ナディア(三)

1/1

18人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ

ナディア(三)

 ナディアの母親は、翌日の午後、病院にやってきた。彼女は病院なるところに来たのは初めてらしく、ひどく怯えていた。 「こんな立派なところに......私には医療費を払う余裕なんか無いのに」 「ナディアには住民データがありません。医療費以前に罰金請求の対象になります」  私は、まず冷静に事態を述べた。罰金が払えなければ、即保護施設に強制的に収容される。 「まず早急にナディアを住民データに登録してください。医療費は、十歳以下の子どもは控除対象ですし、物理的治療を殆ど行っていませんから、高額にはなりません」  ナディアの母親は、一瞬ほっとした顔を見せたが、すぐに再び顔を曇らせた。 「あの子を住民登録するには、父親の情報がいるのでしょう?」 「不明.....なのですか?」  違法児童(イリーガル-チルドレン)にはよくある話だ。が、彼女は首を振った。 「この星にいないだけです....」  私は、彼女の眼をじっと見つめた。シリウス特有のアクアマリンの瞳......ナディアの父親がシリウスではないのが、わかる。 「彼は、アルクトゥールスの旅行者でしたから......」  行きずりの相手か、と思ったが、次の瞬間、彼女の瞳の奥にスターシップの爆発が見えた。 「亡くなった......のですね」  彼女は小さく頷いた。今、同居しているパートナーは、ナディアが純粋なシリウスでないため、ひどく嫌っているという。 「彼は、シリウスでも地位のある人でしたから......」  シリウス人のパートナーは、スラム街で出逢ったという。ある星の高官だったが、失脚して逃亡したらしい。ナディアに暴行したのもさせたのも、このパートナーらしい。 「ナディアは、母親を必要としています」  私は言った。 「あなたのパートナーは、あなたを利用しているだけです。過去の地位を利用してあなたから搾取している」  「わかっています」  彼女の眼からぽろぽろと涙が零れた。   「でも、字もわからない私には、彼に頼るより無いんです。この星の人達は、私達を虐げる......」  私は頭を抱えた。この星の難民には在りすぎるケースだ。けれどこの状態では、ナディアを返すことは出来ないし、かといってナディアを保護施設送りにはしたくない。 「シリウスのコミューンのある街に移住してはどうですか?」  不意に、Dr. クレインが面会室に現れ、彼女に言った。 「サマナを離れることにはなりますが、ラルーファは海辺の街です。あなたの体にもいい。」  私は驚いてDr.クレインを見た。ラルーファは、ここから何千キロも離れた街だ。平和で良い街だが遠すぎる。 「近々、私の知人が所用でラルーファに行くので、宜しければ、ナディアとふたりで移住しては?」  ぼかん......とする私とナディアの母親にDr.クレインはたたみかけるように言った。 「あなたにも数日の入院は必要だ。宜しければ、準備が整うまで入院なさい。職場には、私のスタッフが連絡しておきます」  彼女は一も二も無く同意し、しばらくナディアとふたり病院の一室で過ごした後、ラルーファへ旅立った。 「先生、ありがとう」  完治したナディアは笑顔で手を振って去っていった。 「Dr. クレイン、ありがとうございます。...でも、よろしいんですか?」  私は、彼女達の車を見送ったあと、改めてDr.クレインの執務室に礼を言いに足を運んだ。Dr.クレインは、書類の整理をしながら、事も無げに言った。 「何が?」 「ナディアの事......移民局に手配していただいたんでしょう?......それから、ナディアと母親の医療費も......」 「大したことじゃない」  Dr. クレインは静かに立ち上がって、窓のほうを見た。 「ナディアの母親に犯罪歴は無いし、エネルギーケアも済んでいるから虐待も無くなるだろう。原因のパートナーから離れたら安定するさ。ラルーファに行けば、もっと良いパートナーもいる」 「ドクター......」 「医療費なんて大した額じゃない。ウチの病棟の研究費で落とせる......シリウスの症例の提供、ということでね」  軽くウィンクして、ゆっくり彼が歩み寄ってきた。 「アーシー、君のためなら、実に簡単なことだよ。......たまには、ディナーでもしないか?話したいことがある」  琥珀色の瞳をじっと見返す......が、見えなかったふりをする。 「ルーナのことで何か?」  Dr. クレインは、ちょっと不機嫌な顔をして、だが思い出したように言った。 「そうだ。ルーナが君に相談があると言っていた。週末に家に来ないか?」 「わかりました。お伺いさせていただくわ」 私は丁寧に答えて、退出した。  
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加