道端の花

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 電車を降りると、変わらぬ駅前の風景が見に飛び込んで来た。  麻希には、祖母としたあの指切りの真意はまだわからない。理解しようとしないでもないが、人の考えていることは当人にしか分からない。優しい人が心底優しい性格をしているのか、真偽の程は分からないように。  お義姉さんに、咲子の入院しているであろう病院の名前を聞くのを忘れたのでとりあえず実家に帰ることにした。メールや電話で聞くこともできるのだろうが、この大荷物で病院に向かうのは、きっと狭い共同部屋に入院しているはずだ。そっちの方が安く済む。同じ部屋の人に少し失礼だろう。  キャリーケースを引いてひたすら歩いた。出発ギリギリまで、鞄のタイプにしようか迷っていたのが正解だった。鞄にしていたら、肩が悲鳴を上げて、タクシーを呼ばなければならないところだった。ただでさえ、移動にお金がかかっているのだ。そんなことに大切なお金を使いたくはない。  道行く人は、すれ違う人は、住んでいる時はもちろん、知っている人しかいなかった。誰の親戚の誰とか、友達の誰とかである。みんな知っている人であるということは、安心感があるというメリットがある一方、噂も、あっという間に広まってしまうという欠点もある。行動の自由が法律では認められるが事実上は、その状況下ではそんなもの、無に等しかった。  つまり、様々なことに挑戦したくなる、十代から二十代には、あまり向いていない生活だ。しかし、その親世代には悪い事を子供がしないという安心感を得られることだろう。  でも、麻希にとってそれは、今は違う。知っている人はいなかった。田舎で、こんなにも人の流れは変わるものかと少し驚いた。  故郷でありながらも、こんなに変貌を遂げた今になってしまっては、知らないこともきっと多い。まあ、お見舞いをして少ししたら、東京に帰る予定だから、別にそれを詳しく学ぶつもりは更々ない。  神様に舌を見せられている気分だ。  トボトボと駅から30分近く歩いた。  すると、実家らしき建物が現れた。  近所の家も、暮らしていた時にはほんの低木だった木が、大樹へと成長していた。  見慣れていたはずの実家も、壁の塗り替えをしたらしく、全くみたことのない建造物と化していた。  インターホンをポチッと、か弱く押した。  力を入れたつもりが全く力が入っていなかった様だ。  しかし、どんなに力が弱かったとしても、インターホンは、同じ音量で鳴る。大変都合の良い奴だ。  「はーい。早かったね。」 家の中からした声は、明らかに義理の姉の声だった。  鍵を開ける音がすると、義理の姉が笑顔で顔を出した。  「あの、…」 言葉を最後まで待たずに、義理の姉は、 「まあまあ。話は中に入ってから。」 と言った。  実家に帰ってこない私は、義理の姉のことをよく知らないのだが、どうやらせっかちらしいと悟った。  キャリーケースをかっさらわれて家の中に招き入れられた。  「お邪魔しま…す。」  他人行儀にも、麻希はそう言って身体を中に入れた。  見慣れていたはずの玄関には、兄たちの結婚式の写真に、姪っ子の写真などが飾られていた。  どれもとても幸せそうな顔をしている。兄は親孝行をきちんとしているのだ。この玄関の写真の数々が、それを表している。  全く知らなかった。  そんなものを見て、虚しくなった。ここはもう実家ではないみたいになってしまっていた。  指切りなんてしてはいたが、家族なんて離れてしまえば、所詮無意味なんだということを実感した。  無造作に靴を脱いだ。少し乱れてしまったので、綺麗に整頓した。  「麻希ちゃん、そんなに他人行儀にならないで。ここは実家でしょ、仮にもあなたの。」  少し皮肉チックなその発言。  ずっと帰省していないので仕方ないと割り切ることができた。  「お義母さんは、三智と、び…ビスケットを買いに散歩に行ってるところだから。」  「あの、咲子は?」  母は、姪と散歩をしているのだと言葉で聞いて、驚いた。  もし、咲子が入院しているのなら、母は咲子に付き添っているのではないかと思った。  「咲子ちゃんがどうしたの?急に帰ってくるってメールが入るからどうしたのかと思えば。咲子ちゃんに用事だったのね。」  義理の姉は、目を丸くした。  麻希も、全く同じく目を丸くした。  「どうしたって、お義姉さん。このメール。」 と言って送られてきたメールを義理の姉に突き出した。  「あっ、あー。そうだったの。道理で咲子ちゃんに送られてなかったわけだ。ごめん。それ、咲子ちゃん宛のメールだわ。」 義理の姉は、元ぶりっ子なので、手を合わせて目をパチパチしている。それはきっと、麻希に許せと言っているに違いない。  どんな思い違いをしてしまったのか、自分で自分自身を叱るしか残る手段が無さそうだ。それなので、もう一度メールを確認してみる。 『咲子ちゃん、看病して欲しいな。病気になったから入院してる。もう私は限界だから。早く帰ってきて。私も仕事に行かなくちゃいけないから…』  本当だ。どこにも当の咲子が病気になったとは書いていない。義理の姉に非はない。  「でも、だとしたら、誰が入院してるんですか?」  「お義母さん。」  「え、でもお母さんって三智ちゃんと…。」  もう、何をどう捉えればいいのか、分からない。  「ごめんね、騙す様なつもりはなかった話だけど。」  いや、無理だろう。散歩に行ったということが嘘なのだったら、帰ってこなくて結局バレる嘘だ。  駄目だ。変な胸騒ぎがする。  「あの、詳しく全部話してもらっていいですか。飲み込めるか分からないですけど…。」  「いいけど、それなら、そこに座って。話は長くなるから。」  「分かりました。失礼します。」 と言って、新しめの椅子に腰掛けた。  この椅子も知らない物だ。  家に帰って来ぬ間に知らないことが増えていく。  「お茶でも淹れようか?」 義理の姉が言ってきた。  「いえ、大丈夫です。客じゃないので。」  「だったらそのスリッパ脱いで貰えます?来客用のものなので。」  麻希が足からスリッパを離すと、  「やっぱりいいです。この家にとっては、あなたは来客なので。今は、私と旦那と娘でこの家に住んでるんで。」  とんでもない嫌味だった。  「そうですか…。では、お構いなく履かせていただきます。来客として、今日は来させていただきありがとうございます。」  謙ることにした。それしか話を聞かせてもらう方法がない様だし。この辺で諦めておくより効率的な方法など、全く思いつかなかった。  「それでは、お話聞かせていただけますか?」  「どこからお話ししましょうか、来客様。」  すっかりこの家の主人として収まるべきところに収まったようだ。  「なるべく、ことの全てを知りたいのです。 全てを教えてください。」  謙ることに専念する。  「全てねぇ、分かったわ。じゃあ、私の分かる範囲で話しましょう。あなたの知らなさそうなことを。」  義理の姉は、脚を組み出し、手を胸のところで束ねて話し始めた。  麻希は、心の中でひっそりと今は亡き父にその姿を重ね合わせた。少しそのことで寂しさを感じながら、聞く羽目になった。
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