154人が本棚に入れています
本棚に追加
第5話 勧誘
テイルラットの冒険者の宿“春告鳥の翼亭”で偶然出会ったシンは、ソフィアと同じ世界の出身という。しかも、シンが話す事が真実だとすると、どうも“ご近所さん”らしい。
しかし、だからといってその言葉通りに受け止める事は難しい。あまりにも出来過ぎではなかろうか。
どう答えるべきか、どこまで話すべきか……そもそも、自分自身、情報を集めてどうしようというのかすら分かっていないソフィアは、小さな口を引き結んで黙り込む。
「――まぁ、すぐに信用するのは、難しい……かな?」
くすり、と小さく笑ってシンは言った。何だかその余裕がある態度が癇に障り、むっとしてソフィアは顔を上げた。
「会ったばかりだし、信用しろって言われたら逆に疑うわよね、普通」
我ながら可愛げの無い言い方だという自覚はある。現に、シアンは食後の紅茶を飲みつつ、「うわぁ、可愛くねぇなぁー」などと呟いている。――とはいえ、その言葉は、嫌悪というよりはどちらかというと面白がって言っている様子だったが。
シンはといえば、特に気にした様子も無く、にっこりと微笑んだ。
「そっか……まぁ、そうだよねぇ。じゃあ、その内、信用してくれると嬉しいな」
「無理」
小さく息を吐いて短くひとこと言って、立ちくらみを起こさぬよう、気をつけながらゆっくりと立ち上がる。
「あれ、もう帰るの?」
「―――あたしは、今自分がいる状況を整理するためにここに来たの。さっきのあなたの話しで少しは情報も得られた……」
言葉の途中で、遠くから高く響く鐘の音が聞こえた。思わず聞こえる方角に顔を向ける。恐らくこれが、アトリが言っていた正午に鳴る鐘なのだろう。
「……情報を得られたし、これから今日の宿を探すつもりだから」
言いながら、シンの方に顔を向けると、何だか微妙な顔をしてじっとソフィアを見つめていた。
その表情は、悲しみや苦み、遣る瀬無さが入り混じった感情を、薄い布で覆い隠そうとして失敗したようなものだった。
―――今の言葉で、何か問題があっただろうか?
分からず、眉を顰めて首を傾げる。
「何よ?」
「あ、ああ……ええと、泊まる場所なら、僕の住み込みで働いている孤児院に来ない?」
余程慌てたのか、シンがとんでも無い事を口走った。
「はぁ?! あたし成人してるって何度も言ってるでしょ?」
「うん、うちの孤児院、年中人手が足りないんだよ。だから、ミードちゃんも住み込みで働かない?」
「…………」
声を失って、口をぱくぱくさせつつシアンの方を見やると、彼は笑いながら肩を竦めるのみで会話に加わるつもりは無さそうだ。
「うちの孤児院、みんな良い人ばかりだから安心して。丁度、人手が足りなくて困ってたんだよ」
「ちょ、ちょっと……」
「ああ、そうだ。さっきも言ったけど、ここでは僕らの様な半妖精は珍しいから、」
一度言葉を切ってから、シンは続けた。
「――だから、謂れのない迫害を受ける事も無いよ」
その言葉に、更に絶句する。このシンという人は、一体どこまで自分の事を分かっているのか……否、同じヴルズィア出身という事であれば、シン自身もそこで辛い目に遭って来たのだろうか。
そう考えたところで、ソフィアはある事に思い当たり、愕然とした。
シンは、ヴルズィアでは、人間と妖精の異類婚は稀にあるが、快く思わない人が多いと言った。そして、自分は妖精の血を色濃く引いている……様に見える、とも。
(――――じゃあ、あたしがあの村でずっと「いない事」にされていたのは……あたしが、シンの言う様な「半妖精」だから、って事? あたしはあの世界では、そういう……“存在”、だったって事?)
無意識に両耳に手をやる。確かに人とは違う形のものがそこにあった。
人間のなりそこない、と誰かが叫んでいた。鼓膜の内側に焼きついたように、その言葉が今も残っている。
「ミードちゃん?」
訝しげなシンの声で、ハッとして手を下ろす。
「な、なんでもない。っていうか、初対面の相手を仕事に誘うって、警戒心ないの?」
青ざめた顔を誤魔化すように、語気を強めて言い放つ。
「あたしが悪いヤツで、あなたを騙して孤児院で働くって言い出して、滅茶苦茶な行いとか悪い事をして消える可能性だってあるでしょ? もしそうなったら、孤児院は大変な事になるし、連れて来たあなたの責任だって問われる事になるのよ?」
一応、これは本心だ。そういう人間がいてもおかしくない。会って間もない人間を職場に勧誘すべきではない、と思うのは、至極当然だとも思う。
「……あなたはヴルズィア出身で、今はここ……テイル、ラット? で、その孤児院に住み込みで雇ってもらってるんでしょ? 馬鹿な事を言ってないで、あなたは自分の仕事をこなして、居場所をきちんと確保した方が賢明だと思う」
険のある言い方になってしまったかもしれない。それでも、一応―――ソフィアなりの善意の言葉だ。
もしシンも、自分と同じ様にヴルズィアで存在を否定されて迫害されていて、この世界で漸く居場所を見つけたのだとしたら、大事にすべきだと思う。
「えっと、……ありがとう」
その気持ちが通じたのか、それとも違った意味として受け取ったのかは分からないが、シンは嬉しそうに小さく笑いながら頷いた。
「はは、シンさん、ちっこいのに説教くらってら! こりゃ、今度ミアさんに教えてやろ!」
「?」
からかうように笑ってシアンが言うが、シンはよく分からない様子できょとんと首を傾げる。
「……あー、うん……まぁ、シンさんは、そっすよね……」
揶揄い甲斐がねぇなぁ、とぼやきながら、シアンはソフィアに目を向けた。
「あんま事情は分からねぇけど、ここに来たばっかりなんだろ? 本当に成人してるってなら、冒険者としてやってくって手はあるぜ。っつーのも、冒険者の宿は基本ツケがきくから、泊まって、仕事請けて、その報酬で支払って……ってやりくりは可能だからな」
言いながら、ソフィアの全身を眺めて、困ったように頭をかく。
「とはいえ……お前、ミード、だっけ? もちっと食った方がいいぜ? あと、寝ろ。子どもは寝て育つって言うしな!」
「ちょっと…子どもじゃないって言ってるでしょ!」
「おーおー、子どもは大体そう言うんだよ! いくつだよ? ぜってー成人したてだろ?」
「じゅ……う、ななよ!」
(ちょっと盛ったかもしれないけど……!)
やや後ろめたい思いはあれど、一応、大体合っている――はずなので、堂々と胸を張る。
「な……なん、だと……お前、それで……俺と同い年だとぉ?!」
えええええ、とおかしな声を上げながら、シアンが目を剥いた。ソフィアを指す人差し指がぷるぷると震えている。
「シアン」
微笑んだシンが、小さく一言。――無駄に言葉を並べ立てるよりも十分効果があった様で、シアンは黙った。とはいえ、「嘘だろ」「マジか」「世も末だ」などと、口の中でブツブツ言っているが……
「――ツケで泊まれるのは、確かに利点ではあるけど……ミードちゃんの身体だと、冒険者はあまり向かないんじゃないかな」
悶々としているシアンを華麗にスルーしつつ、シンはソフィアに向き直る。
「だから、ね? 孤児院に」
「あなた、さっきあたしが言ってた事、聞いてた?」
思わず、遮るように盛大に突っ込みを入れてしまったが、シンは気にせず笑って続ける。
「もちろん聞いていたよ。でも僕、これでもそれなりに年をとってるからね。人を見る目はあるつもりだよ。」
「………え、"それなりに"……?」
「うん」
こともなげに頷いてシンが答える。
「この前、75歳になったよ」
「え」
「この町に来るまでは、4~5年かけてこの世界を旅してたし、あっちの世界……ヴルズィアでは、数十年は冒険者として依頼を請けたりしてたしね」
「……え」
(な……ななじゅう……ご?)
呆然とシンを見る。中性的な顔立ちで、少し日焼けした肌は健康的でいて皺など一つも無い。その姿の、どれを取っても「十数年冒険者をしていた75歳」には見えない。いやむしろ、これは彼なりの冗談だったのではなかろうか。
(突っ込んだ方がいいのかしら……)
思わず真剣に頭を抱えて、ソフィアは言葉を探す。
「いやいや、本当だから」
微苦笑してシンが肩を竦める。どうやらソフィアが信用していないという事を感じ取ったらしい。
彼は表情を改めて、再び柔らかな微笑を浮かべて補足した。
「妖精が長命なのは知ってるよね? その血を引く半妖精も、それなりに寿命が長いんだよ」
「まぁ、お前が驚くのは分かる。俺も最初聞いた時はビックリしたもんな。特に、シンさんは天然入ってるから、尚更若く見えるよな」
「そうかなぁ?」
「そーゆートコっすよ……?」
ぽんぽんと会話するシンとシアンに混じらず、ソフィアは思案する。
(冒険者……――考えてもいなかった選択肢だわ。冒険者ってあれよね…剣、とか魔法……とかで、戦ったり……)
「あー、まぁ、最初の内は冒険者として登録だけしておいて、依頼を請けるかどうかってのは実際依頼が来てから考えればいんじゃね? そうそう依頼なんてねぇし、自分の身の丈にあったもんってなると、もっと少ないのが現実だ」
「でも、登録だけしておいて、っていうのは、ちょっと……」
何だか詐欺みたいじゃない、という言葉を飲み込む。
「いーんだよ! 登録さえすりゃ、冒険者だし! 大体、冒険者やってる連中は副業持ってるヤツの方が多いんだぜ? シンさんだって普段は孤児院の手伝いしてるけど凄腕冒険者だし、俺だって依頼探しつつ普段は他にも色々やってるんだから」
「……考えてみるわ」
「えー」
ソフィアの返答に、不満げにシンが声を漏らす。どうやら本気で孤児院の人手として勧誘していたらしい。だが、ソフィアとしては自分が孤児院で出来る事など何も無いという事が分かりきっているし、むしろ、親のいない愛情に飢えた子ども達の側に、己の様な善人とは程遠い、ひねくれた性格をした人物が近付くのは、悪影響を与えてしまいかねない様に思えた。
「少なくとも、孤児院で働くって事よりは、断然現実的な考えね」
そんな事ないのになぁ、とシンがしばらくごちゃごちゃと言っていたが、聞こえなかったふりをして踵を返す。
「っと、んじゃ、またな!」
「気が変わったら、いつでも孤児院においで」
2人がそれぞれの言葉をソフィアに掛けた。どう応えたら良いか分からず、小さく「さよなら」とだけ呟く様に言葉を発する。
外へと続くドアのノブに手をかけたところで、
「あ、そうだ。ミードちゃん」
「……何よ」
シンが声を掛けてきた為、ソフィアは少し振り返って、シンの言葉の続きを待った。
「知らない人についていったら駄目だよ?」
「………っはぁああ?!」
シンは大真面目に言っている。――だが、いや、だからこそ、ソフィアは盛大に顔を顰めた。
そして一言。
「ば っ か じ ゃ な い の ! ?」
正に「ぷんぷん」という表現がピッタリな様相で、春告鳥の翼亭を出て行った。
そして店内では、シアンの大笑いする声がしばらく続くのだった――
最初のコメントを投稿しよう!