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【伸/プレイヤーの話】
「そういえばさー」
なんとなく思い出したことを、俺はそのまま声に出した。
「秋活動の時にね、井川君に音楽プレイヤー渡したんだよね。返して欲しいから、連絡とってみてくれないかなぁ?」
隣で親子丼を食べていた仁科は、しばし間を開けてからうなずいた。
「分かった。後でやっとくよ」
「お願いね」
うどんが好きなのでついうどんを食べがちなんだけど、今日は俺も親子丼にしてみた。
いつもカレーだのスタミナ丼だのと濃いものを食べている仁科にしてはあっさりしたものを選んでいたので、つい真似してしまったのである。うん、親子丼にしてはこってりとした味付けだけど、美味しいなあ。たまにはこういうのも良いね。
そしてその翌日、午前中のことである。
講義の合間に中庭――汐見君にあらぬ処を目撃されたあの中庭である――で休んでいた俺は、
「野上君」
ふいに声を掛けられて上を向いた。
「汐見君。おはようございます」
きっとそこが俺を目撃した部屋なんだろう。二階の窓から身を乗り出してこちらに手を振っている。隣には井川君も居た。
「元気そうで良かったよ。あれから困った事は起きてないかい?」
「はい。ないですよー」
ときっぱり答えたのに、すぐさま思いついて言葉を継ぐ。
「あ、そういえば昨日仁科から連絡行ったと思うんですけど。もしかして今日持ってきてますか? だったらここで受け取っちゃいますよ~?」
投げてくれ、とジェスチャーして見せるのだが、汐見君と井川君は首を傾げた。
「連絡? 頼に来てたかい?」
「いいえ。野上君、なんの連絡ですか?」
「え、俺の音楽プレイヤーの話です。秋活動の時の、まだ返してもらっていないので。仁科に昨日言ったら連絡しておくって言ってたんですけどね……?」
「え、でもそれはすでにに――」
「頼」
何事か言いかけた井川君を、汐見君が肘でつついた。
「仁科ってば連絡しわすれたのかもね。今日は持っていないから、仁科伝いに返すようにするね。今まで返しそびれていて申し訳なかったね」
「あ、いえいえ。お手数お掛けします」
「じゃ、またね」
「……はい。また」
汐見君はにこやかに笑って手を振ると窓を閉めた。
「……」
俺は腑に落ちないものを感じながらそのままベンチに座って、二人が去った窓を眺める。
――それはすでにに――
って言ったよね井川君。
――にの続きが『仁科君に返しましたよ』、だったとしたら……?
そう思い当たって、俺は一気に真っ青になった。
だってあれには……!
俺は反射的に仁科に電話を掛けた。
『野上どうしたの⁉ 電話なんてめずらしいじゃん』
しばらく経ってから出た仁科は、きっと何事かと思ったんだろうな。少し緊張した声音だった。
「……仁科、あれ聴いたの――?」
『……え?』
「俺が……」
俺の思い過ごしで仁科が何も知らないならそれでいい。だから、具体的に内容を告げる事が出来ないのだ。
不明瞭に投げかけた問いは宙に浮き、しばし沈黙が落ちる。
その沈黙が何を現しているのか、はっきりと見切る事が出来なかったが――、
「ごめん」
日和った俺は謝って通話を切断した。
「……」
電源を落として真っ暗になったディスプレイにしばし視線を落とし、溜め息をつく。
――別に、……聴かれたからってどうってことないんだとは思う……。
北原さんともめたのは説明してるし、彼女の性格からしてどんな言い様だったかはある程度予想もつくだろう。
だけどさ、やっぱり……見下されて怒鳴り散らされてるのを聴かれたくないんだよ、仁科には。
「あー、……俺の思い過ごしだといいな……」
ところが願いむなしく、仁科は俺に謝ってきた。
いつも通り俺のアパートで晩ご飯を一緒に済ませ、落ち着いた時にである。
「ごめん。当日に返してもらってたんだ」
ころんと俺の掌に乗せられた音楽プレイヤー。俺は細く息を吐いて、それをローテーブルに転がした。
「――聴いたの……?」
みじめさがぶわっと沸いて来て、俺は仁科の顔を見れなかった。
「うん。聴いたよ」
仁科の声は落ち着いていて優しい。
「……びっくりしたろ。すっごい怒鳴られてて……俺、かっこわる……」
北原さんとの事に関して俺に過失はないけれど、それでもあの時味わったみじめさは『恥』として俺の心を傷つけている。これは自分が正しいか正しくないかでは片付けられない、理屈では拭えない痛みなんだと思う。
「うん? なんで? 野上すっごくかっこ良かったよ?」
ところが仁科は優しい口調のままそう言うと、俺の頭を撫でてきたんだ。
俺は驚いて、傍らの仁科を見上げてしまう。
「か、かっこ良かった……?」
「うん。だって、ちゃんと自分で撃退できたじゃん。野上が言い返せるって思ってなかったから、嬉しかったんだ」
仁科は本当にそう思っているのか、上機嫌ににこにこしている。
「え、そうなの……?」
そしてにこにこしたまま俺の腕を引き、胸に抱きよせる。そこでまた俺の頭や背を撫でてきた。
「北原に言われたことなんて忘れちゃいな。野上はすっごく頑張ってたから、そこだけを覚えていたらいいよ」
いたわりの籠もった仕草と声音が、ふわんと心を撫でていく。
「――うん」
心の傷っていうのは簡単に消えるものではなくて、ふとしたきっかけで開くものではあるけれど。俺はこの時、仁科の優しさに癒やされるのを確かに感じていた。
そうやってしばらく甘やかしてもらって……意識を手放しかけていた自分に気付いて慌てて身を起こす。
「寝そうだった。あぶない」
「いや、ちょっと寝てたよ」
「え! や、なにそれ赤ちゃんみたいじゃん!」
「かわいかったよ」
仁科の笑みには揶揄いも悪意もないけれど、俺は羞恥に真っ赤になった。
「こ、この胸が悪いんだ……! この包容力! この、このこの!」
広い胸板に、意外と柔らかな筋肉が張り詰めた胸。それを俺は両手で揉んでみる。やだちょっと新感覚。
「ぎゃ、ちょ、くすぐったいっ」
ひゃはっと笑って仁科が身をよじるので、俺はそれを機に膝から転がり下りた。
そして目に留まったのが例のプレイヤーで。
「――消しちゃお」
あっさりとそう思えたのも、仁科がなぐさめてくれたお陰だと思う。
ためらいなくぱぱっと操作して、例の録音を消去。そしたらなんかすごくすっきりした。
仁科はそれを何も言わずに見ていたのだが、逆にそれがひっかかった。
「……仁科さんや。コピーしてたりします?」
そしたら仁科はえへっと笑った。
「だってあれ、俺への公開告白みたいだったじゃん。最上級の信頼宣言じゃんか。もうね、一生の宝物ですよ」
え? そういう理由なの? 北原さんがまたいちゃもんつけて来た時の用心とかじゃなくて? ――彼女退学したらしいし、あり得ないとは思うんだけど。
「――自分でなに言ったかあんまり覚えてないんだけど……そんなだった⁉」
「え、野上、覚えてないの?」
「だって夢中だったもん。その時言いたかったことをえいやって全部叩きつけた覚えはあるけど――え~? 具体的には覚えてない。ちょ、聴いてから消せば良かった……俺なに言ってたの……?」
うわぁ、にわかに不安になってきた。……本当に何を言い返したんだっけ……?
すがるように仁科を見れば、仁科はすごく嬉しそうにじわあっと笑った。
「俺の事信じるって言ってくれてたよ。野上の事『唯一無二』って言った俺を、信じるって」
(プレイヤーの話/おわり)
仁科がついた嘘を汐見が庇って、汐見はすぐさま仁科にメールで説明。その前後で野上から電話があって、「ばれたな……」って気付く流れでございます。
スロステ同人誌の購入特典にと思って書いたのですが、案外暗くなってしまって「いやもっとほんわか楽しいやつがいいでしょ⁉」と没にしました。
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