道端の花

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 結婚式の約2週間後、義父方の祖母が、虚血性心不全で亡くなった。  そのお葬式、あなたは、帰省してきたわね。そう、あなたのひいお婆さま。  享年77。若いのか、若くないのかは分からない。世間一般にどのくらいの事を若いというのか定義されていないからね。  その人の感覚で若いとか年寄りとか判断するのでしょう。そうね、私はしたことないわ。あなたは?ああ、そうなの。まぁ、この話には関係ないけどね。  そのあと、筋金入りのマザコンだったらしい義父は、悲しみに暮れて部屋に籠った。  ええ、私も驚いたわ。もう、50も過ぎた義理の父がマザコンだったなんてね。そうね、義理の母も驚いていたわ。  その頃は、あなたも知っての通り、私達夫婦は、まだこの家には住んでいなかった。  そのうちに、だんだん翔(麻希の兄)さんが、籠っている父親のことを心配し出した。  私はあまり乗り気でなかったんだけど、翔さんが、どうしてもというから仕方なく、ここに住むことにした。本当に、仕方なくよ。  だって、あなたは実家に帰って来もしないし、咲子ちゃんも日本にいなかったんだから。  ええ、そうね。どっちかがこっちへ帰って来られる状態だったら、ここへは引っ越さなかったわ。実際に一軒家を買う予定だったんですもの。  え、なんでって。私は、義理の家族とは、上手くやれる自信がなかった。  両家顔合わせの時から、嫌味な人だと思っていたお義母さんに、その人の言いなりの弱々しいお義父さん。そんな印象だったから。実際に、翔さんもお義母さんのことが好きでないと言っていたしね。  それに第一、そんな旧式ぶったことをしてご近所さん達に何と言われるか、分からない。田舎なんだから、情報の伝達も早い。  実家にまで変な噂が広がったら、私が帰省できなくなるもの。そんなの、絶対に嫌よ。全然帰省しないあなたには、分からないでしょうけどね。  引っ越したら、まず最初に荷物を入れて、お義母さんとお義父さんにご挨拶をした。  そしたらなんと、お義父さんが部屋から出てきたの。引き籠もっていたなんて、嘘みたいにいとも簡単に、何でもない様に、出てきたわ。  翔さんも私もびっくりした。でも、1番びっくりしていたのはお義母さんだった。だから、その瞬間出てきた全てが演技で嘘なんだって疑惑は一瞬にして晴れたわ。  最もそれさえも演技であったというのなら別だけどね。  そしたら、もうここに住む理由が無くなったの。だけど、高い引越し代金を払ってここに来たんだから、いて欲しいって義父からの頼みがあった。  私としては、いたくなかったんだけど、なんだか可哀想になってしまって、ここに住むことにしたの。そうね、他の選択肢もあったでしょうね。でも、これが一番合理的だっていう結論に至ったの。  多分、お義父さんは、お義母さんと2人きりで住んでいくのは嫌なのだと、翔さんは、はっきり言ったわ。それしか理由がないのだ、とでもいうぐらいね。  その後は、ずっとネチネチ、義理の母から孫はまだかと言われ続けた。  そうね、世に言う、義理の母からの重圧ってやつね。最初は対抗できた。反対もできた。でも、そのうち小中高の同級生とか同期とかが、子供が出来たって手紙送ってきてさ。とうとう断れなくなっちゃったの。  私だってバリバリで働きたかった。麻希ちゃんみたいに、管理職に抜擢されるぐらいに。でも、叶わなかった。  女は結婚するのが本当に幸せなのか、不思議に思ったわ。もしかしたら、結婚しなければ、そうなれたかもしれないから。そっちの方が幸せだったかもしれないし。  この世の中はまだ、良妻賢母であることが女の最高の仕事であり、幸せであるとかいう古い考えを捨てていないものなのね。  私は、自分の進んできた道に戸惑いを見つけた。そして、翔さんとも喧嘩が増えて、離婚も視野に入れた。その時、いつも最後に翔さんは謝ってくれて、逆に感謝までしてくれた。  色々辛いこともあったし、それを挙げればキリがないわ。でも、そんな中で三智をやっと授かった。  当たり前のことを如何に有難いものだと感じたことか。きれいごとじゃなくて、本当にその通りなの。  正直、会社は、辞めたくなかった。でも、産休明けた先輩が、会社や上司から虐めを受けていたことを知っていたから、諦めた。  専業主婦になって、家事をして生きていくことにした。義理の母を相変わらず好きになれた訳ではないの。翔さんと三智に尽くすことにしたの。家族と過ごすという当たり前で有り難い風景を守りたくなったから。  三智が産まれてから、義理の母は、なんかソワソワしだした。その原因を聞いても、何とも言ってくれないの。  そして、留学に行っていた咲子ちゃんが帰ってきた。そして、彼女は、この家に住みだすと言ってきた。あまりに唐突過ぎて、驚いた。  後に本人に聞くと、義理の母には、ずっと前から話していたらしい。でも、他の人たちにも伝えておいてって言っていたらしいわ。  あ、そうだ。あなたそれ聞いていた。そうなの。聞いていなかったのね。私たちもそうよ。  そしてその後すぐ、義理の父が糖尿病が確認された。だから、病院の近くに義父母が引っ越すことになった。元々この家にみんなで暮らすのは手狭だったから、ちょうど良かったんだけどね…。  そんなこと言ったら、則っちゃったみたいじゃない。え、本当のことだって?仕方ないじゃない。ことの運びがそうなんだから。  咲子ちゃんもそちらに一緒に暮らすことになって、家賃は咲子ちゃんが持ったらしい。  今は彼氏が出来て、同棲してるから、そこには住んでないと思うけど、未だに払ってるんじゃないかな…。え、彼氏の存在なんて知らなかったって?本人から聞いてよ。嫌よ、口軽女だと思われるじゃない。  私は、そこまであのご両親にどうして費やせるのか分からないけどね。あなたも、そうするの?  まぁ、そうなるわね。嫌いなご両親でも一応ご両親ですものね。そうね、翔さんは一切出さないとか言って聞かなかったわ。  そして3年前の人間ドック。お義父さんの結果は糖尿病のこともあるし、ある程度予想通りだったんだけど…、お義母さんの結果が、それ以上に悪くてね。  婦人科にもう1度きてくださいと言われたらしくて、私も一緒について行った。  そしたら、乳癌で、ステージがかなり進んでいて、もう手術も出来なくなっていたらしい。なす術なし、なんて台詞、ドラマの中だけだと思っていたのに、実際にあったのね。  お義母さんは、若い頃に咲子ちゃんと同時期に入院していたのは、知っているかしら。その時は、他の部分の癌で、それは切除できたらしいの。  でも、今度のは無理ですって言われてしまって…。それでも、お義母さんは、私に微笑んで見せたわ。  そのあと、診察部屋から出たお義母さんは、持っていた毛糸のバックから、スマホを取り出したわ。  そして、それとともに何処かへ行った。  後で咲子ちゃんから聞いた話とその後の私の推理が正しければ、咲子ちゃんに電話してたみたい。  戻ってきたお義母さんの目は充血していたの。泣いてきたのだと一瞬で分かった。でも、勿論知らないフリをしたわ。  多分、私とは血が繋がっていないから、お義母さんは私には甘えられなかったんでしょうね。  お義母さんは、今でも入退院を繰り返してる。良くなったり、悪くなったり。  でも、絶対に100パーセント元気なお義母さんは、もう存在しないの。医師から、そう言われたの。  高額な料金のかかる施術を沢山してもらった。病院は気兼ねなく行けるように、少し高めの個室を選んだ。  普通の癌患者の倍以上は、治療にお金をかけているわ。  そしてその、高額の医療費は、咲子ちゃんが何がなんでも1人で払うと言って引き下がらなかった。でも、翔さんと話して、少しは出すことにしたの。  だって、家族だもの。  でも、私たちの暮らしも大変で…。  幼い三智の保育費に関連のグッズ代、おもちゃ代に、3人分の食費…。お金の話は言い出すとキリがない。  とてもじゃあないけど、翔さんの給料だけでは出せなくなった。  私は翔さんに、 「麻希ちゃんにも連絡しよう。少しぐらいは出してもらおう?」 とか聞いたこともある。  でも、翔さんは、 「麻希は…駄目だ。絶対に…迷惑はかけられない。」 とか言い出すの。  だから、私は自分たちでなんとかするために、働くことにした。  私は、当然元いた会社には戻れなかったけど、新しい会社を見つけて、働き始めたの。勿論、元いた会社程は給料も貰えないわよ。正規雇用じゃなくて、非正規雇用だし。  それの原因がお義母さんだと悟られない様に、今まで通りに看病を続けて…。暇だからやってるみたいな風を装った。  それでも会社に行けない時は、仮病を装ったり、三智の何かを当てつけたりして、咲子ちゃんに看病を代わって貰った。  『敵を欺くには味方から』なんて言葉もあるから、咲子ちゃんにお義母さんのために私が働いているんだという理由を言わなかった。  ごめんね、麻希ちゃん。咲子ちゃんに送るメールを間違えて送っちゃって。
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