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カニ ①
「引っ越すのなら事前に知らせなさいよ」
「いろいろと忙しくて気が回らなかったんだよ」
「この子ったら本当にもう……この間お父さんがとってきたの乾いたから送ろうと思ってたけど、まだやめといてよかったわ」
「……あのさ、送ってくれんのは嬉しいんだけど俺はさ」
両手をウネウネさせて
「これじゃなくて」
両手でチョキを作ってシャキンシャキンさせて
「これがいい」
「カニなんて生意気なっ!」
母に頭を叩かれた……。
「あんたお父さんの前で言わないでよ。あの昆布だってあんたのために頑張ったんだからね。そりゃ、母さんもカニがいいわよ。あー……カニなんていつ以来食してないかしら。ちいさなカニはいくらでも砂浜にいるんだけどね。ああ、あのこら育てたら大きくなるかしら」
「うん……無理だな」
見ての通り、俺は今生まれ育った海の見える実家にいる。週末を使って引越しの挨拶がてら家族に顔を見せに来た。
何年ぶりかの実家は相変わらずで、賑やかな母と昔から俺にべったりな柴犬のコウタが俺の体をよじ登り、頭上までくると視界の半分を遮る。
「あははは、相変わらずコウタは颯太が好きねえ」
颯太にコウタ、俺たちは兄弟。
近所で産まれたばかりのコウタが我が家に来たときは本当にもう……大変だった。まずは名前。母はメグ・ライアンが好きだからメグちゃんとかい言い出し、寡黙な父は男らしくコウタだと一歩も譲らない姿勢を貫く。結局、俺が二人を宥めてコウタになったんだっけ。
それだけじゃない。母はちょっとぶっ飛んでるから、翌朝コウタを連れて市役所に行ってしまった。市役所で「次男が生まれたのよ」と散々自慢して出生届を出そうとした。当時、家にいた俺は市役所から掛かってきた電話で母が暴れてると知り、急いで迎えに行った。
危うく戸籍に次男が載ってしまうところだった。まあ、俺にとってコウタは本当に兄弟だと思ってるから載っても構わないんだけど。
「颯太がなかなか帰ってこないから、コウタも寂しかったのよ」
「コウタごめんな。お兄ちゃん仕事で忙しくてなかなか帰ってこれなかったんだよ」
ペロペロ舐めてくるから、負けねーとペロペロ舐め返してやったら前足で頬をぐいっと押された。
「え、この子、ひどいんですけど……俺が舐めたらすっげー嫌な顔すんだけど」
「ふふふ。あんたたち年取ってもそっくりね。あ、そうだ。あんたコウタと散歩行ってきなさいよ」
「よし、散歩行くか」
母と俺が散歩と言えば、コウタは嬉しいとはしゃぎ回る。
居間を全力で走り回ってはローテーブルの角に頭をぶつけて目をしぱしぱさせる。
「ったく、お前は学習能力の欠片もないんだな。ほら、こっちこい」
しょんぼり頭を垂れながら近寄ってくるコウタの姿を見て、こんな光景が昔にもあったと懐かしむ。そうそうこんな時は尻尾を申し訳なさそうに小刻みに振るんだ。
「よしよし、痛かったな」
目の前のコウタも、居間も、母も、何ひとつ変わらない。
何年経っても変わらないものがあるっていいな。
「コウタ、散歩行こうか」
目をギラギラ輝かせるコウタを抱きしめながら、俺は亮を頭に浮かべていた。
俺にとって亮はたくさんいる友人の中の一人じゃない。それこそコウタと同じように唯一無二の存在。
「なあ、コウタ」
変わらないでいられる方法はなかったのだろうか。
「お兄ちゃん、結構つらい」
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