ミーナの失踪 (一)

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ミーナの失踪 (一)

 ミーナの失踪について、病院のスタッフは驚くほど無関心だった。いや、無関心をよそおっていただけかもしれない。  ただひとり、Dr.バルケスが彼女の使っていたベッドを直しながら深い溜め息をついた。 「ドクター......」  私は、影を落とす彼女の横顔を見つめた。初めて見る、深い愁いに満ちた眼差しで、白いシーツを見ていた。 「前にも、こんなことがあった......」  彼女は独白するように呟いた。 「生命より大切なものは、尊いものは無いわ。でも、誰もそれに気付こうともしない......」  ふぅ......と、彼女は大きく息をついた。 「人間は......Human は、いつになったら、その事に気付くのかしら......」 ―生命を蔑ろにする星は、いずれ滅びる―  それが彼女の『経験』だと、目尻に刻まれた深い皺が語っていた。  私は、思いきって口を開いた。 「私は、ミーナを助けたいんです。先生(ドクター)......まだ間に合うのなら......」 「そうね......」  Dr. バルケスは静かに言った。 「全く不可能では無いわ。......でも、とても難しい」  それは私達の誰もが知っていることだった。私達......私やDr. バルケスは、所詮、外星人(よそもの)だ。この星の人々(ラウディアン)の深層に 辿り着くことはできない。  この星の人々(ラウディアン)の深層を知る数少ない人物であるDr.クレインは彼女達の(ガーディアン)だ。 「思い詰めちゃダメよ、Dr. シノン」  Dr. バルケスは、そっと私の頬に手を触れて、言った。 「あなたには、あなたの笑顔を待っている患者(子ども)達がいる。その事を忘れちゃいけないわ......」  私には私の患者達を助ける《ケアする》義務がある。それは何事があっても最優先されるべきことだ。 「忘れなさい、Dr. シノン。......彼女は君の患者では無いのだから......」  翌日、私を呼び出した教授(プロフェッサー)マシューは私に諭すように、言った。 「私達は私達のすべき事に全力を尽くさねばならない。ミーナは、ここを出ていってしまった......。私達にはもはや『介入』できない」  教授(プロフェッサー)は、私をじっと見つめながら言った。幾つもの星の滅亡-衰退......それを見続けてきた教授(プロフェッサー)の深い哀しみに満ちた瞳に、私は黙って頷くより他は無かった。 「君には何かと辛い事態かもしれない......けれど、私達には私達の出来ることをする他は無いのだよ」  私は教授(プロフェッサー)マシューの部屋を暗澹たる思いで後にした。自分のオフィスへ向かう通路が途方もなく長く感じられた。 ―元気を出して......―  俯いてとぼとぼと足を運ぶ私をライアンのエネルギーが優しく包んでくれる。 ―彼女は、きっと大丈夫だよ......―  気休めでも、その言葉は嬉しかった。 ―ライアン......―  私は、私の天使(ガーディアン)に語りかけた。 ―私はミーナを死なせたくない。復讐なんかじゃなく、生きる喜びを教えたいの― ―先生(ドクター)の気持ちはきっと届くよ。諦めないで―  ライアンに慰めながらオフィスに戻ると、扉の傍らに立つ彼の、Dr. クレインの姿が見えた。私は体を強張らせ、前を黙って通り過ぎた。 「アーシー、話がある」  彼の言葉が、冷えた廊下に響く。 「後にして......」  それが私に口に出来る言葉の精一杯だった。  翌日、私は休暇を取ることに決めた。ここしばらくの出来事で、ひどく混乱していたし、疲労していた。何よりも、Dr. クレインに、イーサンに会いたくなかった。 「それがいいわ」  Dr. バルケスは、あの微笑みで私の我が儘を受け入れてくれた。 「しばらくは急患もなさそうだし、私達で対応できる範囲のことで済みそうだから......」  Dr. バルケスの『第三の目』が、バンダナの下でしばたたいているのがわかった。彼女の助言で教授(プロフェッサー)マシューの承認もすぐ降りた。 「馬鹿な真似はするなよ」  Dr. クレイン、イーサンは、当面の必要な物を車に詰め込む私の背後で咎め立てするように言った。が、私は答えなかった。  私には、やらねばならないことがあるのだ。  郊外の私の家なら、サマナの市内と違って監視も厳しくはない。私は出来うる限り、意識を集中して、ミーナのエネルギーを追うつもりだった。  安全委員会やイーサンに知られずに、ミーナを保護したいと思っていた。  まだ、ミーナとは話したいことが沢山あるのだ。  私は家へ向かう途中にディートリヒに連絡を入れた。休暇を取ったこと、しばらくは家にいることを手短に告げた。 「......ゆっくり休んで。僕も一月後には帰る。何があっても僕はいつも君の味方だよ。」  ディートリヒからの通信は暖かかった。私は彼の温もりを思い起こした。心の底から抱きしめられたいと思った。
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