【平/元旦祈念】

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【平/元旦祈念】

「いッぇえええ――い! 平っ、これ見て!」  鯨井家の庭伝いにうちの庭に駆け込んできたてるちゃんは、大興奮した様子で手に携帯を掲げている。  暖房を掛けてぬっくぬくにしたリビングで本を読んでいた俺は、玄関に回っててるちゃんを迎え入れた。 「おめでとう。お目当ての機種、あったんだね」 「うん!」  新品の携帯を手に嬉しそうな顔のてるちゃん。手には携帯を買った時の紙袋をそのまま下げている。  なんと今日は、てるちゃんの『人生で初めてマイ携帯を手にした日』なのだ。  うちは両親が留守がちだから、俺は小学生にあがるなり携帯を持たされていた。でもてるちゃんはお母さんが家にいるから必要なかったんだよね。  ところがそんなてるちゃんも今年から中学一年生。毎日部活を頑張っていて、小学生の頃とは比べものにならない遅い時間に帰宅してくる。それでも日が長い間は良かったんだけど、十月半ばの現在。五時ともなれば真っ暗である。  だから、もしもの時の防犯や安否確認の為にと携帯を持たされたって訳。  持たされたって言っても、てるちゃん自身は小学生の頃から欲しい欲しい、平だって持ってるのに、ってずっと言ってたからさ。  だから今日は満を持しての、 「めっちゃくちゃ嬉しい――!」  この満面の笑みなのである。見てるこっちもにこにこしちゃうよね。 「そういや家には入らずに来たの? 直行?」 「うん。だってかーちゃん、とーちゃんとそのままお茶しに行った」 「てるちゃんだけ降ろして? どこ行ったんだろ?」 「マーロウ。パンプキンパイ食べるんだってさ」  ああ、そういう季節だねえ。 「へー。いいじゃん。てるちゃんは?」  甘い物全般大好きなてるちゃんなのにパイ食いっぱぐれて良かったのかな、って思って訊いてみたんだけど。てるちゃんはにへっと笑って首を傾げた。 「平きのう、プリン作るって言ってたじゃんか」  言いました。『てるちゃんいないなら暇だからプリンでも作っとこうかな』って言いました。  マーロウよりも俺のプリンなんだねえ。嬉しいじゃんねえ。 「出来てるよ。今食べる?」  本当は夜に持っていこうと思ってたけど。お母さん達がマーロウ行ってるならお土産できっとかぼちゃプリン買ってくると思うし。 「うん!」  はい。良いお返事良い笑顔。大変かわいい。  俺が紅茶を淹れている間にてるちゃんはリビングに荷物を広げてた。  カウンター越しに様子を見てたんだけどさあ……、眉を寄せて真剣な顔つきでフィルムを貼り付けてんのがすっごいかわいいの。思わずふふって笑っちゃったらびくって飛び上がって。謝ったけど睨まれた。ごめんね。でもその顔もとてもかわいい。 「貼れたぁ……」  達成感で胸いっぱいの溜め息ですね。 「おめでとう。成功?」 「うん。気泡入んなかった」 「良かったねえ」  紅茶とプリンを並べる俺と、いそいそと携帯にケースを装着するてるちゃん。 「お父さんとお母さんはもう登録したの?」 「うん。平も教えてくれ」 「はぁい」  食卓に放置していた携帯を持っててるちゃんの隣に座る。そして携帯を操作しあって、お互いを登録する。 「平で三人目だ」 「猛兄は?」 「どっか行ってるもん。平は友達いっぱい登録してんのか?」 「全然。学校で出したりしないから、持ってることも気付かれてないと思うよ」  学校外で友達と連絡とる時間があるなら、てるちゃんとお喋りしてたいもの。そんな訳で俺の携帯はひっそりしたものだが、てるちゃんのはどうなってしまうのか。  きっと友達と登録しあうんだろうけど、携帯に掛かりっきりにならずに俺にも時間を割いてくれますように。 「へー。まあまだ小学生だから持ってない奴も多いだろうしなぁ」  と、携帯を手に入れて脱小学生気分の深まったてるちゃんが申しております。 「お」  てるちゃんの携帯がデフォルトの通知音を響かせる。 「かーちゃんだ」  ディスプレイにはお母さんからのメッセージが表示されていた。写真付きだ。 「『今年も美味しいわぁ。お土産はプリンとパイどっちがいいかしら?』だってさ」  写真にはきれいな色のパンプキンパイが写っている。その向こうにお父さんの手がちょっとだけ入り込んでたり。  てるちゃんはしばし悩んでから『プリンは平の食べるし。パイだな』と決めて、ちゃちゃちゃっと返事を打ち込んでいた。所持自体は初めてでも、お母さんの携帯やタブレットで操作そのものは慣れてるんだよね。  で、返事を返しおわってから。 「……俺もなんか写真送ってみたいなー……」  と言い出すてるちゃん。 「じゃあこのプリンとお茶撮る? お母さんに送ってみる?」 「撮る。みる!」  てるちゃんは構図を変えて何枚か撮ってからお母さんに送信してた。 「平さあ、にーちゃんの番号知ってる?」 「知ってるよ」 「教えて」  弟さまに対して否やのあろうはずもない。  ちゃちゃっと登録したもののてるちゃんは、文面に悩む様子だ。 「猛兄にもプリンの送るの?」 「唐突にプリンってのもなあ? やっぱ『携帯買ったぞ――!』からはじめたい気もする」 「ふうん?」  俺は自分の携帯をてるちゃんに向けて構えた。 「てるちゃん携帯持って笑って」 「お、おう」  戸惑ったものの一瞬でもちなおし、さすがの眩しい笑顔。ピース付き。かわいい。  納得の一枚に感動しながら、俺はそれをてるちゃんに送信した。 「うは」  てるちゃんにとっても納得の一枚だったようだ。  さっそくその写真に『携帯買ったぞ――!』とキャプションを付けて送信するてるちゃん。猛兄からは間髪置かずに返信があって、それが 『初携帯おめでと~! てるちんかわいい!』  と予想通りのものだったから笑ってしまった。  そしてあっという間に冬は進み、慌ただしく年末を迎えた。  さすがの俺たちも、年末年始に一緒に居たことはない。てるちゃんはご両親の実家をはしごして泊まり込んだり、お出かけだ剣道の稽古だーと忙しくしている。  かくいう俺にだって祖父母も従兄弟もいるし両親と海外で過ごす年もあったりで、てるちゃんばかりをあげつらえないんだけど。……淋しいなあ。  ――でも、今年からは強い味方がいるぞ! 「てるちゃん、メールしていい?」  てるちゃんは明日からお母さんの実家にお泊まりだ。そちらで年明けまで過ごして、それからお父さんのご実家に直行するそうな。  荷造りをしているてるちゃんの部屋に上がり込んで、俺はその様子を眺めている。携帯はてるちゃんの学習机の上にふたつ揃えて置いた。 「いいけど、すぐ返事がないとか怒んなよ?」 「三時間くらいは待てるよ!」 「……夜十時以降は禁止だ。返せねえ」 「あはは。そのくらいは分かってるって」  そんな約束をして、てるちゃんは翌朝旅立っていきました。  俺は自宅に残ってるけど、父も母もさすがにお休みを取るので買い物やお出かけにと毎日予定が目白押しである。父方の祖父母は市内在住なのでそちらにも顔を出し、泊まりに来ている従兄弟達に混じって泊まってみたりもして。  もちろんてるちゃんとメールはしている。俺からばかりじゃなく、てるちゃんからも送ってくれるのに満たされる。離れてても俺のこと覚えててくれてるんだ、っていうのに満足する。  ありがとう、てるちゃん。  ああでも、やっぱり本物が大好きだよ。早く会いたいなあ。  さて、元旦です。  ふと目覚めた俺は、枕元に置いた携帯が光っているのに気付いた。  ――てるちゃんだ……!  辺りを見回すと同室で眠りについている従兄弟たちはまだ寝ている様だ。  携帯を掴んで、俺は足早にトイレへ籠もった。 「……動画だ」  こんな時間からなんだろ? とどきっとしながら再生してみる。  真っ暗な画面からはじまったそれは、薄暗がりにてるちゃんの顔を映し出した。ニット帽にマフラーとコート姿の、頬が少し赤いてるちゃんだ。 「おっはよ~う平! 現在夜明け前です。ばーちゃん家の近くの山の上の公園に初日の出見に来てるんだ」  カメラが動いて、離れたところにいるらしいお父さんとお母さんの姿が映される。てことは撮ってるのは猛兄か。  すでに日の出が近いのか、地平線は白んでいた。浮かぶ雲も橙や桃色に淡く染まっていて……ああいうのを東雲と言うんだっけ。 「あと三分くらいなんだけどなー……にしても寒いなあ。日の出直後が一番寒いらしいから、まだ冷えるんだよなあ」  場を持たせようとしてか、明瞭な独り言を喋るてるちゃん。息を吹きかけた指先が寒そうだ。 「てるちん、手袋は?」  画面外から猛兄の声が飛ぶ。目を丸くしたてるちゃんは、 「ああっ、車の中に忘れた!」  とやっと気付いたらしい。あああ……。 「取ってくる!」 「てるちん! 今から取りに行ったら日の出に間に合わんでしょ〜? にーちゃんの嵌めてな」  画像が大きくぶれて、持ち直した時にはてるちゃんは手袋を嵌めていた。大きいから指先がびろびろしちゃってる。  いいなあ、猛兄。俺もあんな風にてるちゃんのお世話を焼きたいな。 「あんがと」  余った指先をぶらぶら揺らして遊ぶてるちゃん。  そしてその後ろ――白んだ空に曙光が差した。 「てるちん、うしろうしろ」  猛兄の声にてるちゃんが振り向いた。柔らかそうな頬の輪郭が朝日に染められて浮かび上がる。 「うぉ、初日の出……!」  てるちゃんの歓声が響く間にも、稜線を赤く染めながら太陽は高度を上げていく。それは昼の太陽からすれば思いがけない速さだった。 「ふぇー……すげえ……」 「真っ赤だねえ」 「鮮やかだわぁ」  てるちゃんの歓声以外のどよめきも聞こえてくる。  見つめる人達を余所に太陽は地を離れ、真っ赤だった姿も昇るにつれてオレンジから白へと変化していった。そしてとりまく雲からも彩りが消えた頃に、てるちゃんが振り向いた。 「にーちゃん見れたかー?」 「うん。にーちゃんも見た見た」 「良かった」  にぱっと笑ってこちらに駆けてくるてるちゃん。頬は相変わらず赤いままだが、寒いだけじゃないんだろう。珍しくて有り難いものを見た高揚を感じさせる笑みだった。 「平も見れたか?」  画面越しに問いかけて来るのへ、 「見れたよ」  思わず返事をしてしまう。  居るのはトイレなのにね――そうしちゃうくらい、てるちゃんの見せてくれた光景に没入してしまったんだ。 「せっかくだから平にも見せたくて動画にしたんだ。いつか一緒に見れるといいな? じゃ、あけましておめでとう! 今年もよろしくな! ――にーちゃんありがと――……」  画面に向かって手を振るてるちゃんが大写しになり、そしてぷつっと静止する。止まったままのてるちゃんの笑顔を見つめながら、俺は感極まった溜め息を付いた。  ――てるちゃん、大好きだ。  いつも何かしらねだるのは俺だけど、それを何倍もにして打ち返してくるのがてるちゃんなんだ。  ああ、本当にね。  いつか一緒に見られるといいね。  元旦なんていう特別な日に……家族と過ごす日に隣にいてもいい関係に、いつかなれますように。 (平/元旦祈念 おわり) あけましておめでとうございます。 あけてすぐはまだごたついているのでしょうが、進むにつれて落ち着いた世の中へと戻っていきますように<(_ _)>
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