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【晴/クリスマス/前】
※高校二年生冬
「……ぅっわあ……」
景久君の下宿での恒例の週末デートを終えて、後は帰るだけになってしまった。
あまりの寒さにのろのろと身支度を整えていた俺は、部屋を出る前に窓に寄り、何気なく障子を引き開けてみた。妙に静かな外の様子に違和感を感じての行動だったが、予感が的中したようだ。
「雪! 景久君、雪積もってる……!」
確かに今日は『平野部でも雨かみぞれ』という天気予報だった。朝からぐずついた空模様に、行きは母に便乗して父の車で来たものの、帰りはバスと徒歩なのでブーツと傘を用意していた――のだが、外は既に十センチ近い雪が積もり、まだ止む様子もなく細雪が降りしきっている。
「……これはすごいな」
俺の肩越しに外を見た景久君は思わしげに眉をひそめると、携帯を操作しはじめた。
俺は久々に目の当たりにした大雪に呆気にとられ、ガラス窓を開けて外を覗き込んだ。幸い風はないが細かく降る雪が視界を覆い、庭の木々の姿すら曖昧に隠している。
「――鉄道は遅れつつも動いているようだが……バスは無理かもな」
俺が雪景色に見入っている間に、景久君はそんな情報を仕入れていたらしい。相変わらずしっかりしてるなあって思ったけど……俺がぼんやりしすぎなんだろうか。
「歩いて帰るしかないなあ」
傘とブーツもあるし。けど、視界が効かなくて捗らなそうだなあ。それに何より寒いし。雪の中長時間歩くことを考えただけで背筋に震えが走る。
だが実際に震えたのは、俺の携帯だった。鞄から出して確認してみれば、『着信/母』。
おや? 珍しく電話だ。
「かーちゃんだ。……はーい?」
『晴、そっち雪どうだ?』
「え、すごいよ。二メートル先も見えないかんじ」
『だよなあ。どのくらい積もってる?』
「十センチくらいかなあ?」
『……こっちの方が積もってるぞ。お前、帰ってこれる?』
「え――……」
……ここで帰れないって言ったら、外泊を許されるんだろうか……? そんな期待がちろっと胸に沸き起こる。
さてどう答えたものかと景久君を流し見るが、彼はバスの運行状況を調べているようだ。
『なんなら、景久君のとこに泊まらせてもらうか?』
「え、いいの⁉︎」
俺が言い出すよりも先に、望んでいた答えを母がくれた。
弾んだ声を出した俺に反応して、景久君が顔を上げる。その彼に頷いて、母の声が聞こえるようにお互いの耳を寄せ合う。
『お父さんがなぁ、今さあ、迎えに行くってスタッドレスに履き替えしてるんだけど。突然の雪だろー? ノーマルタイヤから貰い事故するのが心配だからな、俺としては車出して欲しくないんだよ』
つまり母としては、父の安全の為にむしろ泊まって欲しい訳か。
『だからな、景久君の都合はどうだろう? 無理なら駅前に巧が泊まるらしいから、晴もそっちに』
駅前っていうのは、舟木道場最寄りの市駅近くにあるマンションの呼び名だ。祖父が昔やっていたレストランの上階で、うちの持ち家のひとつ。昔は帰宅しそびれた祖父が寝泊まりする用のマンションだったが、今は祖父と兄がもっぱら、カメラやバイク、トレッキングにまつわる趣味の家として使っている。
俺は大慌てで景久君に首を振って見せた。景久君はうなずくと、俺の携帯を受け取って母と話し始めた。
「景久です。こんにちは。此方は大丈夫ですので、ひと晩、晴君をお預かりします」
『あ、景久君。良かった。じゃあ宜しく頼むよ。舟木の奥さんにも連絡しとくから。晴、お前ちゃんと小遣い持ってるよな? 夕飯とか下着とか買いに行くんだったら、くれぐれも車に気をつけろよ』
「うん。分かったー! とーちゃんをちゃんと説得しといてよね! じゃあね〜!」
俺はにこにこしながら通話を切った。えへへ、思いがけずお泊りだぞー!
「わーい!」
俺は万歳してデイパックを放り出そうとしたが、景久君はそんな俺を抱きとめた。
「暗くなる前に買い物に行こう」
「あ、そっか」
身支度終わってるから都合が良いもんね。
雪の降るなか外に出た俺たちは、一旦母屋に寄って、船木の奥様に今晩泊まる挨拶をした。母から既に電話があったらしくすんなりと許された。良かった。そして通用門から外に出たのだが、見慣れた街は驚く程にその様相を変化させていた。
「うわぁ……、しろい……」
建造物の何もかもが重たげな雪に塗り込められ、立体感すら見失いそうな白さだ。その合間にチカリとまたたく信号機や店の照明が、降りしきる雪に乱反射して輝いている。
常にはない美しさに見惚れていると、景久君が俺の手から傘を抜き取ろうとした。
「?」
「晴。手を繋いで、こっちに」
自分の傘を掲げながら、もう片方の手を俺に示す景久君。
「わかった!」
相合い傘で恋人つなぎだ! 嬉しさに思わず満面の笑みを浮かべながら、自分の傘を畳んで腕に引っかける。そして景久君にびったりと寄り添って、彼の大きな手を指を絡めて握り込んだ。
景久君の手、あったかい。
「多少雪はかかるが、この方があったかそうだ」
「ふふ、ホントだねえ」
傘の中で、お互いの吐く息が白く混ざり合っている。
「風邪引くなよ?」
「うん」
さむいけどさむくない。なんか胸がうずうずしちゃう感じでぽかぽかするよ。
「なんなら俺だけで買い物行ってくるから、部屋で暖まってるか?」
日頃から大袈裟に寒い寒いと騒いでいるからか、景久君はすっかり心配性で過保護だ。
「やだよ一緒に行きたい」
だってこんな非日常。なかなかないよ?
「そうか」
「うん。そう」
二人で雪の中を歩くなんて、柄じゃ無いけどロマンチックじゃん――と俺は思うんだけどな。
伝わったのか伝わってないのか良く分からないまま、俺たちは手を繋いで雪降る街を歩き始めたのだった。
目指すは最寄りのコンビニ。
距離は直線にして400メートル程度。ごく近距離。せっかく相合い傘で手を繋いで歩いてるのに、もっと遠くてもいいんだよ?
だからわざとゆっくり歩いて景久君の隣を堪能してたんだけど、……着いちゃった。
買う物は食料。今日の夜と明日の朝、もしかしたら昼の分もかな? で、俺は下着と靴下も必要だ。
「なに食べよ? ホントは熱々の鍋でもやりたいけど」
残念ながら土鍋も食材もありません。お泊まり出来るとか分かってたら色々用意したのになあ。
「俺はおでんがいいな」
「おでん。おでんいいねっ」
とはいえおでんは店頭での販売なので後回しにして店内をぐるっと歩く。道中で俺の下着と靴下をカゴに放り込み、飲み物を選ぶ。そしてデザートを見に行って、小さいけど綺麗なケーキに目が釘付けになった。
生クリームとホワイトチョコのコポーで飾られた円形のいちごショートだ。いちごの脇には柊のピックが添えられていた。
「いかにもクリスマスって感じだねえ」
そのケーキ以外にもクリスマスっぽいデザートが沢山ある。よく見れば店内にも赤と緑の装飾がなされているし、カウンターの什器まわりも煌びやかだ。
「そうだな」
ちなみに今日は十二月二十一日の土曜日。二十五日は週半ばの平日で、二十六日が終業式である。
だからクリスマスと言っても特別な予定はなかったんだが――……?
「……ケーキ買うか……?」
「……おでんも買うけど、チキンも買っちゃおうか……?」
一瞬で意思の疎通を図った俺たちは、クリスマスっぽい食料をぱぱっと買い込んだのである。
コンビニから出ると、雪は止みかけていた。
「わあ。もっと頑張って。でないととーちゃんが迎えに来ちゃう」
傘も必要ない程度の降りになっている。景久君に手を引かれて歩道内側を歩きながら、俺は雪にけぶる灰色の空を見上げた。
「晴。足元見ろよ。滑るぞ」
「はーい……、て、ひゃぁッ」
言われた端から足を滑らせる俺を、景久君は危なげなく引き寄せて受け止めてくれた。
「あ、ありがと」
俺もびびったけど、景久君はもっと驚いたらしい。頬を引きつらせたまま、深く息を吐いた。
「……お前に怪我させたら、それこそ仁科さんになんて思われるか……」
「あ、あは。ごめんね」
でも咄嗟の反射神経がさすがだよ。かっこいい。
「車が突っ込んでくる前に帰るぞ」
「怖いこと言わないでよ……」
駅に続く幹線道路は二車線の一方が、雪に足を取られて立ち往生した車たちで埋まっている。流れているのは片方ずつだが、流れていると言い難いくらいのとろとろ運転だ。きっとみんな冬タイヤを履いていないのだろう。
俺はそれを横目で眺めて、かーちゃんの心配ももっともだと思いながら景久君に寄り添った。
下宿に帰り着く頃には、雪は再び激しさを増していた。良かった。
お互いのコートにつもった雪を払い、下宿に入ると暖かさが肌に染みた。いつも隙間風がどうだこうだって文句言っているのにさあ、我ながら現金なものです。
「夕飯にはまだ早いな」
「そうだねえ」
買って来た物を冷蔵庫に入れたり、台所に並べたりしていく俺。
景久君は襖を開けて自分の部屋を覗いて、それからその隣の襖――物置にしている部屋を覗いている。
「どしたの?」
「ん、いや。冬に泊まるとなるとさすがに俺のベッドだけじゃ風邪を引かせそうだなと」
ふむ。
俺に言った事で決心が付いたのか、景久君は電気を付けて部屋に入っていった。俺は反射的にその後を追う。
部屋の中には季節外れの扇風機や冷風扇、座卓などが置かれていた。古びた年代物のそれらに紛れて、布団乾燥機がぽつんとあった。歴史を感じさせる物たちの中でその乾燥機だけ、コンパクトで今風なデザインに見える。仕舞い込まれている物たちの中でこれだけが現役なのかな?
景久君はその布団乾燥機をひっつかむと振り向いてきた、から、後ろに立ってた俺とぶつかりかけてだね。結果景久君の腕の中に収まる俺――避けようとした腰をがしっと支えられて腕の中ですよ。
まあでもなんていうか、色っぽい雰囲気は実は微塵もない。距離がゼロになったついでにキスしよーぜとか、そんなボーナス的なのもない。
「晴。いたのか」
ほら、至って普通だ。
「うん。ね、それどーするの?」
「上の部屋に予備の布団があるから、俺の部屋に運び込もうかと思う」
ということで、今度は二階に上がる俺たち。
そこでは畳の上にそのまま布団が積まれていた。
「ひと組だけ持って降りて乾燥機を掛けよう」
「ってことは俺は布団で景久君はベッド?」
「だな。逆がいいなら替えるが」
「……じゃなくて。折角だしひっついて寝たいな、って」
だって泊まれるのなんて滅多にないんだよ? 正面切って頼んだところであのとーちゃんが許してくれるとは思えないし。だから今日は貴重な機会なのに、別々の布団に離れて寝るなんて淋しいじゃんか。
俺の訴えに、景久君はぶわっと顔を赤くした。
……え、照れた……?
「――勘弁してくれ」
へ。
「意識しないようにしてるのに煽り立てるなよ」
って言われても……?
「……えっと……?」
分かってない感じの俺に、景久君はきゅっと眉を吊り上げた。
「とにかく。寝るのはベッドと布団で別々だ。なんなら部屋を分けたっていいくらいだ。じゃないと大変な事になるんだからな」
大変なこと……あ、もしかして――!
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