第07話 雑色

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第07話 雑色

 次の日。季姫は、女嬬に衣を借り、三条に頼んでおいた酒を雑仕女に用意させると、蔵人所(くろうどどころ)へ向かった。  久しぶりに身に纏う、身軽な装束に、季姫はわずかに心を躍らせる。幼い頃は、よく男子の格好をして、遊んでいたのだ。  蔵人とは、帝の身辺に仕え、詔勅や上奏の伝達を中心に、その他殿上における諸事を取り仕切る役職である。侍従の職掌と似通う部分もあるが、律令に定めのある侍従は、その職務が儀礼化している。令外官であり、融通の利く蔵人に、その実務が移りつつあるのが実情である。だから、帝の側に侍従がいないことはあっても、蔵人は必ず誰かしらが伺候している。  後宮での噂に、蔵人の話題は一切出てこなかった。しかし、その職務の性格上、益が殺された時、今上と王侍従の他に、蔵人の誰かが、その場にいた可能性があるのだ。また、事件そのものに関わっていなかったとしても、その直前まで伺候していたとすれば、話を聞く価値はある。  蔵人所では、雑色(ぞうしき)や所衆(ところのしゅう)、出納(すいのう)、小舎人(こどねり)といった、殿上はせずに蔵人所そのものの雑務を担う役人達が、忙しなく働いている。季姫はその中で、皆に指示を出していると覚しき、一人の雑色に声を掛けた。 「昨日の当番?」  雑色が、不審そうな面持ちで答え、女嬬の姿をした季姫を見つめる。日に焼け、鍛えられた体躯は、いかにも粗野で武骨な雰囲気を持つが、よく見れば整った顔立ちで、男振りの良さがにじみ出ている。他の役人達の動きに無駄がなく、彼の指示をよく聞いていることから、人望の厚さもうかがえる。  季姫は、相手の視線にひるむことなく、笑顔を浮かべた。 「ええ、蔵人のどなたかが、伺候されているのよね」 「それを知って、どうしようというのだ」  雑色は、ぞんざいな物言いで季姫を問い詰める。彼にしてみれば、季姫の質問は、事件が起こったばかりで忙しい時に、いい迷惑でしかないのだろう。しかも、帝の身辺に関わることだ。軽々しく明かすわけにはいかない。それがわかるからこそ、季姫は何とか、快く教えてもらう方法はないかと、瞬時に思案する。  結果、少し顔を伏せて困った表情を作り、いかにも言いづらそうな様子を見せることにする。 「事件のことで……主どのが、お気にされていて……」 「あんたの主?」 「後宮にお仕えする方で、詳しくは言えないのだけれど、その……近しいお方が……」  あえて、要領の得ない、誤解を招く言い方をした。  しかし、嘘は言っていない。季姫の仕える高子が、自らの子である今上が、益の事件にどう関わっているのか、気にしているのは事実なのだ。 「つまり、あんたのお仕えする御方の恋人が、昨日の当番なのかどうか、つまりは事件の時に、御前に伺候していたか知りたいと」  雑色はため息を吐きつつも、季姫の意図した通りに、その言葉を受け取った。武骨ではあるものの、季姫の断片的な状況から、ある程度事情を察することができる程、頭の回転は早いらしい。蔵人所の雑色達を、まとめているだけのことはある。また、季姫の言葉の裏に気付く様子は全くなく、素直で人の良い人物なのだろうと推察できる。  季姫は、いかにも事情を察してくれて嬉しいという様子で、用意させた酒甕を運ばせた。 「もちろん、ただでなんて言わないわ。主どのからだけど……」 「ほう、こりゃありがたい。で、どなたなんだ、そのお方ってのは」  酒の差し入れに、雑色の表情が緩み、その視線が、仲間に向けられる。仕事終わりに、皆に振る舞うつもりなのだろう。 「それは、言えないの。周りにも内密で……」 「はあぁ?」 「だから、どなたが伺候されていたのか調べたいの」 「その様子だと、あんたの主って人が誰かも、聞くだけ無駄そうだな。信用されてるんだかされてねえんだか……いいぜ、酒に免じて教えてやるよ。下っ端はお互い大変だよな」 「そうね」  雑色は、少し待っていろと言って奥に入り、しばらく後、一枚の料紙を持って、現れた。 「ほら、文字は読めるか。真名(まな)だぞ」 「少しなら大丈夫よ。ありがとう、助かるわ」  女嬬が仮名ならともかく、真名つまり漢字を読めるというのは、少し不自然かもしれないと思いながらも、季姫には、読めない振りをするのも煩わしかった。何か疑われたら、男兄弟と共に学んだとか何とか、適当に、もっともらしく言い訳すればいいと考えながら、料紙を見つめる。  そこに書かれた名に、季姫は少し驚きながら、それを確実に頭に入れる。そして、昨日、その人物を見た者がいないかなど、何点かを雑色に質問した。  一通り話が終わったところで、雑色が少し遠慮がちに口を開いた。 「なあ、よかったら、あんたの名前と住まいを教えてくれないか」 「あら、どうして?」  雑色の意図を察しながらも、季姫は何も気付かない振りをする。すると雑色は、事も無げに、はっきりと目的を告げた。 「そりゃあ、あんたが好みだからに決まってるだろう」 「駄目よ。主どのの身元もわかってしまうもの。それに私なんて、ただの小娘に過ぎないでしょう」
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