第03話 少将

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第03話 少将

 自分の曹司に戻った季姫は、出仕して以来、ほとんど初めてと言っていい主からの命令に、途方に暮れた。  よほど、有力な後ろ盾でもない限り、新参の女房が主の側近くに仕えることはない。だから季姫は今まで、阿世を通じて三条からの指示を受けることはあっても、高子本人から、何かを指示されたことはなかった。その主から直接声を掛けられ、仕事を仰せつかるなど、新参の女房にとっては、誇らしく栄誉なことである。しかし、今回の命令は、だからといって、手放しで喜べるようなものとは、到底言えなかった。 「太后様の名前を出さずに、事件のこと調べるなんて、どうすればいいのよ。だいたい、内裏の中って本当に広すぎて、やっと後宮の位置関係を覚えたところだっていうのに」  季姫は一人、呟きながら、檜扇を開いたり閉じたり弄ぶ。 ――協力、してあげようか  その檜扇から、一人の公達が現れた。涼やかな面差しに、品のある直衣がよく似合う。所作の一つ一つがなめらかで、その動きには色気さえ感じさせる。柔和で穏やかな笑顔に、女性なら、一度は話してみたい、親しくなりたいと、惹き付けられてしまうだろう。しかし彼は、この世の者ではない。かつては確かに、この世に存在し、多くの女性を虜にしたと言われているが、今は違う。  檜扇から現れた公達は、返事を待つかのように、優美な笑顔で季姫を見つめた。 「少将様なら、参内してたかだかふた月の私より、詳しいでしょうけど……」 ――僕が知ってる内裏と、違うところもあるけどね。でも、少しは力になると思うよ  季姫は、少将の申し出を内心ではありがたいと思いながらも、受け入れることを躊躇う。 「それは有り難いのですが……少将様が、人前に出るわけにはいかないじゃないですか」  少将は、過去はともかくとして、今現在、現実の人間ではない。いわゆる物怪である。その生前を考えれば、さすがに問答無用で祓われることはないだろうが、神祇官によって清められても不思議はない存在なのだ。 ――大丈夫だよ。どうせみんなには、僕の姿は見えないし、声も聞こえないからね。僕と季姫が一緒にいて話すところを見られても、君が一人で話してるようにしか見えないよ  少将の言葉に、季姫は頭を抱える。それでは、季姫の方こそ、物怪憑きだと疑われ、祓い清められてしまいかねない。  もっとも、こうして季姫の近くに、少将という存在がいる以上、物怪憑きというのは、間違いとも言い切れないのだが。 「それはそれで、困ります」 ――じゃあ心の中で、僕に話しかければいい。君がその檜扇を持ってさえいれば、僕はその声を聞くことができるよ 「そ、そんなこと……初めて聞きました。今まで、私の心読んでいたのですか」  今まで、全く考えもしなかった少将の能力を知らされ、季姫は抗議の声を上げた。少将が季姫の心を読めるとなれば、季姫の考えや感情の全てが、筒抜けになっているということになる。 ――それは違うよ。君が、ちゃんと僕に対して話しかけてくれないと駄目なんだ 「よ、よかった」 ――もっとも、集中力を高めれば、できるかもしれないけどね。試してみようか 「お願いですから、やめてください」  少将の言葉に、一瞬安堵した季姫だが、その気になればできると言われ、即座にやめるよう頼み込む。正直、この少将にはあまり弱みを握られたくないのだ。 ――季姫は、僕に聞かれたらまずいことでも、考えてるのかな 「せいぜい、お祖母様に付きまとうのをやめればいいのにってことくらいですね」  にこやかな表情で訪ねる少将に、季姫はこの際だからと、日頃の思いを口に出す。  少将は、元々季姫ではなく、季姫の育ての祖母に縁があり、少将が依り代とする檜扇も、祖母の物である。今は、その祖母に頼まれて季姫の近くにいるだけであり、少将が物怪となってまでこの世に留まり続ける理由は、季姫ではないのだ。 ――これは手厳しい 「あと、いい加減、成仏なさればいいのに」  先程と、ほとんど変わらない意味を持つ季姫の言葉に、少将は苦笑する。 ――神の末席ならともかく、仏にはなれないなあ。それに僕は、彼女の生を見届けるまで、この世に、留まり続けなければいけないんだ。僕という存在が、現世に存在できる唯一の条件だからね 「それは、どういう……」  自身の無責任な言葉が、少将にとって、想像以上に重い意味を持つことを察し、季姫はさすがに成仏は失言だったかと、言葉を失う。  しかし、当の少将は、何でもないことであるかのようにさらりと流した。 ――別に気にする程のことじゃないよ。僕のことなんかより、季姫は、これからどうするつもりなの? 「どうもこうも……どうしていいのかわからないから、困ってるんです」  季姫は、少将のさり気ない気遣いに感謝し、当面の問題に話を戻す。 ――ここで考えてても仕方ないし、とりあえず、現場を見に行くっていうのはどうかな 「現場って、仁寿殿ですか。そんな、今上の御所に……」  少将の提案に、季姫はまたも躊躇いを見せる。現場である仁寿殿は、今上の御所なのだ。生母である高子の口添えでもあればまだしも、一介の女房風情が、勝手に出入りしていい場所ではない。  しかし少将は、その心配は無用だとばかりに、口の端を歪めた。 ――庭先とはいえ、人死が出たんだ。穢れになるからね、帝たる者、いつまでもその場にいたりしないよ  少将が言うと、さすがに説得力が違うと思いながら、季姫は後宮を駆け巡った話の一端を思い出す。益の死にばかり目が行っていたが、殿舎の一つである綾綺殿という言葉が、何度も聞こえていたのだ。 「そういえば、綾綺殿がどうとか……」 ――そうそう。御所は綾綺殿に移ったって話が出てたよね。だから、仁寿殿に行っても大丈夫だって  今上の御所は、急遽、仁寿殿から綾綺殿に移った。後宮が騒がしかったのは、もちろん一人の人の死という事件が、よりによって今上の御前で起こったからであるが、そのために今上が御所を移ることとなり、その用意に女官達が追われていたからでもあるのだ。 「それ、私たちが穢れに触れることになりませんか」 ――あれ?季姫って、そういうの気にするんだ?彼女のところでは、珍しくなかったよね。それに、そんなこと言ったら、僕の存在だって、見る人が見たら穢れだよ  季姫の疑問に、少将はからかうように答える。少将の言う通り、季姫は祖母を手伝って、何度か人の死に触れたことがある。それを気にすることはなかったが、後宮では、祖母の邸と違い、皆が皆、穢れだ何だのと騒がしいため、多少、気にならなくもないのだ。 「少将様は少将様ですから……穢れだなんて思いませんけど……」 ――祓えが終わって清められちゃうと、意味が無いんだ。今、どうなっているのか、僕が知りたいんだよね  歯切れの悪い季姫に、少将が本音をのぞかせた。現場となった仁寿殿を見ることを季姫に提案しながらも、結局、少将が自身のもう一つの能力を発揮するために、必要なのだ。 「ここから仁寿殿くらい、少将様だけでも移動できますよね?」 ――まあね。でも、会話を聞くくらいならできるけど、力を使うなら、季姫が一緒でないと困るんだ。それに、せっかくだから季姫も見る方がいいんじゃないかと思ってね。実際に調べなきゃいけないのは、季姫だからね 「わかりました。でも、祓えはともかく、現場は近衛達が片付けてしまっていると思いますけど」 ――それでも、見ないよりは、見ておく方がいいと思うよ  少将の言葉に、季姫はようやく心を決めた。
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