姉妹

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優しげながら気高いまなざしの兄、愛らしく眠る赤子の弟に挟まれながらカメラのレンズをしっかり見据えるうり二つの顔。互いに手を取り合う幼い少女たちは静かで、ひそやかな絶望のまなざしをレンズに向けていた。 北部国境に近いオッテンシュタイン城の、豊かに生い茂る芝生はひどく明るかった。カメラマンはこの中世の面影を残した古城に、新しい家族を迎えた記念写真を撮らせるため呼ばれたのだった。地元で腕利きのカメラマンではあるが伯爵家に出入りする身分でなかった彼は、話を聞いたときにははて、と首をかしげたものだ。自分を呼びつけたことだけではない。男子二人、跡取りに困ったわけでもあるまいに、しかも迎えたのは姫君だと聞いている。どんな庶民素人であっても不可思議には変わりあるまい。 さて、疑問も不安も数あれど、彼と、その助手は芝生を踏み越えて当主に謁見した。表と打って変わって陰鬱な広間に佇む当主は、思慮深そうに刻まれた皺が数世紀続く大家の威厳を際立たせている。 「よく参った。抱えの画家も写真家もここに呼べなんだ、腕のみを買っての通達よ。ところで娘を迎えたことは民草に知れ渡っていると聞く。……本当かね」 「ええ、閣下。私も”伯爵様が姫君を迎えられた”と風の噂に」 「はは、そうか。私の娘だがこれがまあ美しく生まれたもので、撮らずには」 庭にいるよう指示を受け、メイドが若君と令嬢を呼びに出るのに合わせて外に出る。ハハア表に聴くより貴族のお家というのは複雑にして陰鬱なものかとカメラマンは顎を撫でた。広間にもついてこさせた若い助手はただ押し黙って城を眺めている。おそらく彼もまた毒気に中てられたような心持だろう。 しばらくのちメイドが連れてこさせたのは顔は青白いながらも引き締まった賢明そうな青年とゆりかごの赤子と美しいそっくりな顔を突き合わせた二人の少女だった。 姫君はおひとりであるかと思っていたカメラマンはこの姫君たちにひどく驚いたが、双子は互いの手をかたく取り合ってどこか怯えたまなざしでいたからそっと微笑んでやった。閣下は夫人と子どもたちで撮るのがよろしいと言ったが、メイドが夫人はご気分がすぐれないと伝えてきた。閣下のご意向だが、と問うと年若いそのメイドは困ったように旦那様にも伝えますと頭を下げた。結局伯爵から許しを得、四人の兄弟をカメラマンとその弟子は写真に収めたのだった。 今にして思えば、夫人はその少女たちを忌み嫌っていたのだろう、少女たちにもそれはわかっていた。 姫君を迎えた話が民草に話が流れることも快く思わなかったかもしれない。なにせ少女たちは庶子、商人の女との間に生まれた子供だったと言うではないか。 だからあのように暗いお顔を――。一枚だけ持つことを許されたご兄弟の写真を眺めながらカメラマンは思う。これも二十年近くも前のことだったか。 ランベルク、ミュニッヒと二つの城であの時の当主と夫人、若君、そして少女のひとりはあの後相次いで亡くなられた。それが此度あのときの少女の片割れによるものだったと判明し、この北部一帯を騒がせたのだった。少女―エレオノーラ・フィロメナ・フォン・ランベルク、実質的な女伯爵である。エレオノーラが姿をくらませた今はあの赤子、立派に嗣子となったハルベルトが伯爵一家を取り仕切っている。 殺さねば、この家で生き残らせてはもらえまい。 もとより実母から自分たちを取り上げた時点でこのランベルクを追い出されれば行くところなく修道院に押し込まれるだけだった。ならば、父を排し、義母を排し、兄を排し、姉/妹を排して己がこの家の長であると宣言しなくてはならなかった。弟は生かしておかなければなるまい、女ひとり残ったところで縁戚が寄ってたかってこの家を分割しに来る。どんなに生母恋しくとも、庶子として自分たちを生ませた当主が憎くともそれはならなかった。 父がもっと下劣で妻をも愛さぬ男ならばよかった。 兄が卑しく恐ろしければよかった。 姉が自分の手を握り返してくれなければよかった。 そうしたら、私は。 結局、父の食べ物に毒をもったのは姉だった。 結局、兄の食べ物に毒をもったのは姉だった。 義母は発狂し私を名指しで罵った。”ああ恐ろしい、だから双子の女なぞ迎えるべきではなかったのに!”私は家を出て行けと脅された。身を縮こまらせて震えて泣いた。 そして姉は、エリィは、エルネスティーネは四人で撮った写真の時のように私の手を取り、一言「私を殺せる?」と訊いた。 私はそのとき、なぜこんなにも急に冷静に素早く行動を起こせたのかわからない。憎い父にも優しい兄にも刃を向けられなかったというのに、この最も血のつながりがある彼女に向かって、一突き。ドレスの下に忍ばせていたナイフを突き立てた。 エルネスティーネは微笑みながらそっと私を抱きしめて冷たくなっていった。 翌日には義母に毒を盛り、縁戚を呼び寄せて幼いハルベルトに爵位を与えさせ後見人が私になるように画策した。 私は、それでランベルクとして生き残ったはずだった。 いえ、少なくとも十年は生き残ったのだから、成功したと言っても過言ではないのかもしれない。 秘密警察に属した人間が無粋にも過去のことを掘り返そうとしていることは使用人から聞いていた。不審な動きがあったこともわかっていた。縁戚のひとつローゼンベルクが裏切りそうなことも予知していたのに、ああ、私ったらまた失敗しちゃったのだわ。どうして私はいつだってこうなのでしょう。 ねえエリィ、きっとあなたなら失敗しなかったのに、 エリィ、エリィ、ああ―ああ――!!! 街の小さなさびれた写真屋に深くベールで顔を覆った女性が来店したのは、アナーキストの凶刃に皇妃が倒れて帝国も傾き始めた年の冬だった。 「ここは、なにか謂れのあるお店なんですの?」 「お嬢さん、ここは一度だけ伯爵様のお家で写真を撮らせていただいた誉ある職人の店ですよ。こう年老いてしまいましたが腕はまだしゃんとしております」 「あら、ええ、ええ。わたくしも撮っていただけないかしら。このベールのまま、家族に無事だけを報せたいの」 「そうですか、お嬢さんお名前は」 「エリザ。エリザ・ランベルクよ」 「おんやあ!まあ伯爵様と同じお名前ではないですか」 「よく聴いたかしら、わたくしのはRよ、署名はここ?」 「はい、はい。そこです。スタジオは奥にありますよ」 年老いたカメラマンの背を目で追ってエリザ・ランベルクはベールの下で微笑んだ。 次の日、雪の降る寒い朝、カメラマンは死んでいた。大切にしていたはずの伯爵家の写真はその遺体からは見つからなかった。
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