束の間の日常(三)

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束の間の日常(三)

「どうしたの、Dr. クレイン ? 」  私は、この上なく不機嫌そうに、乱暴に車のドアを閉めるDr. クレインに作り笑顔で話しかけた。 「馬鹿な真似はするなと言っただろう!」 「馬鹿な真似?......私は何もしていないわよ?」  しれっと返す私に彼はますます頭から湯気を立て、怒鳴りつけた。 「惚けるな、あのエアバイクはなんだ? .....あれは、シリアルNo.196だろう?......いったいどういうことなんだ?」  私は肩で息をついて、Dr. クレイン、イーサンを真っ直ぐ見て言った。 「知らないわ......シリアルなんとかなんて。私は家の近くに倒れていた怪我人を介抱していただけよ。」 「何故、関わる?......関わるなと言った筈だ!」 「イーサン、私は医者よ。目の前に怪我人がいるのに放置しておくの?そんな医者が何処にいるの?」  私の反論に、彼は一瞬、言葉に詰まった。が、今度は彼の方が大きな溜め息をついた。 「アーシー、君は事の重大さがわかっていない。彼女に関わるのは『危険』なんだ」 「危険?......あの子は普通の子よ。いったい何が危険だというの?」  私はなおも正面から彼と向き合った。私は何も間違っていない。彼は私の視線を避けるように顔を家の中に向けた。 「ゆっくり話がしたい。コーヒーを入れてくれないか?」  私はディートリヒ=夫の留守に余所の大人を家の中に入れるのは気が進まなかったが、きちんと聞いておきたい事もあった。  しぶしぶではあるが、彼を客間に通し、カイにコーヒーを二つ頼んだ。  イーサンは、一通り室内を見回し、そしてキッチンに目をやった。 「アイツはここで何をしていたんだ?」 「アイツって、誰のこと?」 「No.196だ。君がミーナと呼んでいる者だ」  イーサンの目は彼女の残留エネルギーを追っているのだろう。極めて不機嫌な表情で、彼女がよく座っていたキッチンの椅子を睨んでいた。 「彼女は、ここで傷を癒していただけよ。そして、『日常』を楽しんでいた。......正しい『肉体』の使い方を学んでいたの」 「......『日常』だって?」 「そうよ」  私はミーナの笑顔を思った。美味しそうに食事を摂る姿、初めての料理に鍋が格闘する姿、菜園で虫に驚きながら収穫する姿、真っ白なシーツが青空の下にはためくのを眩しそうに見上げる姿......みんな『笑顔』だった。......思春期の、大人になりかけの繊細な横顔......当たり前の、ひとりの人間(ヒューマン)の、笑顔。 「Dr. バルケスは言ってた......私達が何故、三次元の生命体として生まれてきたのか?......生命の重さと生きることの『痛み』と『喜び』を『経験』するためだって......肉体の重さは生命の重さなの。 ......そりゃ生命体によって大きさも重さも違うけど、『重さ』を持っているということでは『同等』だわ」 「アーシー......」 「彼女は、『痛み』ばかりの中で生きてきた。『喜び』を知らなかった。......だから、私は彼女に『喜び』を知って欲しかったの。自分の肉体のすぐそばにある当たり前の『喜び』を、ね」  私は、コーヒーカップを手に取って続けた。 「彼女だけじゃないわ。......この星の子ども達は『日常』を知らない。肉体の使い方を知らない。.....手や足が『経験』のために、自分と自分以外の生命体が『生きている』ことを経験するためにあることを、知らない......」  カイが差し出してくれたコーヒーは、疑いもなく暖かかった。 「ひとりの人間(ヒューマン)としての、当たり前のことを知らないの......」 「アーシー......」 「ねぇ、イーサン考えてみて。触れずに物を動かすことが素晴らしいなら、目を開けずに物を見ることが素晴らしいなら......なぜ手や目があるの?...エネルギー体だけで、自在に色んなことが出来るのが最高なら、私達には何故、肉体があるの?」 「それは、我々がまだ『その段階』にいないからだろう?」  イーサンは、半ば不貞腐れたようにコーヒーをすすった。 「ならば、『今』の段階できちんと学ばねばいけないことを学ぶべきではないの?」 「君の言いたいことは分かるけど......主旨が逸れてるよ、アーシー。彼女には関わるな。君のためだ」  イーサンは、相変わらずミーナの痕跡を睨みながら、コーヒーのおかわりをカイに要求した。 「なぜ?彼女は、ただの人間よ。傷ついた十四才の子どもよ......身体も心もひどく傷ついてる。ケアが必要なの。医者として放っておけない」  私は、必死で主張した。が、イーサンの言葉はあまりにも非情だった。 「ミーナ.....君がそう呼んでいる存在は、この星では人間(ヒューマン)と認められない。......システムに悪影響を及ぼすBug 《バグ》に過ぎないんだ。......あってはならないものなんだ」 「彼女は人間よ。物じゃない!......子ども達だって道具じゃない。......イーサン、あなたは得体の知れない大人達の作り上げた『システム』のために、彼女を殺すの?.....人間の生命を奪うの?」  私は、彼の冷酷さに気が狂いそうだった。 「そうじゃない。アーシー、落ち着いて......。僕達、ガーディアンは、国家安全委員会や政府じゃない。......僕が心配しているのは、君が巻き込まれて、安全委員会に危害を加えられることだ。......彼らは容赦無い。僕達とは違う」  イーサンは、私を強引に抱き寄せ、抑えこんで、耳許で囁いた。 「僕達、ガーディアンズは星を護るもの。......政府を護るものじゃない」 「でも......」 「ミーナ達はマザーコンピュータを破壊しようとしている......。とても危険な行為だ。星が吹き飛ぶかもしれない。......子ども達の生命が無くなるかもしれないんだ」  私の頭に、ルーナやギィやロアンの顔が浮かんだ。ふぅ......と息をついて、イーサンは続けた。 「ミーナは、なんとか僕達が保護する。君はもぅ手を出すな......」  その時、私の耳の奥に聞いたことの無い声が響いた。別次元の高周波のような声......。 ―信じてはいけない......。ラウディアンは全てを破壊する。......お前の星も......―  声はそこで途切れた。日が暮れてきた。  私は、イーサンに翌日から勤務に戻ると告げ、彼を返した。そして、カイの記憶回路のミーナに関するデータを消去した。  数日後、家に何者に侵入したらしい。カイの記憶回路が破壊されていた......と、帰宅したディートリヒから通信があった。 ―きっと、空き巣だわ。最近、近所に入ったばかりだから....―  私はそう言って、しばらく帰れないと告げて通信を切った。ディートリヒを、子ども達を危険に晒すわけにはいかない。  ......家への介入はそれっきりだったけど。
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