隕世復元師

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強い感銘(かんめい)を受けたような表情で花畑に見とれているアイシャをよそに 先ほどからの反応に引っ掛かっていたグレインは、前置きも無く問いかける。 「今まで学校に行った事は?」 唐突に現実に引き戻され、夢見心地だったその顔にまた少し影が差すが 数瞬の間ののち、ぽつり、ぽつりと言葉を落としだす。 「…8歳の頃までは行ってたの。 お母さんも、お父さんも、弟も居て。 4人で暮らしてたの。 家は、とても小さかったけれども でも、いつも、暖かかった」 赤赤と、揺ら揺らと、燃える蝋燭の炎を見つめながら (みち)辿(たど)るように、糸を手繰(たぐ)るように、記憶をまさぐる。 「その年の冬に、お母さんが死んだの。 前から病気だったんだって。 しばらくしたら、お父さんは帰ってこなくなった。 弟と一緒に、待ってたけど、ずっと待ってたけど 何日待っても、帰ってこなかった。 私と弟は、それぞれ別の施設に行く事になって。 弟はまだ5歳だったの。でも、別々にされちゃって。 そこでは少しだけ勉強も教えてもらえていたけど 1年ぐらいかな…経った頃、今度は知らない家に 引き取られる事になって、そこに住み始めた。 布を織るのと、家のお手伝いさえちゃんとしていれば ご飯はもらえたし、寝る部屋もあったけれども でも、学校には行かせてもらえなかった。 本も、一冊も買ってもらえなかった」 「そうか…よく判った」 時折、声を詰まらせながらも涙は見せず、気丈に振舞おうとする姿が 誰にも頼らず独りで耐えてきた事を物語っていた。 今この状況でも強くあろうとする幼いこの子の背景を思うと 他人への同情や感傷といったものなどは、とうの昔に忘れ 乾ききっていたはずの男の心にも、僅かに刺さる「何か」があった。 それはまるで、一条の光のように。 その後、黙々と作業を続けていたグレインがふと時計を見やると もう良い頃合いの夜更けであった。 気が付くと隣ではアイシャが机に伏せてうとうとしている。 改めて意識してみると、この家は隙間風だらけで寒く 傍にあった毛布を手に取り背中へ掛けてやろうとすると それに反応したアイシャが小さくつぶやく。 「春幻樹、出来上がったら教えてね…」 「あぁ、安心しろ。あの花畑を終わらせるのが先だから どうやっても今日中には出来ん。ゆっくり寝てろ」 「いつか、見てみたいな、本物」 「……見られるといいな」 スゥ、と深く呼吸をして眠りにつく少女を見て 男は言葉にしようも無い感情が絡みつくのを覚える。 記穹投影機(グラフテレジス)を閉じ、埃だらけの床の上に身体(からだ)を横たえると 老朽化した天井が目に入る。あちらこちらにあるヒビ割れを見ながら 誰かと共に眠りにつくなど一体いつぶりだろうか…と考える。 もう何年もの間、あえて開こうともしてこなかった 乱雑な記憶の引き出しの取っ手に指を掛けながら 想いを巡らせている内に、いつしか男の意識も薄れゆく。 ()()ないふたりが、身を寄せ合う。 明日は何処へ行けば良いのか、誰にも判らぬまま 烏羽色(からすばいろ)の空が夜を支配していた。
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