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巡礼 (三)
夜もかなり更けた。私はミーナに入浴を勧め、先にベッドに入っているように言った。
『心配はいらないわ。シールドを強化してあるから、保安局に察知されることは無いわ。カイも着いているから、何かあればすぐにわかる。ゆっくりお寝みなさい』
そう私が言うと、ミーナはシーツの間からほんの少しだけ顔を覗かせて頷いた。
『ベッドを取っちゃってごめんなさい』
『ディーのことなら大丈夫よ。客用の寝室もあるし、子ども達の部屋もあるから』
そう、ー今夜は一緒に寝てやったらどうだ?ーと言ってくれたのはディートリヒだった。
ー何かと不安だろうから......ー
と自分のベッドを譲ってくれたのだ。
ー俺はリビングのソファーで寝てもいいんだしなー
彼は私の肩を軽く叩いて小さく微笑んだ。
「もう寝たのかい?」
私が寝室から戻ると、ディートリヒはリビングでコーヒーを片手にタブレットを見ていた。
「ええ......ごめんなさい、ディー。せっかく帰ってきたのにゆっくりできなくて」
「大丈夫だよ」
ディートリヒはカップをテーブルに置き、隣に座った私の頭を軽く撫でた。
「予定を知らせていなかった俺が悪いんだから......コーヒー飲む?」
「ええ......ありがとう」
ディートリヒがタブレットを置いて立ち上がり、サーバーに白いカップを置いた。ふんわりと優しい香りが拡がる。ふっと傍らのタブレットに目を移すと座標図が表示されていた。次の輸送先までの航路をチェックしていたのだ。
「今度は何処まで行くの?」
カップを受け取り、逞しい肩に凭れる。
「ケンタウリεだ。ついでに実家にも寄って来ようと思う」
「そう......」
ケンタウリは幾つかの恒星とその周囲を公転する惑星から構成されている。ディートリヒの母星は、ケンタウリΘ星の周囲を公転する惑星のひとつで、ケンタウリε星の星系とはあまり離れてはいない。
彼の故郷であるケンタウリはラウディスからはかなり離れた距離にはあるのだが、星間航行の技術が発展している今は、さほどの日数をかけずに辿り着くことが出来る。それでも何度も時空間の歪みを超えるのだ。船長としての責務は重い。
「なぁ、アーシー.....」
ディートリヒはコーヒーを一口、飲み下して、私の眼を見つめた。
「ギィとロディのことなんだが......」
私は、今日の教授との面会のことはまだディートリヒには話してはいなかった。が、彼は勘のいい人だ。私が急に家に帰っていたのがミーナのことだけでは無いことを察していたようだ。
「ラウディスの教育庁から発表があったらしいね。スタディ・エリアはラウディアン以外の生徒は受け入れない方針になったって?」
私は小さく頷いた。
「ギィもロディもおそらく第四エリアには進めない。.....ロディは第三エリアに残るのも難しいかもしれないわ」
「そうか.....」
ディートリヒはタブレットを再び手に取り込り、星間図を見つめながら言った。
「君が同意してくれればなんだけど...ギィとロディはケンタウリの学校に転入させたい。.....ケンタウリというより、惑星連合が設営している星間航海士の養成学校があって.....そこに通わせたいんだ」
「でも......難しいんでしょ?」
ディートリヒの言う星間航海士学校は本部をアンドロメダに持つ星間航海のスペシャリストの養成施設だ。学力、身体能力、精神感応力ともに高度なものが求められる。ディートリヒはその養成学校のケンタウリ支部を卒業して、アンドロメダ本部の上級コースに進んだハイスペシャリストだ。
「ギィ達が編入するのは初等科だ。二人とも資質はある。ラウディスの教育を受けた息子達ならそんなに難しくはない」
「そうね......」
ギィはディートリヒを尊敬しているし、同じ仕事に就きたがっている。それはロディも同じだ。
「航海士にならなくても、管制官や通信士の道もある。高等科に進むまでに決めればいい」
ギィもロディももう一人立ちの出来る年齢ではある。ラウディスでも第三エリアを修了した時点で学校を止める子も少なくない。いわゆる『能力』のあまり高くない子ども達はスタディ・エリアを出て、職に就くなり、その職業の専門の訓練施設に移るのだ。個人の両親が明確でないラウディスでは決定するのは、全て国だけれど......。
「俺は、今回の休暇のうちに手続きを済ませて、二人をケンタウリに連れていきたい」
私はディートリヒが予定にない休暇を取ってラウディスに帰ってきた理由を理解した。ディートリヒはラウディスの不穏な情勢を察していたのだ。
私は彼の眼を見つめ返して、言った。
「お願いするわ。......離れるのは寂しいけど、自立させることも大事だものね」
「ありがとう、アーシー.....」
ディートリヒはほっとしたように私を抱きしめた。
そして、さっきよりも思い詰めた眼差しで私を見つめた。
「もし良かったら、君も来ないか?......その...仕事もあるし、難しいとは思うけど。ケンタウリはラウディスほど進んだ星ではないけど、君の医療技術は役立つし.....」
そして、ディートリヒは続けた。
「あの子も.....もし両親がいないなら、俺達の養子にして、ケンタウリで一緒に暮らさないか?......危ない真似をさせるより、そのほうがいい」
「ありがとう、ディー」
ディートリヒは本当に優しい。ミーナまでも抱え込んで守ろうとしてくれている。私は涙が出そうになった。でも.....。
「でも、すぐには無理よ。私には私を頼ってくれている患者さんやスタッフもいるわ。......それにルーナを置いてはいけない。あの子も私の子どもだから......」
「そう.....だな。でもルーナはもう第四エリアを卒業するんだろう?.....Dr.クレインだっている。時々、会いにくればいい」
ディートリヒは私の肩をぎゅっと抱きしめた。
「君が心配なんだ。アーシー、無理はさせたくない」
ディートリヒの心配はわかっている。私は仕事に没頭しすぎる。それは前から何度も指摘されていた。今はそれだけじゃないことも、おそらく彼は知っている。それは解っている......。
「でも......すぐには無理よ。病院を辞めるにも後任を探さないと.....」
「解ってるよ」
ディートリヒは半分泣きそうな顔で小さく笑って言った。
「今回の仕事のあと、半年後にまたラウディスに寄港するから.....その時までに決めておいて...」
「わかったわ」
それ以上、私達は何も話さなかった。ただ寄り添って互いの温もりを感じながら、風の鳴る音を聞いていた。
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