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電車に乗ると、窓に浮かない顔が反射した。
前述の通り、電車で1時間ぐらい揺られないと実家に帰省できない。田舎出身者の苦労話は、誰にとってもきっと得ではないだろう。
自分の顔だと分かっていながら、可哀想にと思う。それぐらいしょげた顔をしている。
咲子は一体何の病気になったのだろう。小さい頃からずっと病弱な少女というイメージだったから、あまり驚きはしなかった。
そう考えると、そうか、咲子は幼い頃から思っていた程、完璧に作られた訳ではないかもしれないとやっと思い始めた。
1番咲子の病気が酷かったのは、たしか、咲子がまだ小学1年生の頃だった。
咲子は、ひどい肺炎を起こして、2週間程入院した。喘息の持病もあったし、咲子の咳き込む様子に親が手を添えているのはいつもの光景だった。
しかし、熱が上がりいつもより顔色が悪くなって病院の緊急外来にその日の夜に行った。
すると案の定、医師から、2週間の入院を勧告されたのだった。
「肺炎といえば昔は治らない人もいたのだ。」
とその時、祖父が深刻な顔をして言っていたのを覚えている。
確かその時の私は不謹慎で、
「治らなかったらどうなるの?一生、咳をしているの?」
とか聞いてこっ酷く叱られたのだ。
母は、幼い咲子の看病に夜間も付き添っていた。そのため、麻希と兄は近所に暮らしていた父方の祖父母の家に居候した。
祖父母は手厳しくないので、家にいるよりかは幾分ましだった。しかし、過去の話を聞かせられる時の窮屈感は異常な程だったが。
しかし、祖父母にとっては、咲子も大切な孫だから、相当病院に病状の確認をしていた。
「あのね、麻希ちゃん。大切なことがあるさかい、よう聞いてや。」
祖母は、そんなある日の夕方に兄を居間に取り残して、麻希たった1人を薄暗い和室に呼び寄せた。
「どうしたの、おばあちゃん?」
麻希が言うと、
「麻希ちゃんは、おばあちゃんのこと好き?」
と真面目な顔で訊いてきた。
「うん、大好きだよ。当たり前じゃん。」
笑顔で麻希は応えた。
「せやな。そしたら、お母さんのことは、好き?」
祖母は続けて訊いてきた。
麻希は、素直に肯けなかった。自分が自分と兄にのみ厳しい母のことが心の底から好きかどうか分からなかった。
幼い子供は大抵お母さんのことが大好きだ。嫌いな人だと応える人はほぼいない。
「ここだけの話でええよ。誰にも言わん。お母さんのこと、嫌いか?」
麻希は、若干躊躇いつつも、首を縦に振った。幼いうちは純粋なままで何でも遠慮をしないほうがいいとその以前祖父に言われていたのを思い出したからだ。
「正直でええなぁ。」
祖母は、麻希を抱き寄せた。
「麻希ちゃん。あんなぁ、家族ってのは、大切なんよ。自分の1番身近で、痛いところを、欠点を、1番ピンポイントで指摘してくれるさかい。」
「厳しいから、厳しすぎるのは、麻希ちゃん、我慢できないもん。」
麻希は、少し頬を膨らませて見せた。
「せやけどなぁ、お母さんのことは、嫌いになってもな、兄妹のことは嫌いになったらあかんで。」
「なんで?」
今度はオウムみたいに、首を少し傾げた。
祖母の目は、少々赤くなっていた。
「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんも家族でしょ。おばあちゃんのこと大好きだよ。」
麻希は、ハンカチを差し出しながら笑顔で言った。
しかし、祖母はそのハンカチを使うことなく振り切った。
「おばあちゃんはね、少し離れて暮らしてるやろ。何かあったら、着くまでに時間がかかるん。万が一の時は間に合わないんよ。それに、咲子ちゃんのことやって、こうなるまで分かってやれへんかった。」
その目には涙が溢れていた。何で祖母がその時泣いていたのか、大きくなった今でも理解出来ない。
「お兄ちゃんも、咲子ちゃんも、大切にするんよ。」
と言った。
まだ頷こうとしない麻希に対して、
「お兄ちゃんと、咲子ちゃんと喧嘩しないんだよ。頼みたいことはそれだけや。分かったか?」
多少の押し付けが働いたが、
「分かった。」
と応えると祖母は小指を目の前に突き出してきた。
「指切りね。」
小指を突き出して、
『指切りげんまん。嘘ついたら針千本飲ーます。指切った。』
生まれて初めての指切りだ。子供に押し付けたような指切りに違いないが、一生忘れることのない指切りだ。
しかし、そのあと祖母がどうしたのかも、なんで和室に呼び出されたのか、覚えていない。
というか、あれ以来誰とも指切りをしていない。
咲子が退院するとそんな幸せな時間はあっという間に消えてしまった。
咲子は、兄と不仲な状態だったが、その原因は麻希には分からなかった。
麻希は、祖母と指切りをしてしまったので、どちらとも仲良くした。
2人は滅多に会話をせず、用がある時は、麻希を遣わせた。麻希はいわゆる、板挟み状態であった。
2人の会話の中継ぎをした。
と、するとやはり兄は咲子のお見舞いには行っていないのではないかと思った。
「そしたら、なんでお義姉さんは、その情報を知ってるの。」
思わず、声に出てしまった。
同じ両に乗っている乗客のほとんどが麻希の方を見た。恥ずかしくなってしまって、少し頬が紅くなった。
「す…すみません。」
と、今にも消えそうな声で乗客に謝った。
流れていた気まずい空気は次第に薄れていった。こちらに向いていた視線も全て他のものに動いた。
そして、その後に、そういえば兄夫婦からの年賀状の住所が、実家の住所だったなと思い出す。
メールアドレスも、電話番号もお互いに交換しているのだが、兄夫婦とのやり取りは、年賀状でしか行っていなかった。麻希は、特段、これといった用事がないので、連絡を取ることはない。きっと、兄夫婦もそういうことなのだろう。
電車に乗っている客たちは次々と入れ替わっていく。まあ駅によっては、大混雑の時も全くスカスカの時もある。全く、駅に1人の新規の乗車客も、降車客もいない駅なんてのがざらにある。止まらなければ、いかに早く目的地に着くのだろうか、と想像してはイライラしてしまう。
しかし、それも鈍行列車の特徴だろう、と割り切ることにした。さもないと、眉間にシワが沢山よって、目的地に着く時には、老けてしまうだろう。次第に入れ替わりではなく単に乗っている人が降車していくだけになっていく。
そして、降りる駅に着く頃には、出発時には満員電車と化していた乗っている両が貸切状態になっていた。
こんなド田舎なんかに向かう人って少ないんだから仕方ない。
窓から見える田舎町の風景に多少の懐かしさを浮かび上がらせていた。すると、次第に電車はスピードを落として行き、降りようとしていた駅の名を呼ぶ。
扉は焦ったい位にゆっくりと開いていく。
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