が床にへたり込んでいた。
「さ、沙緒里! 沙織里、行っちゃダメ! そっちに行ってはダメよ!」
沙夜子のそばに、おばの喜佐子がいた。彼女は数珠を振りまわしながら叫んでいる。
「バ、バチがあたるわよ! 沙織里ぃ!」
コンベアーが動きをとめていた。棺桶が炉に入れられる前の状態になっていた。
沙織里は棺桶のほうに向かった。
「パパ……そこにいるの?」
「さ、沙緒里!」と、沙夜子が叫んだ。「ダメ。見ちゃだめよ……」
棺桶は蓋が開いていた。そこらじゅうに焦げ跡があり、板がまだ燃えている箇所もある。
黒木と堀田が先に棺桶に駆けよった。かれらは途端に絶句した。
沙織里が黒木と堀田の体を割ってはいり、棺桶を覗き込んだ。
棺桶の中がからっぽになっていた。
沙織里は棺桶から視線を扉を開け放たれた小葬炉のほうに向けた。
「うっ!? く、くせえ!」堀田が鼻をつまんで目をそらした。棺桶が濡れていた。底に水たまりのように黄色っぽい液体がたまっていた。「しょ、しょんべんのにおいがする?」
「こ、故人は、い、いったい、どこに――」と、黒木は沙緒里が小葬炉の奥を凝視している姿を見た。「ま、まさか――?」
「ヒィーッ! バ、バチがあたった! バチがあたったのよぉ!」と、喜佐子が火葬場の騒乱を切り裂くような悲鳴をあげた。――あげたあと、仰向けにぶっ倒れた。そのとき、彼女の持っていた数珠が手から離れ、宙を舞った。
沙緒里は、黒木とともに炉の奥を見た。
――炉の奥にうごめくものがあった。
投げ放たれた数珠が、宙の頂点に達した。
――そして、それは落下した。
黒木は目を細めて炉の奥を凝視する。
――炉の中からは顔の表面を焼くほどに熱風が吹きつけてくる。
黒木は見た。
――数珠が床に落ちて、珠と珠を繋いでいる紐が切れた。そして、珠がはじけ飛んだ。
小葬炉から、手がひとつあらわれて、いままさに炉の縁をつかもうとしているところだった。
(了)
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