束の間の日常 (一)

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束の間の日常 (一)

 ミーナは数日でベッドを離れることが出来るようになった。が、まだ傷が塞がっていないことと体力の消耗が激しかったこともあり、しばらく私の家で静養することを勧めた。  彼女は比較的素直にそれを受け入れ、私が菜園の草取りをしたり、洗濯物を干したりする様を飽きもせずに眺めていた。 「先生(ドクター)って、わりと原始的な生活をしているのね」  キッチンでジャガイモの皮を剥く私の後ろで、椅子に腰掛けて、普通の子どものように足をブラブラさせながら、ミーナは呆れたように言った。  私はピーラーを軽く振って、彼女に笑いかけた。 「普通の、『人間』―Human―の生活をしているだけよ」 「『人間』の生活?」 「そうよ。フェリーでは、みんな普通に『日常生活』をしてたわ。ディートリヒもそうよ」 「ケンタウリの、先生(ドクター)の同居人?」 「夫よ。私は彼と結婚しているの」 「ますます前時代的だわ。......でも、楽しそうね?」 「ん?」 「この家は暖かいの。暖かいエネルギーがそこここに溢れてる。ビジョンを拾うと、みんな笑ったり、泣いたり......でも暖かい気持ちになるわ」 「私もディートリヒも子ども達も......愛しあってるからよ」 「愛?」  彼女はとても不思議そうな顔をした。 「愛って何?」 「相手を大切に思う気持ちよ。愛する相手には、みんな笑顔で幸せでいて欲しい。......だから、ミーナあなたも危険なことは止めて、幸せになって.....」  彼女はビックリしたように、そして唇の端を歪めて皮肉っぽく笑った。が、私は、その顔が今にも泣きそうに見えた。 「先生(ドクター)は、私を愛しているというの?」 「ええ、そうよ。......さ、お皿を並べて、そうだわ、味見してみる?」  私は、ミーナを手招きして、ポトフの鍋から一匙掬って、彼女に渡した。彼女はおそるおそる口に運び、驚いたように言った。 「色んな味がする......前に食べたスープもそうだけど、ここで食べるものからは色んな味がするわ。都市(サマナ)では、どんな形のものでも、同じ味しかしないのに......」 「都市(サマナ)で売られるものは、殆どみんな、ペーストに色を着けて形を整えただけだから...」  私は、カイが作ってくれたマスの切身をバターでソテーしながら、応えた。 「都市(サマナ)で提供される既成の食事は、人間―Human ― に必要な栄養素をバランス良く摂取出来るように、原料から栄養素を抽出したり、化学的に加工して作られているの。だから原料の味もエネルギーも抜けてしまっているの」 「原料のエネルギー?」  私は、テーブルの上に、食事の支度を揃え、彼女と向き合った。 「よく味わってごらんなさい?」  ミーナは、ポトフのスープを口に含み、眼を閉じた。 「色んな波動や波長のエネルギーを感じるわ.....」  私は、微笑み、焼きたてのパンを彼女の皿に置いた。 「それぞれの生命の波動よ。」 「生命の波動?」 「そうよ。植物も、魚も、生命よ。本来、私達は みんな色んな生命を摂取して、その波動をもらって生きてるの。都市(サマナ)の既成の食品は、既にその『生命』が抜けた状態で提供されるから、気付かないけど。元々の私達の周りには様々な生き物がいて、色んな波動があって、私達の生命を豊かにしてくれるの」 「それは、フェリーナの教え?」  ミーナはパンを頬張りながら訊いた。 「そうよ。フェリー星では、みんな自然の恵みに、生命に感謝して生きてた」 「でも、無くなっちゃったんでしょ?」 「星も生命だから.....生命には必ず終わりが来る。寿命っていうものが......だからこそ尊いのよ」  ミーナは私の顔をまじまじと見た。そうして、ひとつ、大きな息をついた。 「私も先生(ドクター)の子どもに産まれたかった......」  私は意を決して口を開いた。それはミーナに会ってから、彼女の境遇を知ってから、心に決めていたことだった。 「今からでも遅くはないわ。ミーナ、うちの子にならない?ディートリヒだったら、分かってくれるわ」  彼女は一瞬、嬉しそうな顔をしたが、すぐに顔を曇らせてかぶりを振った。 「それは出来ないわ。.......それに、あのドクターの子どもと兄弟なんて出来ないわ......これ美味しい。おかわりある?」 「ありがとう。いっぱいあるから、沢山食べて。元気になったら、何かいい方法を考えましょう」  彼女は答えなかった。私にDr.クレインとの間にも子どもがいることは、彼女ならすぐにわかったのだろう。だが、彼女が私とDr. クレインの子.....ルーナについて触れたのは、それっきりだった。  ガーディアンの末裔、Dr. クレインと、殉教者―私は叛逆者とは思わない。むしろ『犠牲者』なのだと思う―の末裔のミーナ......どちらにとっても厳しく哀しい運命の『出逢い』だ。  けれど、私はふたりが憎み合わなくても良い運命も、どこかにきっとある......そう信じて願わずにはおれなかった。
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