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巡礼 (四)
翌日、朝早くにディートリヒは家を出た。教育庁に息子達の退学と星間航海士の養成施設への編入手続きのためだ。私はカイに庭の菜園から莢豆を収穫してもらい、キッチンで下拵えを始めた。スープにするか、付け合わせにするか.....いずれにしても、瑞々しい緑は心をなごませてくれる。
「おはよう、先生何してるの?」
そうこうするうちに、ミーナが起きてきた。着替えはカイが私のシャツとボトムを枕元に置いておいてくれためのを着ている。また少し背が伸びてボトムの裾がやや短いくらいだ。
「おはよう、ミーナ。豆の蔕蔕と筋を取っているの。あなたも手伝ってくれる?」
「いいわよ。どうするの?」
「こうやって、先端を取って、ね......」
向き合って椅子に座り、真ん中に置いたザルから少しずつ取って、下拵えをしていく。
「ミーナはスープがいい?それともサラダにしたほうがいいかしら?」
問いかける私に彼女は半ば戸惑いながら、肩をすくめた。
「わからないわ。食べたこと無いもの」
「そうね.....」
ラウディスで生まれ育った人間のほとんどは食材の本来の味も形も色も知らない。ペースト状に加工され、人工的に添加された栄養素の入ったパッケージしか見たことが無いのだ。もちろん匂いも知らない。
「変わった匂いよね。雨が上がった後の草の匂いに似てる」
豆の莢莢を鼻に寄せて、匂いを嗅いで不思議そうな顔をするミーナの姿は特別なものではないのだ。
「先生の母星やケンタウリでは、植物は形のまま食べるの?煮たり焼いたりはすると思うけど.....」
「そうよ。自然のものは可能な限り自然のままで食べるわ。魚もそのまま焼いて食べるの。美味しいわよ」
「そう......なんだ」
ミーナは複雑な表情をして小さな声で呟いた。
「行ってみたいな、そういう星.....」
「ミーナ......」
私は、出来ることなら、息子達と一緒にミーナもケンタウリの義両親のもとに送り出したいと思った。危険な復讐よりそのほうがずっと幸せになれる。
「ねぇミーナ......」
言いかけたところで、玄関の扉が開く音がした。そして、勢い良く駆け込んでくる足音が聞こえた。
「ただいま、マム」
「ただいまぁ.....あ、ミーナ来てたんだ!」
ダイニングから顔を覗かせたのは、二人の息子、それとディートリヒだった。
「お帰りなさい。ギィ、ロディ、二人ともどうしたの?」
目を丸くする私に二人は晴れやかな表情であっけらかんと言った。
「学校、やめてきちゃった!......俺、ダディとケンタウリに行く!」
「俺も!」
「止めてきちゃったって.....え?ディー?」
見上げた私の前でディートリヒが肩をすくめた。
「教育庁からスタディ・エリアに書類を持っていったら、即、快諾だよ。何時からにするか、二人を呼んで決めてくれと言われたんだが、聞かれた途端に、『すぐに!』って言ったんだ、ふたりとも」
「あ、あなた達......お友達にちゃんと話したの?それに寮の部屋の片付けは?荷物は?」
びっくりして矢継ぎ早に問いかける私に二人とも、顔を見合せて答えた。
「寮に荷物なんかないよ。マムに持たせてもらったシャツとかは持って帰ってきた。掃除はアンドロイドがしてくれるって.....」
「お友達は?」
「友達なんていないよ。ラウディアンは俺達を見下すだけだし、他の星の子はみんな辞めてってる.....まぁ何人か残ってるけど、あまり良く知らない」
ギィもロディもスッキリしたと言わんばかりに口をへの字に曲げて言った。
「あいつら、ろくすっぽ口もきかないんだ。表情もあんまり無くてさ。何考えてるのかもさっぱりわからない」
私はこの時に初めてスタディ・エリアの実情を知った。ラウディアンとそれ以外の星の子は以前よりも明確な差別を受けていたのだ。ー私の子どもの頃より遥かに.....。そして大概のラウディアンの子どもは両親の顔を知らない。つまりは教師が絶対的な存在なのだ。ー洗脳ーという不愉快極まりない言葉が頭を過った。
「それよりさぁ、マム。ミーナと遊んできていい?面白いゲームがあるんだ」
ギィがにっこり笑って、ミーナの腕に触れた。びっくりしてどぎまぎするミーナが無性に可愛い。
「え、でもお手伝い.....」
「いいわよ、もう終わりだし。...やんちゃ坊主の子守りをお願いしていいかしら?」
私は三人の顔を見比べながら言った。
「子守りはひどいよ、マム。俺だって第三エリアにいたんだよ?!...まあいいや、ミーナ行こう!」
「え、うん.....」
二人はミーナの手を取ってはしゃぎながら、子ども部屋に走っていった。
「すっかり仲良しだな...」
ディートリヒは半ば苦笑いしながら、三人の背中を見送って、コーヒーを片手に私の向かいに座った。
「君の勤め先にも行ってきた。子ども達の引っ越しがあるから、少し休みが欲しいと頼んできた。Dr. クレインにね」
「ディートリヒ、あなた......」
ふたりとも互いに互いがあまり好きではないのは、私も知っている。ディートリヒがいきなりオフィスを訪れたら、たぶん相当に不機嫌になったろう。まあ顔には出さないし、仕事に影響させはしないだろうけど......。
「子ども達の大事な旅立ちだと言ったら、三日間、休みを延ばしてくれた。それ以上は患者が困ると言われたけど...」
ディートリヒはくっ.....とコーヒーを飲み干して、強い眼差しで私を見つめた。
「Dr.アーシャル・シノンは俺の妻で子ども達の母親だ。...仕事も大事だけれど、ケンタウリもフェリーナも家族と家庭を最も大切にする。...そう言ってなんとか納得してもらったよ」
「ありがとう、ディー......」
たぶん私だったら言えなかった。でもイーサンーDr.クレインも彼との子どものルーナも私の家族だ。家庭という形は持っていないけれど、二人も大切に思っている。イーサンもそれを知っているから、私達のもうひとつの『家族』を思いやってくれた......私はそう思った。出逢いの頃から比べたら、飛躍的な進歩だ。
少しずつだけど、彼も人間として成長しているのだ。私はそれがちょっと嬉しかった。
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