道端の花

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 夢ならよかった。そう強く思った。  もう恋なんて一生したくない。  誰ももう信じられない。  「神様。もしいらっしゃるなら、私をもう2度と恋を出来ない様にしてください。」  縁切りで有名な近所の神社で買ったお守りを握りしめてそう強く願った。  部屋の中には、必要最低限の家具と、一輪の乾燥バラが置いてあった。誰も招くことのない飾り気のない部屋だ。この部屋はきっと、麻希のことを何も知らない他人から見れば、とても成人した嫁入り前の女の一人暮らしの部屋とは思えないだろう。  「こんな物、要らないんだから。私がこんな物で、釣れるとは思うな。馬鹿、馬鹿…。」  赤い乾燥バラを手で、グシャグシャに潰してしまった。無残なその姿は、机の片隅に集められた。ゴミ箱を持ってくると、跡形もなくその中に押し込んだ。  そうして先程願ったのと同じことを願ってお守りを手に抱きながら、静かに眠りに落ちていった。    だから麻希にはバチが当たったのだろう。  麻希が朝起きると、1番にスマホがメッセージを受信した。  『咲子ちゃん、看病して欲しいな。病気になったから。入院してる。もう私は限界だから。早く帰ってきて。私も仕事に行かなくちゃいけないから…』  メッセージは、兄の奥さん、つまりあまり私と仲のよくないお義姉さんからだった。  母は、厳しい人だったから、私達兄妹は、あまり好きではない。きっと、お義姉さんにも厳しく当たっているに違いない。お義姉さんの限界というのは、咲子に付き添っている母からのクレームの嵐に耐え兼ねたということだろう。  そして、よほどの母嫌いの兄はもしかしたら、咲子の看病になんて、病室に行っていないのかもしれない。母は、妹の咲子には小さいころから甘かったから、きっと病院にずっと付きっきりでいるのだろう。さぞかし大変な思いをお義姉さんはしていることだろう。  これには、きっと行くにも行かぬにも早めの対処が求められる案件だろう。  兎に角、後々面倒ごとになるのは避けたいので、麻希は泊まりになっても足りる分の荷物をまとめた。意外と荷物は嵩んだ。  インターネットで実家の方に帰れる電車の時間や種類、賃金を調べた。  実家は田舎で、ここは東京。幾ら文明の発達したこの世界とはいえ、時間がかかる。本数も限られている。快速の停まらない駅はこれだから不便だ。  大体移動にかかる時間が1時間以内なら、この日にだって立つことに難はない。しかし、電車1本の乗り換えなしだとはいえ、鈍行なのだから、そんなに早く着きそうにもない。  『明日、そちらに戻ります。お昼頃になると思いますので、宜しくお願いします。』  もう長いこと実家には帰っていない。  帰ろうかと思ったこともあったのだが、大嫌いな母の顔を思い出すと、そんな気持ちも薄れて行ってしまうのだった。  礼儀に厳しく、何か母の意に反すると正座を長いことさせられた。テストの悪い点を見せた時は、今までの努力を全否定された。  私達は3人兄妹で、兄と私は何故かずっと厳しく育てられ、妹は甘く育てられた。  それが世に言う末っ子の特権でもあるのだろう。一人っ子と末っ子は、他の人と比べて、得をしている様に見えて、鬱陶しい。  別に甘く育てられた咲子に、又その様な境遇の人一律に、羨ましいと思ったこともない。あんな風に親に甘やかされても、きっとバチが当たると思って生活していた。  しかし、咲子にはバチが当たる機会は一向に来なかった。  容姿が優れていて、男子にはモテたし、勉強も出来たし、運動もできて絵も上手に描けた。全てが私よりも優れた結果になる。  人生の勝ち組を作り出した神様はさぞかし満足なさったことだろう。  というか、人間を平等に作れない者を神様と呼べるのか甚だ不思議でたまらなく感じるようになった。  だから、小さい頃から神様なんて信じていたことなんてなかった。  しかし、失恋に関しては願わずにはいられなかった。神が居ないとかいう、世間から捻くれ者だと思われかねない思考を持ってこれだとは、矛盾の象徴である。  会社の人には、同じ部署の仲間たちに、 『実家にて緊急事態が起こりました。申し訳ありませんが、帰省することに相成りました。私はこれからはパソコンなどの機器によっての在宅勤務という形を暫く取ることになると思います。ご理解の程よろしくお願いします。』  と一律のメールを送信した。  返事が来る者も来ない者もいたが、きっとみんな了承してくれるだろう。そんな自信が何処となくあった。  会社では、未婚者の私は、女性でも少し別枠で管理職を与えられていた。最も、恋人がいて結婚を前提にお付き合いしながらも、昨夜自ら振ってしまったのだが。  まあ、仕事で充実した人生を送れるのなら、別にそれもそれで幸せだ。自分を尊敬する部下たちと定年まで満足のいく仕事ができるなら、今の麻希にはそれ以上のことはない。  実家に帰ることになって、それに縛られるということで、恋愛出来なくなる様になるなら、祈らなければよかった。  そんなののために祈っていたことではない。  神様なんてやはりいないのだろうか。それとも、麻希は神様に嫌われているのだろうか。そうとしか考えられないような酷い仕打ちである。
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