第14話 遭遇

1/1
前へ
/32ページ
次へ

第14話 遭遇

 仲間の女房達と共に駆け付けていた季姫は、高子の話や巷の噂、そして全子(またこ)や紀君(きのきみ)の話とも、どこか異なる今上の様子に、微かにため息を吐いた。こんな姿を見れば、益(すすむ)に手をかけたのは、本当に今上なのではないかという疑いを抱きたくなる。  自分は、誰のために何を調べているのか……自らの役目を見失いかけた季姫は、頭を左右に大きく振る。  しかし一方で、下々の者にも優しく、気を遣って下さる、という噂は本当なのだと知る。もっとも今回は、元々今上に原因があってのことではあったが。  同時に、目の前で今上の声を聞き、季姫は仁寿殿(じじゅうでん)にいたもう一人が、間違いなく今上であったことを確信する。  帰りが混み合わないうちに曹司に戻ろうと、清涼殿(せいりょうでん)に向かった。 「そこにいるのは……山井(やまのい)か」  ちょうど、清涼殿から承香殿に差し掛かった辺りのことである。自分に向かって近付く、一人の公達がいた。それが誰であるかに気付いた季姫は、いっそのこと、混み合う中を戻ればよかったと、後悔する。  定省王(さだみのおう)であった。 「ど、どこかでお会いしましたかしら」  季姫は、精一杯のしらを切ってみた。仁寿殿で会った時は、夕闇に紛れていたし、この前は扇で顔を隠していたはずだ。だから、もしかしたら、人違いだと思われているかもしれないと、微かに望みを託す。  しかしそれは、あっけなく砕かれることになる。 「つれないことを……最初に出会ったのは、夕闇も美しい仁寿殿。先だっては、校書殿(きょうしょでん)で思いがけず再会することができたというのに」  やや大仰な素振りで迫る定省王に、季姫は冷や汗をかきながら、後退る。 「何のことでしょう。人違いでは」 「言い逃れも、そのくらいにしておくんだな」  それまで、丁寧に話していた定省王が、その口調を一変させた。低く、静かに響く声に、季姫は、背筋が凍るような冷徹さを覚える。  追い詰められる季姫に、思わぬ助けが入った。 「定省、そこで何してるの?」  それは、今上であった。場の張り詰めた空気にも関わらず、無邪気な様子で、定省王に近付く。季姫は、慌てて顔を伏せ、扇を開いた。 「今上こそ……一体何をなさっておいでですか。堀河殿がお出ましとは」  無駄とわかりきってはいても、諌言を言わずにはいられないのだろう。定省王の言葉に、頬をふくらませて、やや機嫌を悪くした今上だが、季姫の存在に気付き、言葉を和らげた。 「定省まで、そんな母上や三条みたいなこと言うの。あれ、その女性は?」 「山井という、太后殿の女房殿です」  今上を前に恐縮し、言葉が出ない季姫が、それでも、何かを答えようとするより前に、定省王が手早く紹介する。 「母上の?山井なんて名前の女房(こ)、いたっけ。山井は、いつから母上のところにいるの?いいから顔、見せてよ」  季姫が出仕してからのこのふた月の間、今上が常寧殿(じょうねいでん)に渡ることはなかった。だから、高子の元で顔を合わせたことはない。しかし、三条や他の女房達の話では、今上は高子に会うため、常寧殿を訪れることも多いという。  季姫は扇を閉じて顔を上げると、何とか、口を開いて質問に答える。定省王の視線が、痛いほどに突き刺さる。 「ふた月ほど前から、お仕えしております」 「そうなんだ、よろしくね。そうだ定省、君に話があるから、綾綺殿で待ってて。それと、山井はそろそろ戻らないと、母上とか三条に、怒られたりしない?定省、朕(ぼく)が戻るまでに、山井を解放してあげてね」  恐縮する季姫に、今上は定省王が困らせていると、誤解した様子であった。確かに季姫は、定省王の追求に困っていた。しかしそれば、決して定省王に咎のあることではない。  それを承知の上で季姫は、今上の言葉を有り難く頂戴し、礼をとる。 「今上の仰せでは仕方ない。だが、このままで済むと思うなよ」  今上の誤解を利用した季姫に、定省王が厳しい言葉を掛ける。 「もう、定省だめだよ。女の子には、優しくしなきゃ」 「ですが、今上……いえ、失礼しました」  今上の言葉に、反論しかけた定省王だが、すぐにその言葉を引っ込めた。  辛うじて定省王の追求を逃れ、曹司に戻った季姫は、既に用意してあった女嬬の装束に着替え、庭に降りた。  以前は借り物であったが、これは、三条に頼んで手に入れたものである。この間の蔵人所のように、話を聞く相手次第では、特に相手が、雑色や衛士など、それほど身分の高くない相手であればあるほど、女房姿のままで行くよりも、女嬬であれば、返って楽に調べることができると考えたのだ。  しかし今回、全く別の用途で、女嬬姿が役に立つことになる。  季姫は、周囲を気にしながら慎重に、綾綺殿に向かう。向かうといっても、女房であれば、殿舎の中や渡殿を通れるが、女嬬の姿では、そうもいかない。殿舎の外、地下(じげ)を歩くことになるのだ。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加