第4話 出会い

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第4話 出会い

 港町クナートの中央を十字に走る大通りは、この町を4つの地区に分けている。  北には港と灯台。戦神ケルノスの神殿、ケルノス信者の多い戦士や騎士の宿舎。  南は宿場、豊穣の女神エルテナの神殿、墓地や畑(主にエルテナ神殿が管理)、孤児院、更に南に進むと貧民区(スラム)がある。  西は大きな川を隔てて賢者の学院、及び智慧神ティラーダの神殿、賢者・学者の宿舎。  東は貴族区があり、高台の上には至高神アウラス神殿、及びクナートを治める領主エルヴィン・フォン・ルック伯爵の館がある。  ――春告鳥(フォルタナ)の翼亭は南区の宿場区に建っていた。 * * * * * * * * * * * * * * *  そこで出会った「駆け出しの冒険者」と名乗るシアン・バレンティーノは、確かにパッと見女性と見まごうほど繊細な顔立ちをしているが、よくよく見ると意志の強そうな眉や、骨ばった背格好は、確かに少年から青年に成長途中のそれである。  逆に、住み込みで孤児院の手伝いをしているというシェルナン・ヴォルフォードは、長い睫毛にやや垂れ目、常に微笑を浮かべる柔和な表情から「男性である」と言われてもすぐには頷けなかった。  納得のいかない顔で考え込むソフィアを見て、ややショックを受けた様にシェルナン……シンは、傍らのシアンに顔を向けて苦笑しつつぼやいた。 「うーん、……そんなに僕って女顔かなぁ?」  シアンはというと、納得出来なさそうなソフィアが面白かったらしく、腹を抱えて肩を震わせていた。 「くっくっくっ……このチビ、面白いな!」 「! ちょっと! さっきも言ったけど、あたしは間違いなく成人してるわ! “チビ”だなんて、レディに対して失礼よ?」  むっとした顔でソフィアが抗議すると、シアンはますます笑い出す。 「いや~、ねーって! ナイナイ! どう見ても10歳かそこらだろ? なぁ、シンさん!」 「うーん、でも本人がそう言ってるから……」  否定も肯定もせず、シンは微笑したままソフィアに顔を向ける。そこで、ふと何かに気付いたように目を丸くする。 「あれ? もしかして、君って……」  言いながら、前触れも無くソフィアの頬に向けてシンは左手を伸ばす。 「!!」  ギクリ、と傍目で見ても分かるほど、ソフィアの身体が強張った為、シンの掌はソフィアの頬に触れる前にぴたりと止まった。 「ああ、ごめん……驚かせてしまったね」 「……別に、驚いた訳じゃ……そ、そもそも、断りも無く女性(レディ)の身体に手を伸ばすなんて、不躾だわ」  自然と非難する声音になってしまった。  シアンは「女性(レディ)!!」と大笑いしているが、シンは「そうだね」と素直に頷いて詫びの言葉を口にする。 「ごめんね。……ああ、せっかくだから、座ろうか」  手近な6人掛けのテーブル席が空いていた為、シンとシアンは椅子に腰掛ける。 (これって……あたしも座った方が良いのかしら)  正直に言って、誰かと机を囲んで座った事など無い。だが、ここで「あたしも座るべき?」と聞くのもおかしな話しだ。  シンもシアンも、ソフィアの方を見ている……明らかにソフィアが席に着くのを待っている様に感じられた。 (……どうしよう)  座ったら、――――何かあったら逃げられない。  そんな言葉が頭を過ぎる。 「大丈夫だよ、ここにどうぞ」  安心させるように微笑みながら、シンが自分の座る席の隣の椅子を引いて促す。  しかし、ソフィアとしては人の隣に座るのは遠慮したかった。  シンもシアンも、悪い人物ではなさそうだが、今まで過ごしてきた村の人々も“ソフィア以外に対しては”間違いなく良い人ばかりだったのだ。――薄い壁の向こうで、楽しげに笑う声や、優しく子どもをあやす声、恋人たちの語らい……その全てに於いて、自分は例外だったのだ。  立ったまま、目を合わせずに黙り込んでいるソフィアを、シアンは訝しげに、そしてシンは安心させるように微笑んで見つめる。 「大丈夫、何もしないから」  先ほどよりも低く穏やかな声に、思わずソフィアが顔を上げると、シンは応えるように優しく笑って頷いた。 「とって食いやしねぇよ。オラ、俺も得物は外すし、何ならお前が持っててもいいさ」  肩を竦めてシアンが腰に佩いていた細身の剣をテーブルの上に置く。  そこまでされてしまうと、さすがに座らない訳には行かない。それは失礼だ、と人付き合い皆無のソフィアにも分かった。  躊躇いがちに、シンが示した椅子を空けて、離れて座る。その様子を、何かを考え込むような眼差しでシンは見ていた。 「……さて、もし良かったら、君の名前を教えてくれないかな?」  ソフィアが座ったのを確認してから、シンはにっこりと笑って小首を傾げた。 「え」 (な、なまえ……なんで? ……挨拶しあう、のが、慣例なの?)  やや戸惑ったように視線を泳がせる。その目に、他の席に座る客が飲む、蜂蜜酒(ミード)が目に入った。 (……なまえ……ソフィア、と名乗っていいものか、分からないし。……どうせ、きっと、ここで少し話をしたら、あとはもう二度と会わないはずだし) 「ミ……ミードよ」  かんだ! と思わず顔を顰めそうになったが、辛うじて堪える。  2人は気付かなかったのか、特に言及はしなかった。 「じゃあ、ミードちゃん」 (「ちゃん」!?)  耳慣れない単語にぞわりと鳥肌が立ったが、歯を食い縛ってシンの言葉の続きを待つ。 「さっきは急に手を伸ばして、ごめんね。……ミードちゃんの「耳」を見せてもらえないかな」 「み、耳?」  思わず、両手で自分の耳を覆って隠す。何を言い出すのかこの人は――と目線で抗議すると、シンは慌てたように両手を振って続けた。 「変な事は考えてないよ! ほら、君の耳、髪で見えないから……」 「そ、そういう問題じゃないわ。どうして初対面の見ず知らずの人に、自分の耳を見せなくちゃならないの? 意味が分からないわ」  普通の人は挨拶で耳を見せ合う……そんな訳は無い。そのくらい知っている。  じと……とシンを半目で見つめると、シンは苦笑して右手で自分の耳を軽く摘んでソフィアに見せた。 「ホラ、これ」  その耳は、人とは違って先が少し尖って見えた。思わずシアンの方を見ると、シアンはソフィアから見えやすいように自分の両耳を摘んで見せた。―――彼の耳は丸く、角は無い。 (どういうこと……?)  両手で覆った手の中で、自分の耳がシンと同じく尖っている事が分かり、ソフィアは動揺した。  この人は何が言いたいのだろう、と思わずシンを見ると、柔らかな緑碧玉色の双眸と目が合った。  時間にして数分……もしかしたらもっと、かもしれないが、迷った上で、ソフィアはそっと自分の両手を耳から離し、銀糸の髪を分けてシンから見えるように両耳を見せた。……何となく羞恥を覚えて、顔が熱い。 「――ああ、やっぱりそうだね」  そっと息を吐きながらシンが呟いた。 「え?」 「一体何なんすか、シンさん?」  戸惑うソフィアに続いて、意味が分からない、という表情で、いつの間にか――――多分ソフィアが迷っている間に、頼んだと思われるスープに黒パンを浸して頬張りながら、シアンが首を傾げる。  目を伏せてシンは口元に右手を添え、思案の表情を浮かべている。  完全に置いてけぼりを食ったソフィアとシアンは、思わずシンクロして首を傾げた。気付いたシンは、苦笑して2人の顔を交互に見た。 「……ああ、ごめん。僕も少し、動揺しているんだ。ええと、シアンは……妖精(エルフ)は知ってるよね?」 「ああ、そりゃもちろん!」 「テイルラットでは人間と妖精(エルフ)の異類婚は少ない。僕は何年も旅をしたけど、見た事はなかったな。……僕は“先祖返り(チェンジリング)”だけど、ミードちゃん、君は妖精(エルフ)の血を色濃く引いているね」 「――――そんなの知らないわ」  思った以上に固い声が出てしまったが、気にしている余裕はソフィアには無かった。 「いきなり、何なの? 意味が分からないわ」  机上に両手を突き、逃げるように席を立とうとする――が、勢いが良過ぎたのか、視界が揺れて思わずふらついてしまった。 「ああ、ほら……駄目だよ、急に立ったら」  するりと音も無く立ち上がったシンが、ソフィアが抵抗する間もなく彼女の背をそっと支える。背中に大きな掌を感じ、やはり反射的にソフィアの身体は強張った。 「だ、大丈夫だから……やめて」  もっと強く言いたかったが、その気持ちに反して、出た声は弱々しいものだった。床がまだ川面の様にうねった様に感じる。気を抜いたらその場に座り込んでしまいそうだった。  辛うじて立っているソフィアを支えながら椅子へ座らせつつ、シンはそっとソフィアの耳元で囁いた。 「……――――もしかして、君はヴルズィアから来たの?」  思い掛けないシンの言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる。  ヴルズィア……アトリは聞いた事がないと言ってた、自分(ソフィア)のいた世界。  信じられない単語を耳にして、呆然とシンを見上げる。その行動が、シンの言葉に対する肯定となった。 「そっか……それで」  微笑は絶やさず、だが悲しそうに眉を下げてシンは呟く。 「ヴルズィアでは、人間と妖精(エルフ)の異類婚は稀にあるんだけど……快く思わない人が多いんだよ」  ―――――“この人間のなりそこない(・・・・・・・・・)”  そんな事を叫んでいた人がいた。  そうか、それで……と、妙に納得した気持ちで、ソフィアは俯いた。  対するシンはそっと、骨の浮いたソフィアの背中を優しく撫でた。そして気取られない様に、その姿を見た。  ――改めてよく見ると、目を瞠るほど非常に美しい顔立ちの少女だった。本人は成人していると言っていたから、“女性”と言った方が良いのかもしれないが、どう見ても幼気(いたいけ)な少女に見える。  光の加減で青みを帯びる銀細工のような髪、透き通った淡い水色の大きな瞳、それを縁取る銀色の長い睫毛、小さな形の良い鼻に唇。美しさに見惚れる以前に、1人で行動していて身に危険は無いのか心配になる程だ。クナートは一応は治安は良い方だが、それでも貧民区(スラム)もあれば、人買いも暗躍しているのだ。  だが、恐らく本人のものではないと思われる、大きめな生成りのワンピースから出ている手足は細く、“痩せている”を通り越していた。頬も血色が悪くこけており、目の下には濃い隈が浮かんでいる。背丈は平均的な10歳児と同じくらい。――これで15歳を越えているというのであれば、明らかに成長が足りていない。幼少期に著しい栄養の欠乏があった事が伺われる。  加えて、本能的に他人に怯えた様な仕草、人とのコミュニケーション、どれを取っても、彼女がこれまで置かれていた環境が良いものではなかった、と容易に想像がついた。  表情に出すまいと気を配りながらも、シンは彼女の背を支える手とは反対側の手を、内側に爪が食い込まんばかりにギリ、と強く握り締めた。 「……あなた、一体……」  動揺を隠せていない(かす)れた声で呟き、背を撫でる手から身を避けつつ、ソフィアは警戒した眼差しでシンを見上げた。シアンは傍観を決め込んだ様子で、本格的に食事を取り始めるが、しっかり聞き耳は立てている。  シンは、少し困った様な顔で笑いながらソフィアの顔を覗き込んだ。 「僕もヴルズィアから来たんだよ。商業都市エランダ出身なんだ。……知ってるかな?」 (知ってるも何も……)  ヴルズィアは大きな大陸と周囲の小さな島々で形成されていた。大陸は大きな都市が8つあり、そのうちの一つが商業都市エランダだった。そしてそこは、ソフィアのいた村の南方に位置し、一番近い都市だった。  思いがけず、近くを知る相手と会った事で、嬉しさよりも困惑が込み上げてくる。  それはそうだ、ソフィア自身はヴルズィアに良い思い出は何も無いのだ。  黙ったままでいると、シンは気にした様子もなく笑って「そういえば」と切り出した。 「食事に来たんじゃなくて、別の用があるって言っていたよね。聞かせてくれない?」
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