私は幸せでした

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 しばらく何もする気が起きなかった。  まだ彼女がいた名残のある部屋を変えたくて、たぶん昨夜使ったであろうベットの上に倒れる。  浮気はしていない。ただ、俺が遅く帰ったら彼女も同じように不安になったり、心配したりしてくれるんじゃないかと思ったんだ。  そんな子供みたいな理由からした軽率な行動で……最悪の結果だ。  本当に帰ってこない気なんだろう。最後に見た、朝日に照らされた彼女の横顔は今までで一番晴々した表情をしていた。 「そんなに……嫌だったら…………とっとと………………とっととさ……捨ててくれれば良かったのに」  ずっと我慢していた涙が溢れた。もうこの部屋に彼女が帰ってくることはない。この情けない姿を見せたくない人は帰ってこない。  いつの間にか寝ていたんだろう。気が付いたら部屋は真っ暗だった。涙はそれでも枯れてくれない。心だけが空っぽだ。起き上がる力も出なくて、再びまぶたを閉じた。  妻が出て行ったのが土曜の早朝。それから日曜の夜まで何もする気が起きずに寝て過ごした。このまま月曜日の朝まで寝てしまおうと思っていたけど、お腹がグゥグゥと別の生き物がいるみたいに主張するから仕方なく、日曜の夜にカップ麺を食べようと布団から這い出た。2日ぶりに電気が付けたリビングの机の上に茶封筒が一つぽんと置かれていた。  何も考えずにその封筒をひっくり返すと、半分書かれた離婚届が机に落ちた。  結局そのあとにご飯を食べる気分にはならなくてベッドに戻った。月曜日はそのまま仕事を休んだ。  そして、火曜日は遅刻したが会社に行くことができた。 「おはようございますー」 「川内ーもう昼だぞー」 「すんません」  遅刻の連絡はちゃんといれたが、周りは何かを察したのかソワソワと煩い。でも何も聞かないでくれてた優しさにホッと息を吐いた。 「先輩……」 「璃子さん……大丈夫だよ」  金曜の夜に付き合ってくれた後輩は心配そうに声をかけてくれるが、今は八つ当たりをしそうで彼女と話す気にはなれない。  何かを察してくれたのか彼女は僕の返事を聞くと「そうですか……」と言って離れてくれた。優しくて気の利く子だ。昔の恵子を思い出してまた涙が出かける。 (ダメだ……公私混同、良くない)  僕はトイレで顔を洗って、仕事に没頭した。幸いなことに昨日の分の仕事もあり、手も頭も休む暇なく動かすことができた。  帰る頃には心身共にヘトヘトで、ベットに入ればすぐに寝付けるだろう安心感があった。そんな状態で職場のビルを出ると、そこには待ち伏せていた璃子さんがいた。 「先輩」 「璃子さん…………お疲れ様」  話しかけないでとは言えない。でも今はそっとしてて欲しい。だから何か話したそうな璃子さんの顔に気付きながらも頭を下げて通り過ぎる。  だけどそんな僕の願いは届かず、彼女はすれ違う僕の腕を掴み話しかけてきた。 「先輩。ちょっとお話があるんです」 「ごめん。今は無理なんだ」 「今すぐです。私と来てください」 「はぁ?」  頭にきてついキツイ言葉遣いになってしまったが、璃子さんは臆することなくさっきよりも強い力で握り直して僕を引っ張った。  会社のビル前で目立つこともあり怒鳴ることもできず僕は付いていくしかない。ちょっとした抵抗の意思で後ろに体重をかけるが、子供が嫌々引きずられる姿になるだけで余計にカッコ悪い姿になった。  そんな感じで引きずり込まれたはいつもと違う色をした改札の前だった。 「お前さー」 「先輩。私は恵子の親友ですよ」  会社から離れたココならと噴火しかけた僕の言葉を遮って、苛立ちを隠さない声が張る。  そうだ。璃子さんは彼女が働いていた頃に親友だった。新入社員の頃に知り合い、同じテレビ番組の話で盛り上がってからずっとランチを一緒にしていたらしい。だから彼女の好みを探るために璃子さんと話すようになり、色々相談を聞いてもらうようになったんだ。 「それは……そうだが……」 「私は今でも恵子の親友です。恵子は、私の大切な人なの」  真剣な目が逃げることを許さない。散々相談に乗ってもらっておいて破局の危機を知らせず、関係ないと突っ張ねるのは確かに違う気がする。 (でも、これは流石に夫婦の問題だし……彼女の意思は決まっているし……親友だからと言って伝えるのは……!?)  まさかと、僕はあることに気付いた。 「もしかして……恵子の居場所を知ってるのか?」 「ええ」 「!?どこだ!君の家か!?」  さっきまで振りほどきたかった手を必死に握る。やっと掴んだてかがりを放すわけにはいこない。 「先輩は。恵子のことをどう思ってるんですか?」  璃子さんの真剣な瞳を真っ直ぐ見つめ返し、僕ははっきりとした声で応えた。こんなにしっかりと言葉を紡げたのは三日ぶりだ。 「それはあの日にも話した通りだよ。誰よりも大切なんだ。彼女が、俺がいない方が幸せだと言うなら、ちゃんと……彼女の望むようにする。でも、何も言われていないままで終わらせたくない」  そう。僕がこの三日間、特に昨日悩んだのは彼女の気持ちだ。彼女は一度とて僕のことを嫌いと類する言葉で罵ったことがない。  何がダメなのか。何が嫌なのか。それを教えてほしい。 「先輩の幸せは?恵子に会って、先輩は幸せになるんですか?」  ボク?僕の幸せ?そんなの、四年以上前から決まっている。 「恵子が側に居てくれることだ」  でも、居ない方が彼女は幸せだと言うなら俺は自分の幸せを捨てられる。それくらい、唯一無二だと思ってる。 「……わかりました。案内します」 「ありがとう!!」  僕の返事を聞いて笑った彼女についていく。  ちゃんと教えて欲しい。  ちゃんと伝えたい。  君と僕の幸せを……
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