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雲の惑星。
一隻の大きな最新型の軍艦が護衛の古い装甲巡航艦を一隻だけ従え、“白雲”を蹴立てて星煌めく雲海を突っ切っていく。
大きな船の種別は戦列装甲艦。
芙蓉皇国海軍での通称名は【戦艦】。
艦名は【石蕗】。
艦前方に45口径30.5cm連装砲を二基四門。後方に同口径の30.5cm連装砲を一基二門装備し、上部甲板の舷側砲郭内には片舷の12門の単装45口径の15.5cm副砲に、上甲板と第二主砲塔上には剥き出しの7.6cm速射砲12門と最上甲板に据えた25mm四連装機砲四基を艦の両舷から幾多の触角のように伸ばしたその姿は、まさに雲海に浮かぶ甲鉄の城。
芙蓉皇国の粋を集め製造された世界初の、多主砲搭搭載の最新鋭戦列装甲艦であった。
世界の海軍においても未だ登場していない同口径主砲塔を二基以上も搭載した戦艦は、現在【石蕗級】の二隻以外にはなく、この雅な植物の名を冠した軍艦を運用する芙蓉皇国は、世界の軍事関係者からは注視の的であった。
近代海軍を象徴するこの真新しい主力艦は、百三十年ぶりに回遊してきた島国家であり芙蓉皇国の重要な同盟国【オーベラル連邦王国】で催される観艦式に参加すべく、そして敬意と友好を意を示すために芙蓉皇国の皇族を首班とした表敬団を乗せて雲海をひた走っていた。
また今回の出航は、芙蓉皇国海軍の誇る最新式の戦列装甲艦であるこの戦艦を世に見せつけることで、技術が遅れていると世界から見られている芙蓉皇国の発展ぶりを内外に示す意味合いも多分に含まれていたのだ。
「不思議なものですねぇ~。こんな黒くてやたら重たい鋼鐵の塊が、ふわふわした雲の海に浮いていられるんですからねぇ~‥‥」
戦艦の後部艦橋、その左右の艦体の幅よりやや大きく、雲海の上まで出っ張っている〝ウイング〟と呼ばれる構造物の縁に両腕をぶっきらぼうに置いた件の青年が、しまりのない呆けた顔と纏まりの悪い髪を海風になびかせながら戦艦の横っ腹を駆け抜けていく、白くて惑星の底まであると推測されている厚い雲の波をボンヤリ覗き込みつつ、今にも風に煽られ飛んでいきそうな帽子を右手で押さえてひとりだらし無くゴチていた。
そんな見るからに所在なさ気な青年は、ボンヤリした表情でくたびれた中折れハットのツバを不意にクイっと上げ、夜の闇を明るく照らす衝突防止用の艦上灯と、その光に照らし出された艦最後尾に急遽むりくり設営されたらしい、さほど太くない鉄骨を櫓状に組んだだけの簡易な構造の飛行船搭のてっぺん付近に係留されている飛行器械に目を留める。
これまた、彼の見た目と同じ感じで安っぽい作りの小型艦上飛行船の楕円形の船型で、ぽっかり隣に寄り添うように空に浮かんでいる同じく楕円形の満月と“形がよく似ているなぁー”などと、うろんな頭で見たまんまの感想を抱いていた。
「雲の気を寄せて集めて風船に詰めた空飛ぶ乗り物と聞きましたが、しかしなんとまあ、肋骨が入った瓜みたいな形の風船ですね。こんなのが本当に空をスイスイ泳いでちゃんとあたしをオーベラルの陸まで運んでくれるんですかねぇ…」
でも重い戦艦や、それよりも遥かに重い大陸や島々を浮かせているこの惑星の“雲の気”です。あれくらい空に浮かべるのは造作も無いのかもしれませんねぇ。たぶん。
誰にも知られてはいけない秘密の仕事を皇国海軍上層部から無理矢理依頼された青年は、不安そうに哀しくまた一人ゴチて、おもむろに和服の襟元を掴んでキュッとなんども引き締めては、貧乏生活丸出しの居ずまいを少しでも綺麗にしようと調えはじめだしたのだった。
この、人が行う動作として大して意味のない行為は、これからの自身に振りかかるだろう多難さを思えばこその無意識の行為であり、なにかしらでも理由をつけて体を動かしていなければ、どうにも気分が落ち着かなかった故に為させた行動でもあった。
そんな彼の仕事に対する嫌がりぶりは、次の言葉で締め括られた。
「なんだってまたあたしは、ひと探りの間諜の真似事を辞めた海軍でさせられるハメに陥らされたてるのでしょうかねぇ‥‥」
青年はのんびりした口調で逃げ出したい気持ちをまるで他人事のようにまたまた独りごちながら、時折彼のそばまで上がってくる雲の欠片をつかもうと手を伸ばすのだった。
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