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巡礼 (一)
ハウゼン教授のオフィスを辞して、白い歩道を駐車スペースに向かう。秋に設定された空は高く、吹き抜ける風は身を竦めるほどに冷たく感じた。私はコートの襟を立て、作り物の石畳は僅かにくすんで、何処からか運ばれてきた木の葉の跡が残っていた。
この都市の植物の殆どは紛い物だが、スタディエリアは子ども達の教育のために自然の花木を植えている人工の庭園と温室がある。
種から芽が出て、成長し花を咲かせ、実を結び、そして朽ちる。その過程を観察させ、自然の命あるものの儚さと、人間が技術をもって作り上げたそれの不変を対比させ、人間の叡智の素晴らしさを教えるのだという。
ー人間は清潔な環境を必要とする。細菌や昆虫などという異質なものによって生命の健全を脅かされてはならないー
そのために、人工の自然環境を造り上げたーと胸を張って言う教諭に、学校に入ったはがりのロディが質問をした話を思い出した。
『じゃあ、外の世界にはなんのために細菌や昆虫は存在しているんですか?』
教諭がなんと答えたのかは覚えていないが、学校に呼び出されて苦情を言われたことは覚えている。
仕事から戻って、ロディからその話を聞いたディートリヒがロディの頭を撫でながら、苦笑しながら諭していたことも覚えている。
『みんな神様が必要だから作ったんだ。みんな神様の作った世界の大事な一部なんだ。この宇宙に存在するものはみんな必要なものなんだよ。『存在』は、人間のために在るわけじゃない。在るべくして在るんだ。人間だって『存在』のほんの一部に過ぎない。他の『存在』とどう関わっていくかは、それぞれが決めていくんだ。自分のために.....ね』
自然という存在に対して、ディートリヒの故郷、ケンタウリΘ星は『共存』を選び、ラウディスは『排除』を選んだ。
そうして未だ自然と共存しようとしている星をラウディスでは『遅れている』と蔑む。けれど、一方で、自分達が捨て去った自然の『姿』を造って、傍らに置き続けるのは何故なのだろう。
私は深く息をついた。
ギィとロディがラウディスの教育機関での教育を受けることが出来なくなる...と伝えても、ディートリヒはさして動揺はしないだろう。彼は子ども達には子ども達自身で人生を選ばせたいと思っている。彼の故郷、ケンタウリΘ星にも充実した教育機関はある。予定より早く故郷に帰ることになるだけ......かもしれない。
ー私は......ー
私の母星フェリーはもう、この宇宙の何処にも存在していない。私は幼い頃からラウディスで育ち、ラウディスより他の星を知らない。
けれど、ラウディアンでは無いのだ。
「先生」
声を掛けられて、ふっとそちらに目を向けると、見覚えのある微笑みが木の陰から覗いていた。ミーナだった。
「久しぶりね。元気にしてた?ちゃんと食べてる?」
少女は辺りを窺いながら、私に歩み寄り、クスッ.....と笑った。
「相変わらずね、先生。......本当にお母さんみたい」
「そりゃあ、私は母親だもの」
彼女の微笑みに私は少しだけ気持ちが軽くなった。
「なんか、悩んでる?...暗い顔してるわ、先生」
顔を覗き込む彼女に私は苦笑しながら言った。
「うちの息子達はラウディスの学校にはいられないっ....て。でも、いいの。夫の母星にも学校はあるし」
「ケンタウリの旦那さん?.....いいわね。先生の息子達は幸せだわ」
ミーナの顔が少しだけ歪んだ。彼女はラウディスより他を知らない。ラウディスによって作られ、しかもそのラウディスで存在を認められていない。存在しながら存在していない。ー私は思わず言葉に詰まった。
彼女はそんな私の気持ちを察してか、振り切るように話題を切り替えた。
「先生、お願いがあるの.....」
「なぁに、ミーナ?」
「手を貸して欲しいの。先生も聞いたでしょ、七人の殉教者の話。.....彼らに会いに行きたいの」
「彼らは生きているの?」
私の問いに彼女は寂しく首を振った。
「生きているとも、死んでいるとも言えないわ......。でも彼らの魂を継ぐものがいる。その人達に会いに行きたいの」
「いいけど......どうやって?」
「また後でね.....」
彼女は早口で言うと何処へともなく姿を消した。
「これは先生、奇遇ですね」
ふっと振り向くと、ラグナ大佐が大股でこちらに歩み寄ってきた。私は思わず眉をしかめた。
「保安局の方が何故、スタディ・エリアに?」
「定期巡回です。『あの事件』以来、スタディ・エリアに対する監視も強化されている.....先生はどうして?」
「息子達の進路相談です」
ラグナ大佐の探るような視線を振り切るように私は背を向けた。
「あぁ、ケンタウリの......母星の学校へ?」
「そのつもりです。急ぎますから...」
私は足早に大佐を置き去りに、自分の車に乗り込んだ。空中に浮き上がり、安定した所でスロットルを踏み込む。
今日は『家』に帰ろう。
オフィスには明日、連絡を入れればいい。当直を代わってくれる先生の目星は着いていた。
私は後部座席に声をかけた。
「今日はシチューにしましょう。ミーナ」
バックミラー越しに、Vサインが見えた。
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