それでも希望に胸は震える

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それでも希望に胸は震える

(1) 「おはよう冬夜君朝だよ!」 愛莉の声で目が覚める。 「起きたね!じゃあ着替えよう!」 今日も愛莉は元気だ。 着替えると日課を済ませる。 日課を済ませるとシャワーを浴びて朝食を食べる。 その後はコーヒーを入れて部屋に戻る。 愛莉が戻ってくる。 髪を乾かすと隣で一緒にコーヒーを飲む。 のんびりはしてられない。 コーヒーを飲み終えると愛莉はばたばたとキッチンにマグカップを持って行く。 そして部屋に帰って化粧を始める。 その間僕はテレビを見て過ごしてるわけだけど。 「準備出来たよ~」 愛莉がそう言うとテレビを消して家を出る。 学校に着くと体育館に向かう。 今日も皆自主練をしている。 「片桐先輩は今日から別メニューです」 佐倉さんからメモを渡される。 いつもより軽めのメニューだ。 多分来週末に試合を控えているからだろう。 週末の試合が終わると翌週から春季大会が始まる。 過密スケジュールだ。 練習をこなす。 練習が終わると着替えて求人票を見て回る。 2限を受けると学食に皆集まる。 「片桐君いよいよですね」 石原君が言う。 「そうだね」 今から緊張してきた。 「もう滑り止めは済んだんだから気楽に受けてきなさいな」 恵美さんが言う。 「トーヤの場合面接よりも五輪の方が大変だと思うんだけどな」 カンナが言う。 五輪で金メダル取れなかったら就職活動が無駄になる。 その事は重々承知だ。 久々の試合で勘が鈍ってないか? そんな不安もある。 変わったことがある。 北村さんと栗林君だ。 「北村さんはいつもデニムだけどデニムが好きなの?」 「スカートが嫌いなだけです」 「北村さんはどんなテレビを見るの?」 「刑事もののドラマとかですね?そんなの聞いてどうするんですか?」 「そのドラマなら今度映画やるよね?良かったら一緒に?」 「私あなたと交際した覚えはありません」 「友達からでも……」 「映画は高いからDVD出たらそれ借りて見ます」 取り付く島もない北村さんだったがそれでも栗林君との会話が増えた。 そしてその事に対して嫌悪感を示しているわけでもない。 こりゃひょっとするかもな。 「私そろそろ行きます。時間なので」 そう言って席を立つ北村さん。 「俺達もそろそろ行くかな?」 渡辺君が言うと皆移動を開始する。 僕達も4限を受けると家に帰る。 そして着替えて面接の準備。 「しっかりね!」 愛莉にネクタイを直してもらいながら励まされる。 「また青い鳥にいるから」 「わかった」 そう言って僕は面接する会社に行った。 (2) 今日面接を受けるのは僕一人。 個人経営の税理士事務所。 小さい建物が立ってある。 中に入ると皆忙しそうに仕事をしている。 どうしたものかな? 茶碗を運んでる女性に声をかけてみた。 「あの、すいません……」 その女性はこっちを見てきょとんとしている。 何も言わない。 「今日面接を受けることになってる片桐と言いますが……」 彼女は何も言わない。 戸惑ってる? 何に戸惑ってるんだろう? それにこの顔どこかで見覚えがある。 どこかであった? 「夏美に何か用?」 一人の男性社員がやってきた。 「いえ、今日面接を受けることになってる片桐といいます」 「ああ、なるほどね。ちょっと待ってて。社長面接する人来ましたよ!」 「ああ、応接に案内して」 「こちらにどうぞ!」 男性社員はにこりと笑って僕を誘導する。 「夏美、お茶用意してあげて!」 男性社員はそういうと夏美さんは給湯室へ向かったみたいだ。 男性社員は退室し代わりに所長らしい人が入ってきた。 僕は立ち上がって礼をする。 「ああ、礼は良いから掛けて」 そう言われてソファに座る。 「じゃ、まず履歴書見せてもらえる?」 そう言われて履歴書の入った封筒を渡す。 所長は封筒から履歴書を取り出すと名前の欄を見て僕の顔を見る。 「まさか君本物の片桐冬夜君?」 「そうですけど?」 所長は応接を出ると皆に声をかける。 「皆!本物の片桐冬夜が来てるぞ!」 所長がそう言うと社員が皆応接室に押しかける。 「うわっ!テレビで観たまんまだ。すげぇ!」 「ちょっとサインとかもらってもいいですか!?」 そう言うとちょっとしたサイン会みたいな感じになる。 「俺上原達彦。達彦さんへとか書いてくれないかな?」 さっきの男性社員だ。言われたとおりに書く。 夏美さんがお茶を持ってくる。 「夏美もサイン書いてもらえよ!お前めっちゃファンだったろ?あ、こいつ上原夏美。俺の嫁!夏美さんへとか入れてもらえないかな?」 言われたとおりに書く。 夏美か……どっかで聞き覚えのあるような……。 夏美さんにサインを書いてあげると頭を下げて立ち去る。 「ああ、気にしないで。あいつちょっと昔色々あって喋れなくなっちゃったんだ」 そんな上原さんの言葉を聞きながら僕は夏美さんに疑問を抱いていた。 僕は夏美さんを知ってる? 夏美さんは僕を知ってるようだけど……。 単なるバスケのファンとかでないようだ。 「ああ、悪いね。皆君のファンでね。うちの会社バスケの好きな子多くてね。見るのが専門だけど。でも社員でチームも作ってるんだよ」 そうなのか。 「で、面接だったね。じゃあ、皆仕事に戻って!」 所長がそう言うと皆仕事に戻った。 所長は履歴書に簡単に目を通すと話を始めた。 「うちの会社を志望した理由は?」 志望動機を話す。 「君だったらバスケで食っていけるだろ?どうして態々うちなんかみたいな小さな職場に?」 バスケは引退するつもりだと告げる。五輪で金メダルを取って。 「それは大きく出たね!カッコいいね君!」 その声は応接室の外にも響いてるらしく。皆が聞いている。 「でもバスケを辞めるのはもったいないな。うちでバスケするのはどうだい?君にとって社会人バスケくらいお遊びみたいなもんだろ?本格的にやれとは言わないから」 皆趣味で楽しんでるだけだしね。と付け足して社長は笑う。 「資格も問題ないね。最初の3か月は見習いだからその間にとってもらえばいいよ。何、君のこの成績ならすぐとれる。それにしてもよくバスケしながらこれだけ資格をとったもんだ大したもんだよ」 「ありがとうございます」 「君のようなやる気ある若手なら大歓迎だよ!明日から働きに来て欲しいくらいだ」 「は、はあ……」 「四月からは入れるよね!?君なら卒業も問題ないだろ!?何、卒業できなくても中退して働きにくればいい!」 なんかおかしいような気がするけどこれでいいのか? 「是非金メダル取ってくれ!日本代表の悲願だ!!」 所長はそう言って握手を求めると僕はそれに応じた。 「じゃ、今日はわざわざありがとうね。来年を楽しみにしてるよ」 「あの……大丈夫なんでしょうか?志望理由とか色々……」 「うちで働きたいんでしょ!?だったら問題ない、やる気ある奴なら大歓迎だよ。あ、給料気になる?だいたいこのくらいかな?」 「あ、そういうわけでは……」 「じゃあ、何の問題も無い!よろしく頼むよ!」 「はい」 そう言って社員に見送られて僕は事務所を出た。 面接に緊張していたのが馬鹿みたいに思えた。 (3) カランカラン。 ドアを開けると晶さんや愛莉が話をしている。 愛莉が僕に気づくと「お疲れ様~」と答えてくれた。 「どうだった?」 「うん、上手くいったと思う……」 愛莉に面接の内容を説明した。 「よかったね!」 「おめでとう、もう決まったも同然じゃない!」 「惜しい人物を逃したわ」 愛莉と晶さんと恵美さんがお祝いを言ってくれる。 栗林君は北村さんと話をしている。 僕は少し考える……。 やっぱり気になる。恵美さんにお願いしてみた。 「恵美さん、一つお願いしたい事があるんだけど」 「どうしたの?」 「上原夏美って人の事調べてくれないかな?」 「誰それ?」 愛莉の声が怖い。 「ちょっと気になってさ……」 「ちょっと片桐君、愛莉ちゃんの目の前で浮気宣言するわけ?」 「そういうのじゃないよ、ただちょっと気になって」 「うぅ……冬夜君は他の女性気にしちゃダメ!」 「大丈夫だよ、結婚してるみたいだから」 「まさか片桐君不倫するわけ!?」 どうしてそうなるかな? 「そういうのじゃないよ、お願い」 僕のただならぬ雰囲気を察したのか恵美さんは承諾してくれた。 「普通の人なのよね?」 「うん、面接先にいた事務員さん」 「わかったわ。週末の女子会には報告するわ。愛莉ちゃんに渡せばいいわよね。浮気じゃないなら問題ないわよね?」 「うん、大丈夫だと思う。」 「わかった。任せておいて」 恵美さんは承諾してくれた。 何も無ければいいんだけど。 「じゃあ、俺はそろそろ帰ります」 栗林君が席を立つ。 笑顔で見送る北村さん。 へえ、笑えるようになったんだ。 やっぱり彼女の中では吹っ切れたんだろう? 後は誰かが背中を押すだけな気がした。 そんな目で見ていると彼女はいつものやる気のなさそうな顔に戻る。 酒井君が指導してる。 客の前でくらい笑顔でいろと。 「気にしなくていいよ」 僕は言う。 彼女に笑顔をもたらすのは栗林君の役目であって僕達渡辺班の役目だ。 「いつも営業スマイルなんだろ?他の客がいない時くらいリラックスさせてあげようよ」 「まあ、そうですね」 僕が言うと酒井君はそう言って黙って仕事に戻る。 「ずっと栗林君と喋ってたんだよ。北村さん」 愛莉がそっと耳打ちする。 もう時間の問題かな?そんな予感がした。 (4) 「じゃあ、また近くでうろついてるから」 「ああ、終わったら連絡する」 「あんまり飲み過ぎるなよ」 そう言って誠は車で走り去っていった。 府内町にある創作ダイニングのお店で今宵の宴は催された。 今日は男性抜きの女子会。 「じゃあ、今日は野郎どもはいないし本音で話そうぜ!」 「おお!」 美嘉が言うと宴が始まった。 皆それぞれグループを作っていてテーブルごとに分かれて話し合う。 私のテーブルには愛莉と美嘉と亜依と恵美と晶がいた。 愛莉以外は皆結婚している。 愛莉も結婚してるようなもんだけど。 「トーヤのやつも悪あがきが過ぎるよな。いい加減現実を受け入れろってのによ」 私が言うと皆うなずいていた。 「冬夜君の最後の我儘だと思って聞いてあげてる。浮気は許さないけどね」 愛莉はそう言って笑ってる。 「皆はどうなの?結婚生活楽しい?」 「まあ悪くはないかな」 私が言うと皆同調した。 「悪くはないわよ。不満はあるけど」 恵美が言う。 「そうね、不満はあるわね。悪くはないけど」 晶も言う。 「不満?」 愛莉が聞くと、亜依が愛莉に質問していた。 「ぶっちゃけさ、愛莉はどうなの?愛莉片桐君に構ってもらえてる?」 「今は部活で忙しいから……しょうがないかなって諦めてる」 「それよそれ!バイトが忙しいから、バイトで疲れたって言ってちっとも構ってくれない」 「休みの日もどこにも連れて行ってくれないしね」 「うちの馬鹿旦那は折角の休日にゲームを手伝えだよ!私を何だと思ってんの!?ていいたくなるわ」 皆似たような不満を抱えているようだ。 「神奈はどうなの?誠君に不満あるの?」 愛莉は私に話を振ってきた。 「私はあいつの悪癖くらいかな。結婚してから遠慮を知らなくなった。この前の合宿で走るのは止めたみたいだけどな」 構ってもらえるだけまだましなんだろうか?でも私だって誠の玩具じゃない! 「愛莉もさ、今のうちに抑えといた方が良いよ。それ絶対将来仕事が忙しいから!とか言うパターンだから」 「はーい。そういう話だったら私も混ぜて!」 花菜と咲が混ざってきた。 「うちの主人仕事を覚えてきて楽しくなったらしくて自主的に残業するようになったの。それに残業の無い日はバスケだし」 「うちの悠馬も同じ。バイトにのめり込んでちっとも構ってくれない。こっちから言わないと一生気づかないタイプ」 まだ、結婚前の方が気を使ってくれてた。結婚してちっともデートにすら誘ってくれなくなった。これから子供を産んだとして育児を手伝ってくれるのか不安だという。 「遠坂さんこっちにいらっしゃい。こう言っちゃなんだけど結婚前の結婚に夢見る女性に聞かせる話じゃないわよ」 聡美さんがそう言って愛莉を呼び寄せる。 何を話すのだろうか? 聡美さんの処には深雪さん、未来、海未がいる。 4人は結婚している。 4人は不満がないのだろうか? 「4人は不満無いわけですか?」 私は4人に聞いてみた。 「主人に仕事の制御をしてもらってるわ。私のめり込むと止まらないから」と聡美さん 「一度喧嘩したけどそれ以降気遣ってくれるわよ。そりゃたまに不満もあるけど黙って聞いてくれてる」と深雪さん 「仕事と生活を両立させてくれる良きパートナーって感じですね」と未来。 「修ちゃんがいてくれるから安心して絵が描ける」と海未。 なるほどな。 「何をするのもまず一度話し合ってみたらいいんじゃない?こういう場で発散して解消できるならそれでもいいと思うけど」と、聡美さんは言う。 「何をするのもまず話し合え……か?言えてるわね」咲が言う。 「いいじゃん!今日は主婦同士不満をぶちまけよう」 「そうだな!」 亜依と美嘉が言うと皆それぞれ愚痴を言い合って盛り上がっていた。 ちっぽけな不満だけどみんな抱えてる。 それを発散していた。 飲んで騒いで今夜だけは忘れよう。 でも本当はみんな忘れられないんだ。 それぞれがお互いを思いやってる事を。 こうしてる間も自分の主人は一人で何をしているのだろう? ちゃんとご飯を食べているのだろうか? そんな考えが頭の片隅に残っている。 どんなに嫌な事があっても。 それでも希望に胸は震える。 今以上を求めるけど。 変わらない愛を求め歌う。 引き返せない道の上を進む。 ラストオーダーの時間が来た。 2次会に行くメンバーを募っている。 私は行くことにした。 愛莉はトーヤに電話している。 帰るつもりらしい。 「あ、愛莉ちゃんちょっと……」 そんな愛莉を見て愛莉を呼ぶ恵美。 「どうしたの恵美?」 「この前片桐君に頼まれた件だけど」 「うん」 「本当に愛莉ちゃんに渡していいのかどうかわからないんだけど、冬夜君は平気だって言うから渡すわね」 そう言って茶封筒を愛莉に渡す。 「誰だったの?」 「上原夏美……今は結婚して姓を変えてる。旧姓は村上……片桐君と中1の時の同級生」 「!?」 愛莉の様子がおかしい。誰なんだその村上夏美って子は? 愛莉の様子がおかしいのに気づいた恵美。その理由も知ってるようだ。 「やっぱり愛莉ちゃんに渡して正解だったわね」 「うん……ありがとう、この事他の人には……」 「分かってる秘密にしとく」 「だめだろそれ!隠し事は無しだ!」 美嘉が言う。 「ごめん、今回だけは言えない。冬夜君に言って良いって言うまでは絶対に言えない」 愛莉の意思は固い様だ。 私が美嘉を宥める。 「今回は愛莉の意思を尊重してやろう。いつか話せるときが来るんだよな?愛莉?」 「わかんない……」 「そうか」 「皆隠し事は抜きって決めたろ!腹割って話そうぜ」 「美嘉!私が事情を説明するから。納得させられるか分からないけど」 「神奈がそこまでいうならしょうがねえな」 美嘉も納得したらしい。 「じゃ、2次会行くやつは行こうぜ!」 そう言って私達は2次会に行った。 2次会はカラオケだった。 「じゃ、話を聞こうじゃないか?話はそれからだ!」 美嘉が言う。 「実は何も知らないんだ。あいつの中1時代のこと」 私は白状した。 「何だよ知らないのかよ!」 「ああ、誰も知らない。多分知ってるのは渡辺班だと愛莉と誠だけ」 「誠から何か聞いてないのか?」 「聞いたよ、上手くはぐらかされた。誰もあいつの中1時代のことを話そうとするやつはいない」 「そうとうやんちゃをやったとか?」 「そんなんじゃないと思う」 ただ話せない何かがある。それだけは確かだ。 「トーヤ自身が封印してる。それを察して誰も話そうとしない。かなり重大な過去があったんだと私は思う」 「神奈ちゃんの言う通りよ」 「そういや恵美は知ってるって言ったな?教えてくれないか?」 美嘉が恵美に聞いたけど恵美は首を振った。 「悪いけどこれは誰にも話せない。冬夜君自身の問題だから」 「とーやがやっぱり何かやったのか?」 「そこまでは分からない。ただ人一人の人生を狂わせたのは間違いない」 人一人の人生を狂わせた。 何やったんだ!?あいつ。 「あまり人の過去に触れるのって良くないと思います。私も過去を掘り起こされたら嫌だし」 咲が言う。 「私もあまり人に褒められるような人生送ってませんからね~」 咲良も言う。 「いいじゃん!そのうち向こうから言って来るのを待とうよ!」 亜依が言う。それもそうだな。 「じゃ、盛り上がろうか!トップバッターは誰だ!?」 「私いいですか!」 名乗りを上げたのは以外にも美里だった。 (5) 「トップバッターは誰だ!?」 「私良いですか?」 私は挙手していた。 カラオケ好きだったってのもあるけど。 「おお、意外だな!イケイケ景気良くな!」 私に端末が渡される。 私が歌いたい歌は決めてあった。 あなたから私へのサイン。 自然とその曲を歌っていた。 私は自分で言うのもなんだけどそんなに歌が上手いわけじゃない。 けれど皆真剣に聞いていた。 どうしてだろう? 歌っていて楽しいはずなのに。 涙が出るのは何故? 曲が終わると神奈先輩が隣に座る。 ハンカチを渡された。 自分で用意したハンカチを使う。 「美里がこんな曲選曲するとはな……気づいてるのか?栗林のサイン」 「あれだけはっきり言われたら否応でも気付きます」 「で、お前の気持ちはどうなんだ?」 私の気持ちはどうなんだ? 神奈先輩は問う。 「興味ありません」 その一言で済ませようとした。 神奈先輩は静かに語る。 「おまえ、自分が振られるってことをイメージしたことあるか?」 いつでもイメージしてる。だから恋はいやなんだ。 「いつでもお前の事を待ってくれているそう思ってないか?」 私を待ってる人なんて誰もいない。そう思ってる。 「私もお前と同じだったよ。自分に自信がなくていつか言おう、いつか言おうって先延ばしにしてた」 神奈先輩が話し出した。それは酔いの勢いなんかじゃない。 「私は人生で3回恋をして2回は手遅れだった」 神奈先輩が失恋した?こんなに綺麗なのに信じられない。 「一度目は友達に先を越されて、二度目も親友に奪われて……だから三度目はもうまずいって心の中で焦ってた。なかなか言えずにいた。過去の恋を引きずっていたんだ。それでも待っていてくれたのが今の旦那だ」 多田先輩の事か。 「いいか、一生に一度ってわけじゃないけど、チャンスはいつまでも待ってくれない。その瞬間を掴まないと一生手に入らないものになってしまう。それが恋だ」 今私の中にチャンスが舞い込んできているという事? 「逃がすなよ!何度も何度も来るもんじゃないぞ。失敗したって次がくる!でも現在と言う瞬間は二度と返ってこない。失敗を恐れるな!」 神奈先輩に説得されてる。 私は一生の宝物を見逃そうとしているのか? 「言ったわよね?恋を知って世界が変わるって。今あなたが戸惑っているのはその世界に足を踏み入れたからじゃなくて?」 恵美先輩が言う。 「最初は皆怖い。自分の弱さに気づくから。自分の弱さを曝け出してはじめて気づくものだから。だからこそ他人を求めるの。あなたの抱いた感情は当然の物」 白鳥先輩が言う。 「分かりました。今度会った時に……」 「わかってねーよ!人間明日の事なんか分かんねーんだぞ。いつやるんだよ!?今だろ!?」 美嘉先輩が言う。 でも私彼の電話番号を知らない。 「メッセージ通話でいいじゃない」 恵美先輩が言う。 私はメッセージ通話を彼にする。 画面をタップする指が震える。 呼び出し音がなる。 彼の声が聞こえた。 「もしもし、美里さん?」 「はい、あの今何してますか?」 「家でテレビを見てるだけだよ。どうしたの急にまさか美里さんから電話かかってくるなんて思っても……」 「中央町のカラオケ屋にいます。良かったら迎えに来てもらえませんか?」 「ああ、そういうことかいいよ。何時に行けば良い?」 私は皆の顔を見た。 「じゃあ今日はちょっと早いけど撤収しようか?」 「おお!」 皆が賛同した。 「これから大丈夫ですか?」 「わかった、ちょっと待ってて」 通話が終わった。 それからみんなで店を出る。 各々が迎えを呼んでる。 朝倉さんはバスで帰っていった。 彼は車で来た。 私は皆に見送られ車に乗る。 メッセージが届く。 「それで君の家に行けば良いのかい?」 「はい、お願いします」 彼に住所を教え、彼は車を走らせる。 「そのままでいいから話を聞いてください」 「いいよ、どうしたの?急に」 「色気もない無愛想で不器用で……」 「君の良い所は真面目で率直で素直なところだよ。自分を卑下するのは止めた方が良い」 どうか最後まで話を聞いて。 「……自分でもつくづく嫌になる女ですが、そんな私でも恋をする資格があるんでしょうか?」 「あるに決まってるじゃないか?……誰かに恋をしたの?」 私はうなずいた。 「その人は真面目でイケメンで正義感触れる生真面目な人でどうして私なんかを好きになったのか分からない」 それでもその人優しさに触れて、滲むような弱さを知って誰かに甘えたいと初めて思うようになった。 人は誰もがそんな強くないものだからこそ、隣にいる人を思い遣る魂を……。 「私はあなたが好きです。好きになりました。付き合ってください」 彼の反応はない。 反応がないまま私のマンションの前に車を止めた。 沈黙が流れる。 ああ、手遅れだったんだな。 不思議と涙は出なかった。 振られるってこんな気分なんだ。 でも一歩でも前に進めた自分を誇りに思おう。 「ありとうございました。……休みなさい」 ドアを開け車を降りようとした瞬間、彼は私の腕を引っ張り抱き寄せる。 私は今彼の腕の中にある。 「よくがんばったね、君は自分を誇りに思っていい」 「ええ、ありがとうございます」 振ったのに優しくするなんてズルい。 「俺も君が思ってるほど強くはない、現に君を前にどう対処したらいいか分からないで困っている自分がいる」 私は黙って彼の声を聞いていた。 「ありがとう……俺を選んでくれて、俺の気持ちは変わらない」 悲しいときは涙が出ないのに嬉しいときに涙が止まらないのはなぜ? 「よろしくおねがいします」 「こちらこそよろしく」 栗林さんの目にはこの町の景色はどう映るの?私はどう見てるの? あなたの優しさが皮肉に聞こえていた。どうしたらいいか分からなかった。 良かったことだけ思い出してやけに年老いた気持ちになる。 とはいえ、暮らしの中で今動き出そうとしている歯車の一つになるんだろうな。 時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば生きる事が実に容易い。 嬉しくて涙が今までなかった。これからは本気で笑う事が増えるんだろう。 必要以上の負担にギシギシ鈍い音をたてながら、それでも明日に胸は震える。 「どんな事が起こるんだろう?」と想像してみる。 出会いの数だけ別れは増える。それでも希望に胸は震える。 もう引き返しはきかない。 だから進もうあなたとの道の上を……。 こうして私達はやっとスタートラインにたてた。 どんなコースが待っているのか分からないけど、二人で乗り越えて行こう。 そう誓った夜だった。 (6) 北村と栗林を見送った後皆解散することになった。 やっぱりどれだけ不満を募らせようと自分の相手は一人しかいない。 それぞれがパートナーの身を案じているのだろう。 「あの馬鹿また部屋散らかしてるんだろうな。洗い物もしてないんだろう」 亜依が呟く。 うちの誠も似たようなもんだけどな。 どうせDVDプレーヤーの中に妙な物入れっぱなしにしてるんだろう。 「石原君とかはしっかりしてそうだよね」 亜依がそう言う。 「そうね、望は気が利くしちょっとした家事もこなしてくれるわ。万能主夫よ」 「善君もそうね、恵美の言った教育法を実践したら上手くいったわ」 どんな教育をしたんだか? 「私の旦那もそうね……なんでも率なくこなしてくれるんだけど……」 咲が言うと晶と恵美と3人で互いを見る。 「やっぱりそうなのね……」 「優しさなのか恐怖なのかわからないけど……」 「何もしてこないのが不満と言えば不満だね」 3人は言う。 やはり人間万能な奴なんていないんだろうな。 クラクションの音が聞こえる。 誠の車が来た。 「じゃ、私はこれで」 「またね」 「次はトーヤの激励会だな!」 「ああ」 誠の車に乗り込むと誠は車を発進させる。 「どうだった?」 「まあ、女性だけの秘密だ」 「また俺の事で悩んだりしてるのか?」 誠でも不安になるのか? 「そうだな、不安だな……」 「俺またやってしまったか!?何がいけなかった?」 とりあえず今は前を見て運転してくれ。 「何もしてこないのが不安だよ」 「そうなのか、なら今夜でも……」 「悪いな、明日バイトなんだ」 「そうか……この前言ってたデパートの化粧品売り場の店員決まりそうか?」 「どうだろうな?この前面接あったばかりだしな」 「そうか……」 「お前こそどうなんだ?プロになれそうなのか?」 「ああ、何とか地元チームが拾ってくれそうだ」 「じゃあ、会えない日もあるんだろうな」 「帰ったら甘えさせてくれよ」 それはこっちの台詞だ。 そう言えばさっきの話を思い出した。 「なあ、誠。村上夏美って知ってるか?」 「な、なんでその名前を!?」 「誠信号!!」 誠は急ブレーキする。 「わ、悪い」 「……知ってるんだな?」 「知ってる。でも言えない」 「愛莉も恵美も言ってた。トーヤに関係する事だけは分かったが」 「夏美さん今何してるって?」 「ああ、トーヤの面接先で事務員してるらしい。結婚もしてるって言ってた。今の姓は上原って言うそうだ」 「結婚したのか、それは良かった……トラウマとかにならなかったんだな」 「……やっぱりトーヤの奴何かやったのか?」 「なんでそう思うんだ」 「夏美さんて人声を失ってるそうだ」 「……あれは事故だ。冬夜のせいじゃない」 「てことは冬夜が起因してるんだな」 「そうかもしれないな」 誠はそれっきり黙ってしまった。 「誰もそんな風になるなんて思って無かったんだ」 そう言い残して。 (7) 愛莉を迎えに行くと騒いだ後とは考えられないくらい気まずい表情をしていた。 「愛莉女子会はどうだった?」 愛莉に聞いてみた。 「楽しかったよ~」 カンナ達既婚者組の大半が夫の愚痴・不満を漏らしていたらしい。 それで愛莉失望してるのか? 「結婚願望薄れた?」 「そんなことないよ~」 その後聡美さんに言われた事。 「皆ああやってストレス発散してるけどその何倍も幸せを味わってるのよ。いろんな形で。だから続いてるの。遠坂さんも結婚したら忘れないで。結婚した時の気持ちその後の幸せを忘れないで。そうしたらどんな辛い事も乗り越えられるから」 深雪さんに言われた事。 「皆苦労に埋もれてしまって幸せを忘れているだけ。じゃあ他の人に替える?って聞いたら絶対変えられないから。構って欲しいって願望はあるんだろうけどね」 愛莉は嬉しそうに話す。 なるほどなあ。 「じゃあ、なんで愛莉はそんなに難しい顔してるの」 「え?……」 愛莉をちらりと見る。何か茶封筒を持っている。 僕の目に築いた愛莉はそれを隠す。 「それは何?」 「う、うぅ……」 愛莉が困っている。 愛莉の頭を撫でてやる。 「家に帰ってからゆっくり聞いてあげるよ」 「うん……」 愛莉の心には戸惑いがある。 どうしたんだろう? 家に帰ると愛莉はお風呂に入った。 今のうちに中身を見ることは出来る。 でもやっちゃいけないような気がする。 やっちゃいけない事なんだけど……。 でも触れてはいけない物のような気がする。 大人しく愛莉が風呂から戻って髪を乾かすのを待つ。 一通り終えた愛莉がテーブルをはさんで正座をする。 一呼吸おいて愛莉は一人の人物の名前を口にする。 「村上夏美」 僕は動揺した。 「上原夏美さんの旧姓だって」 「そうだったんだ」 ある意味その予感はしてた。 どこかで会った気がするから。 「ファイルの中味は見てない。一緒に見よう」 「……そうだね」 愛莉と一緒にファイルを見る。 2枚の紙きれが入っていた。 彼女の経歴等が乗ってあった。 通信制の高校を卒業したあと事務職を募集している今の税理士事務所に就いたらしい。 彼女の知らないその後がつづられていた。 結婚したのは2年前。 職場恋愛をしたそうだ。 2枚目の紙切れには僕の知らない彼女の過去。 彼女は緘黙症という病気にかかっていたらしい。 通りでそんなに喋れなかったわけだ。 それが中1のある時期を境に悪化。まったく喋れなくなり転校。 ある時期……。 「こいつお前の事好きなんだってよ~」 フラッシュバックが起こる。 「冬夜君しっかりして!」 愛莉に両肩を揺らされる。 「あ、ごめん」 「大丈夫、私がちゃんとついてるから!」 「ありがとう」 すっと立ち上がるとアルバムを取り出す。 中学校の卒業アルバム。そこには彼女の写真は一枚だけあった。一年の初めにあった遠足の一枚。運命の悪戯なのか僕と夏美さんのツーショット写真。 そこには一枚の手紙が挟まれてあった。 それを愛莉に渡す。 愛莉は無言でその手紙を見る。 表には片桐冬夜君へと書いてある。 愛莉は中身を見る。 びりびりに破り捨てられたのをテープで張り合わせてあった。僕が破り捨てた後にこっそり回収して修繕したものだ。 「あなたが好きです。付き合ってください」 愛莉は何も言わない。 「こんな事になるなんて思わなかったんだ。愛莉がいるから断ろうと思ってたんだ。それが……」 不運な事故が重なった。 思春期ゆえの悪戯が重なった。 ただそれだけの事。 こんなことになるなんて思わなかった。 愛莉はそれをアルバムに挟むとアルバムを元あった場所に戻し。僕を抱きしめる。 「言ったよ!冬夜君が悪いんじゃない!悪かったとしても私は許すからって!」 「そうだな……」 「どうする?就職先変える?恵美さんの会社って選択肢だってあるんだよ?」 「愛莉は言ったよね?『僕は逃げてなんかない。常に苦境と戦ってる』って……」 「うん」 「ならば僕は戦う道を選ぶよ。これも何かの運命なんだろ」 運命は残酷だ。されど彼女を恐れるな。女神は戦わぬものに微笑むことなど決してないのだから。 「冬夜君がそう決めたなら私は止めない。一緒に戦おう?」 「ありがとう」 「じゃあ寝よっか。明日も日課で朝早いんだから」 「ああ、そうだな」 そう言ってベッドに入る。 愛莉は僕を包むようにして寝ている。 僕も目を閉じる。 あの頃の思い出がよみがえる。 酷いよ冬夜君…… 僕が初めて聞いた、そして最後の彼女の言葉だった。
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