【平/ホットケーキ】

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【平/ホットケーキ】

※巧小二、環小一、晴年中あたり  残業を終えて帰宅すると、家の中は静まりかえっていた。  ――あ、寝ちゃったか。  リビング扉の窓からもれる明かりが廊下を照らしているので、てるちゃんはまだ起きている。けれど我が家の三兄弟は夢の中なのだろう。起きていれば玄関まで声が響き、空気も何処となく暖かくて賑やかなのだが。 「おかえり」  リビングの扉を押し開けて、てるちゃんがひょこりと顔を覗かせる。 「てるちゃん、ただいまぁ」  十時間以上離ればなれでやっと会えた嬉しさに声をあげると、てるちゃんがしいっと人差し指を立てた。 「寝たばっかり」 「あ、ごめんね」  長男の巧と長女の環は子ども部屋で二人で眠れるが、まだ幼稚園児な末っ子・晴はそうもいかない。兄姉と一緒には眠らずに、俺たちのベッドで眠っている――しかも本人は、てるちゃんがベッドを離れる事なく夜通しずっと一緒に寝ていると信じ込んでいるのだ。何かの拍子に目覚めててるちゃんの不在に気付くと泣いて怒るので、絶対に起こしてはならないのである。  リビングを離れて玄関まで来てくれたてるちゃんは、眉をひそめつつも頬をほころばせるという複雑な表情をしている。会えて嬉しいのはお互い様、かな? 「ただいま」 「はい、おかえり」  仕切り直して軽く抱き合って、足音を殺しながらリビングに滑り込む。  明るい居間は無人だが、わずかに水音がした。 「母さん帰ってんの?」 「うん。二人でお茶してからお風呂行った。ケーキお土産に貰ったぞ~」  ダイニングテーブルの上にはカップが残され、ケーキ箱を装飾していたリボンが取り置かれている。環が欲しがるので残しているのだろう。 「美味しかった?」  そう訊くと、てるちゃんは満足そうに目を細めた。 「すっごく美味しかった。ちゃんと人数分あるからさあ、お前のもあるぞ。今食べるか?」  今日はそもそも最初から残業と決まっていたので、夕食は作ってもらっていない。会社近くで適当に済ませて来たが、なんとなく口淋しい。  反射的に頷きかけたが――、 「てるちゃん、ホットケーキあるじゃん。俺はあれがいいな」  テーブルの隅に置かれた皿を見て、思わず指を差す。  するとてるちゃんは、すごく驚いたようだった。 「え。でもあれ、晴の食べ残しだぞ。だからバターもシロップも染みこんでべちゃべちゃ……」  食べ残しなのは半分に切られた形から分かる。 「いいよ。てるちゃんが焼いたんでしょ? ホットケーキ久々だし、あれが食べたいなあ」 「えー。じゃあ温めるかあ」  てるちゃんは皿を持ってキッチンへと向かう。俺はその間にスーツの上着を脱いでネクタイを外し、鞄とひとまとめにして椅子に置く。そしてカラの弁当箱を持ってキッチンへ。  てるちゃんは、レンジの前で出来上がりを待っていた。 「お弁当ごちそうさま」 「おう」  やがて音が鳴って、てるちゃんがホットケーキを取り出す。 「バター塗り直す?」 「ちょっとだけ。シロップも足してほしいな」 「ほーい――あ、さっき飲んだ紅茶の残りあるぞ」 「ください」 「はーい」  くださいと言いつつ、てるちゃんはホットケーキの準備をしてくれているので自分でマグカップに注ぐ。 「ほい。出来た出来た」 「てるちゃんはさっきケーキ食べちゃったんだっけ? なんなら俺のも食べてもいいよ?」 「さみしんぼか。ちゃんと座って見守ってやるから、な?」  ケーキを餌に近くいてほしい、なんて魂胆は見透かされていたらしい。てるちゃんはホットケーキを食べはじめる俺の隣に座ってくれた。  ホットケーキそのものの味は、……まあ、染みこんだシロップが美味いけど、その分べっちゃりしちゃってる。てるちゃんの言った通りだし、俺の想像した通り。でも、てるちゃんが昼間これを作って、子ども達が歓声を上げながらテーブルを囲んだんだなぁって思うと、とても気が和む。  てるちゃんは食べる俺を眺めていたが、やがて口を開いた。 「それな、『おとうさんのホットケーキ』」 「ん?」 「子ども達みんな『おかーさーん。あのね、〝おとーさんのホットケーキ〟食べたーい』ってねだってくんの」 「……ああ、俺が教えたもんね。てるちゃんに」  だから、俺のレシピそのままで作ってるはず。 「そ。俺がさ、『これはおとうさんのホットケーキだぞ』って言ってたからなんだけどさあぁ……」  てるちゃんは溜め息をもらす。 「実際に焼いてるのてるちゃんだもんね。『おかあさんのホットケーキ』って呼んで欲しいよねえ」 「だよなー! 美味しい、って喜んでくれてんのはいいんだけど、『おとうさんのホットケーキ美味しいね』って言われちゃうのはなんか疎外感な訳よ」  うーん。俺も休みの日に子ども達に焼いてやることもあるし、実際、俺とてるちゃんのは味も分厚さも変わらない。てるちゃんは『おとうさんのホットケーキ』をとても上手に再現してる。子ども達としても、食べ比べても差がないから、『おかあさんのホットケーキ』と呼び分ける必要がないんだろう。  ではレシピを変えれば……と思うものの、てるちゃんだって俺のレシピが美味しいから子ども達に食べさせ続けてくれているんだろうし。俺の味をつがいが作り続けてくれているというのは、俺にとっても嬉しい訳で。 「じゃあさあ、バターとシロップ以外のトッピングを用意してみたら? てるちゃんが用意しやすい簡単なものでいいと思うけど」 「トッピング?」 「チョコソースでもジャムでも、カスタードとか生クリームでもいいよね。それがうけたら『今日は〝おかあさんのホットケーキ〟がいいな』っておねだりされるかも」  説明を聞くにつれて、てるちゃんの顔がぱあっと明るくなっていく。曇りの晴れたお日様のような笑みが本当にかわいくて、とにかく癒やされる。胸のすく感じがする。 「じゃあ今度やってみよ! 色々用意して自分で塗らせてもいいな。喜びそう」 「ホットケーキパーティーだね。俺にも今度焼きたてを振る舞って」 「おう! 子ども達に出してみて、うけたら、その次の休みにでもやってやるよ」 「うん。楽しみにしてる」  お互いに顔を見合わせてうなずき合った時だった。  ――……ぁぁああん 「起きちゃった――はるぅう、はるちゃーん」  聞こえた声に反応して、てるちゃんが部屋を駆け出て行く。敏捷だ。  俺は最後のひとくちを放り込み、紅茶を飲み干した。  こうなったら、てるちゃんはもう戻って来れないだろうな。  一階の風呂から響く水音はまだ続いている。  てるちゃんと母が使った茶器や自分の弁当箱を洗い終えると、俺も風呂に入るべく二階へと上がった。 (ホットケーキ/おわり) ※緊急事態宣言で休校中の娘にとにかくホットケーキをねだられるので焼きながら、母より父の方が料理上手だとこんな事態が起こるのでは? と妄想したもの。 
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