俺と間男と間男①

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俺と間男と間男①

居酒屋のカウンター席で、ビールジョッキを一気に煽った。飲み干したジョッキをテーブルに叩きつければ、急激に酔いが回って視界が歪んだけど、どうせなら、このまま意識を失くしてしまいたいところだ。頬の腫れと痛み、思い出すと余計に痛みが増すような記憶を、忘れ去りたかったから。 元々、荒っぽい俺の恋人は、このごろ手が付けられない状態になっている。仕事で帰りが遅くなれば「浮気をしていたんだろ!」と怒鳴られスマホを提出させられ、チェック。 もちろん、浮気なんかしてないからスマホに記録なんて残っていなのだけど「もう一台、持っているのは分かってる!浮気用にな!」と言いがかりをつけられ「そんなもの持っていない」と首を横に振れば「この嘘つきめ!」と殴られる始末だ。おまけに「しばらく、顔も見たくない!」と玄関口で蹴られて、つづけて拳が飛んできそうだったので、俺が家賃を負担しているアパートの部屋から、情けなくも逃げだす形となった。 別に家賃を負担しているのも、恋人に冷たくされたり雑に扱われるのも構わないし、むしろ荒っぽいところを好ましく思っているとはいえ、暴力はいただけない。身体的苦痛には人並みに我慢が利かないほうで、そういう趣味をしてはいないし。 それにしても、何故、急に浮気を疑いだしたのか。そもそもの原因にまるで心当たりがなかった。 仕事で帰りが遅くなるのは今にはじまったことでなく、連絡も前と変わらず、まめにしている。逆に恋人のほうが既読スルーしたり既読さえしなかったり、前はたまに返事をくれたのが今やほぼ無視だ。 俺が帰宅したら部屋に居ないこともあり、一晩帰ってこないこともあって「どこに行っていたの?」と問いただせば「信用していないのか!」と拳が飛んでくる。まったくの潔白に関わらず、理不尽極まりなく疑われて暴力をふるわれてどうしたらいいのか。 考えても考えても、良い対処法が思い浮かばず、せめて酒でしばし逃避しようと思って厨房のほうにジョッキを上げてみせ「もう一杯」と言った。俺がそう言った矢先に「生、一つ」と近くで声がしたのに振りむいたら、席を一つ空けて男が座っていた。 汗臭くくたびれたスーツ姿の俺とは対照的に、ノーネクタイのTシャツに背広を羽織ったカジュアルでスマートなスーツ姿で、顔も対照的に優男っぽい。ソフトな感じのイケメンというだけなら、そんなに珍しくないとはいえ、その頬が大きなガーゼで覆われているのが目を引いた。そう、ちょうど俺が右頬にガーゼをしているのと、鏡合わせのように。 「へい、お待ち!」とジョッキが叩きつけられて、前に向き直ったのもつかの間、また、ちらりと見たところ、優男もこちらに顔を向けていた。鏡合わせのように頬にガーゼをしているのに優男も気づいてだろう。 丸くした目が俺の目と合ったなら苦笑をしてみせた。「へい、お待ち!」と優男のほうにもジョッキが叩きつけられ、それを手に「乾杯」というように持ち上げたから俺も応じてジョッキを掲げた。 ふふ、と照れ臭そうに笑った優男は、これまた俺と同じようにビールジョッキを勢いよく煽った。一気飲みしてテーブルに叩きつけたなら、しばしジョッキを持ったままうな垂れて、ふと、こちらに弱弱しく笑いかけてくる。 「これね、子猫ちゃんにひっかかれたんですよ」 「子猫ちゃん」の響きは動物を指してではなさそうだった。かといって惚気でもなさそうで、急激な酔いに任せて投げやりになっている感じがするに、優男も恋人に手を焼いて困っているのだろう。 いつもなら人の恋愛話なんか、とくに異性愛のものは聞きたいと思わないけど、酔ってやけになっているのは俺も同じで、頬にガーゼをしている同士でもあったから、ビールを二口くらい飲んで「えー、随分、乱暴な子猫ちゃんなんですねえ」と話に乗ってやった。 「でも、子猫ちゃんが、そんな大きな傷を残すようなこと普通、しますう?あなた、よほど子猫ちゃんにひどいことをしたんじゃないですかあ?」 「逆ですよ。もっと『ひどいことをして』と頼まれたのを断ったから、怒られたんです」 ジョッキを傾けようとしたのを留めて、首を傾げれば「ああ、僕、言葉責めが得意なんです」とまたもや、頓珍漢なことを言う。 「セックスをするときね、結構、言葉責めされたい人っているんですよ。意外に普段、オラオラ系で自分が悪いことをしても絶対に謝らないような人とか。謝らないで平気なようでいて、心の奥底では『こんな悪い俺を罰して』と懇願しているのかなあ・・・。 そんな虚勢を張ったり強がっている人間の『お仕置きされたい』っていう欲求に、僕は気づいてあげられるし、望みを叶えられる才能というのかな?があるんです。だからといって、求められるまま嫌嫌やっているわけではないですよ?普段は威張り散らしているような子を『ごめんなさない』『ごめんなさい』と言わせるのが僕も楽しいですし」 中々、聞くに引ける性的な話をしているとはいえ、かなり酔っているせいか、興味深く思い、少しだけ腰を熱くした。荒っぽい恋人の一人善がりで乱暴なセックスに慣れているからだろうか。といっても、恋人とのセックスはあまり気持ちよくないけど。 「あなたもセックスが楽しいなら『もっと、ひどくして』って言われて、なんで躊躇うんです?」 恋人のことを思い出して、気分が下がりかけたのを振り払うようにジョッキを掲げて、声を張り上げた。周りが聞いたらぎょっとするような内容とはいえ、優男は気にしていないように「だって、殴ってくれって言うんですよ!」と負けじと声量を上げる。 「僕は言葉責めをするからといって、相手を痛めつけ傷つけるのが好きというわけではないんです。あくまで、相手が望むことを叶えてあげたいと思うわけで」 「でも、暴力も相手が望んでいることなんじゃ?」 「それは、そうです。ただ、僕、暴力だけは駄目なんです。暴力をふるっても暴力をふるわれても、自分が痛くなるじゃないですか。暴力というよりは痛いのが嫌なのかな? うん、ほんと、痛いのは我慢できなくて。で、子猫ちゃんに殴ることはできないって言ったら、結局、殴られちゃって」 優男のほうはセックスで言葉責めするほう、俺はセックスで痛めつけられるほうと、立場は真逆なものの「痛いのはいや」という点では共通しているらしい。「分かるわー」と頬のガーゼをさすりながら言ったら、男のほうも頬のガーゼを手で覆って「ね?痛いのは嫌でしょ」と前のめりになる。うんうんと肯いてから「荒っぽいのはいいけど、痛いのはなあ」と俺も頬にガーゼを当てるに至った経緯を話した。 お互いにビールをちびちび飲みつつ、優男の暴露に劣らない、ぶっちゃけた話を披露したのだけど、相手も酔っているのか、先に暴露したからか、さほど驚いたり呆れたりせずに最後まで聞いてくれた。話し終わると、優男はすこし残っていたビールを飲みほして、泡のついたジョッキを見つめながら言った。 「そんな、ひどい相手なら別れればいいのに」 それまで理解を示す態度をとっていたのが、急に突き放すように言われて、俺の心は凍りついた。酔いに任せて身も知らない人間に話すべきではなかったと、後悔し落ちこんだのもつかの間「って、言われそうですよね。僕もあなたも」と優男が眉尻を下げて笑いかけてくる。 「でも、別れられない。子猫ちゃんほど、ふだん強がっているのと、セックスの時に『ごめんなさい』を連呼するのとギャップがある人は中々いないですから。 少なくとも僕にとっては、これまで相手にしてきた誰より暴き甲斐がある。鉄の鎧をまとったような心を暴きだす快感を一度、覚えてしまったらどうしても手放しにくい」 「子猫ちゃん以上の、逸材が現れなければ」と横目に見られて、なんとなく目を逸らしつつ「そうなんですよ」とジョッキの残ったビールを揺らしながら話をつなぐ。 「俺、乱暴にされるのが好きなわけじゃなくて、優しくされるのって苦手なんです。だから、あまり優しくしてくなさそうな、わがままで自分勝手な奴と付き合うんですけど・・・・。 大体、しばらくすると相手が俺のことを健気だとか献身的だとか思ちゃって、絆されて、結局、優しくなっちゃうんです。でも、あいつは、どこまでもわがままで自分勝手で絆されない。今まで、付き合ってきた奴で、そんな奴は初めてで・・・」 「だから」と頬のガーゼに触れたなら、うっかり、こみ上げてきたので誤魔化すように残りのビールを勢いよく煽った。再三、ジョッキをテーブルに叩きつけて「意地悪になるのって、セックスの時なんですかあ?」と陽気な酔っ払い風にもどって、優男にあけすけない質問をする。 俺が泣きそうになったのに気づいたからか、優男は苦笑してから「意地悪するとは限らないよ」と応えてくれた。 「『ごめんなさない』『ごめんなさい』と言わせるのが、僕も楽しいですしって言っていたじゃないですかあ」 「うーん、それは相手が『ごめんなさい』って言いたいと無自覚に思っているから。そうやって謝るのに限らず、無自覚な欲求を暴かせるのが楽しいわけで」 「じゃあ、俺も荒っぽくしてほしいって思ったら、してくれるんですかー?だったら、俺、別れてもいいかも―」 「いや、あなたの場合は・・・。それに、僕、セックスの時以外は、優しくしちゃいますよ?」 「だったら駄目だ!やっぱ、別れられねーわ!」 しんみりしそうになったのを、わざと酔っ払いらしく喚いて盛り上げようとしたのだけど、実際に酔いは体に深く染みこんでいたらしい。「結局、別れられねーでやんの!」とけたたましく笑ったら、途中でひどい眩暈がして「そうですか?」と優男が返事したのを最後まで聞き終える前に、意識を飛ばしてしまった。 ※  ※  ※ 居酒屋のカウンターで、優男と酒を飲んでいた最中に途切れた意識が戻ったのは、見慣れない天井の部屋でだった。肌触りのいい素材のソファもタオルケットも覚えのないもので、寝そべったまま見渡したモデルルームのような室内にしろ、同棲している恋人に散らからされている俺のアパートの部屋とはまるで違う。家賃からして、及ばなさそうだし。 こんな部屋に住むハイスペックな人種は、知り合いにいなかったはずだけど。と怪訝に思っていると、扉の開く音がして見やれば、居酒屋で一緒に飲んでいた優男がペットボトルを片手に部屋に入ってきた。 「まさか」と俺が言う前に「急に、あなたが意識を失ったものだから驚いたよ」と笑いかけペットボトルを差しだした。 「救急車を呼んだほうがいいかと思ったけど、店主に『それくらいなら、大丈夫』って言われてね。あなたとは初対面で家がどこかなんて分からなかったから、僕の家に連れてきたんだ。ごめんね。他にどうしたらいいか分からなくて・・・」 「そ、そんな、俺のほうが謝るべきで・・・!あ、その、謝らないでください!」 ペットボトルを受け取ってお辞儀をしたなら、俺はそのまま顔を俯けた。とてつもなく恥ずかしく、酔いはかなり醒めたはずが、顔が沸騰しそうに熱くなったからだ。 初対面の優男に迷惑をかけ、ここまで手を煩わせたことが申し訳なく居たたまれないのもある。ただ、それ以上に酒屋で話していた内容が思い出されて、意識せざるを得なかった。優男をセックスの対象として見そうになる。 恋人を「子猫ちゃん」と言っていたからに、優男の性愛の対象は異性だろう。だとしたら、意識するだけ馬鹿らしいとはいえ、そう、馬鹿らしい上に俺はとても困る。 居酒屋でこぼしたように俺は優しくされるのが苦手だった。日常の浅い人付き合いならやり過ごせても、踏みこんだ関係になったり、こういう二人きりの状況に置かれると、優しくされるのに、どうにも耐えられない。 今だって、気まずく逃げたくて仕方がなかった。早く逃げだしたいのなら、きちんと顔を見て礼を述べ、別れの挨拶に、二、三言葉を交わすくらいしなければならないところ。 ただ、迷惑そうにするどころか「ごめんね」とまで言った、さっきの優男の顔を思い浮かべるに、心拍数が鰻上りで顔を上げられなくなる。俯いて黙りこむのが長引くほど気まずさも増して、頬を熱くしたまま途方に暮れていたら、くく、と笑い声が漏れたのが聞こえた。 「居酒屋ではあんなに、くだを巻いていたのに。ほんと、優しくされるの苦手なんですね」 言葉だけ聞くと微笑ましそうに言っているようで、声の響きには棘がある。居酒屋で優男が言葉責めを得意とすると言っていたのを思い出し、さらに体を火照らせながらも寒気を覚えた。 真っ赤だろう耳やうなじが相手には丸見えで、勘違いされてもおかしくなかった。やばいやばいと思っているうちに顎に指を添えられて、顔を上向かされる。 優男が艶っぽく笑うのに目をくらませながら、顎に添えた指で頬を撫でられそうになったのを、その手首をつかんで止めた。目を見開いた優男は、でも、俺の顔に手を添えたまま「気に入りました」とむしろ笑みを深める。 「あなたが好きになりました。浮気が駄目なら、僕は子猫ちゃんと別れます」 そういう雰囲気になりかけたとはいえ、まさか突然、真っ向から告白されるとは思ってもみなく、真面目にとらえることができなかった。そもそもが、だ。「そんなこと言う奴と付き合えるわけがない」と俺は呆れながらも、苦言をする。 「なんでです?ちゃんと恋人とは別れて、あなたと付き合いたいと言っているのに」 「その別れるっていう子猫ちゃんのこと、誰よりも暴き甲斐があるって言っていたじゃないか」 「あなたとこうなるまでは、ね。それに言ったじゃないですが。子猫ちゃん以上の逸材が現れれば、話は違うって」 「で、結局、俺より暴き甲斐のある奴を見つけたら、浮気をしたり別れたりするってことだろ?そんな信用できない奴、俺はごめんだ」 はっきりきっぱりとNOを突きつけたはずが、優男の微笑は崩れることがない。なんなら前より余裕綽々のようで「ああ、なるほど」なんて、もったいつけて言う。 「あなた、優しくされるのが苦手なんじゃなくて、裏切られるのが怖いんですか」 「はあ?」と言いたいところ、声が出なかった。図星をつかれたような形になったのが不本意なものの、薄く開けたままの口が硬直して動てくれない。声を出せない代わりに頬を歪めれば、優男は目を細めてつづける。 「前に優しくしてれた相手に裏切られて、トラウマのようになってしまったとか?それで、裏切られて辛く苦しい思いをするより、優しくされないほうがいいと考えてしまった。はじめから優しくない人間なら、裏切られても、もともと、そういう奴だからと思ってショックは受けないですからね」 残念ながら身に覚えがあったので、つい唇を噛む。知ったような口を叩く優男に苛立ちつつも、居酒屋で人の心を見抜くのに長けているようなことを言っていたのを思い出し、本当だったのかと、すこし感心をした。なんて、気を抜いたところで「でも、人を裏切らない人はいませんよ」と厳しい言葉が耳に刺さる。 「あなたは決して裏切られないことを望んでいる。それは、ないものねだりだ」 優男の言葉に心臓が握りつぶされるような痛みを覚えた。深く傷つけられた俺を、優男は嘲笑うでも諭すでもなく、興味津々といったように見てくる。なんと悪趣味なと、睨みつけると「いいですね」となぜか、うっとりするように言う優男。 「ないものねだりをするあなたの願いを叶えてあげたい」 「はあ!?」と今度は声が出た。我ながら鼓膜が痛くなるような声量だったけど、どこ吹く風で「ほら、居酒屋で言ったでしょ」と優男は嬉々として語る。 「僕は人の心を暴いて、秘めた願望や欲求を満たしてあげるのが楽しいんです。あなたの心はこれ以上なく暴き甲斐があるし、その望みが無理難題だからこそ、叶えてやれるのは僕だけなんだと燃えるんですよ」 言っていることは無茶苦茶で理解しがたかったものの、俺をからかってはいなさそうで変に説得力もあった。「ちょ、調子のいいこと言うなよ・・・」とたじろぎつつ、飲まれそうになっている俺に優男は念を押す。 「前にも言ったように僕はサドというわけではない。セックス以外では恋人に優しくしたいと思いますし。セックスだって、これまで言葉責めを求められたことしかないから、そうしていたに過ぎなくて、本当は優しくするほうが性に合っているのかも。だったら、尽きない優しさを求めるあなたとは相性が抜群なんじゃないですか?」 頬を撫でようとした手を掴んだままでいる俺の手を、もう片手で包みこんでまっすぐ見つめてくる。頭の螺子が五つくらい飛んだような、やばい奴に思えたけど、中々どうして心が揺らいでいた。 この男なら決して俺を裏切らないかもしれない、そう思ったからではない。俺が人に裏切られることを恐れていると知っても、馬鹿にしたり笑ったりせずに優男なりに受け止めてくれた、そのことだけで、結構、胸にくるものがあったのだ。
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