私の推しが死んじゃった。

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三日月紗枝良が自殺したとのニュースが流れたとき、私は夕飯の冷凍うどんを茹でていた。  そこから3日間の記憶はほとんどない。  電車に乗って、デスクについて、電話に出て、書類を作って、また電車に乗って、ご飯作って、食べて、食器洗って、お風呂に入っていたはずなのに。    気づいたら、私はまた冷凍うどんを茹でていた。  知らない間に箪笥から出した白いニットに、洗いざらしのブルージーンズ、仕事から帰ったそのままの恰好で狭い台所にいる。  紗枝良が死んでしまったというのは本当なのだろうか。  来週のイベントで会う予定だったのに。  ボコボコと沸騰するお湯を見つめながら、私はまだそんなことばかり考えている。    三日月紗英良は現在絶賛売り出し中のアイドルだった。  出身は埼玉、年齢は19、好きな食べ物はいちご、尊敬する人は両親。  素朴で一生懸命な王道アイドルなのである。  そんな紗英良を私が初めて見たのは2年前、待ち合わせまでの時間つぶしに訪れたデパートの屋上だった。  そこはテージが設けられていて、ときおり名も知らぬアイドルやタレントや芸人たちが、歌うなり躍るなり芸をするなりしていた。  この日のゲストは掲示されているポスターによれば「三日月紗枝良」とかいう女の子。相変わらず知らないアイドルの知らない曲が流れている。  ステージの上で踊っている紗枝良への最初の感想は、「こんな子でもアイドルやれるもんなんかね」というものだ。紗枝良はものすごい美人ではない。正直なところ、歌もそんなにうまくない。ダンスだって絶妙なダサさが隠しきれていない。  けれども、十数人程度の熱心なファン以外、空席ばかり目立つ座席はどうしても哀れで、私はなんとなく手拍子しながら見続けていた  あと二年くらいテキトーに頑張って実家に帰るのがこの子の一番いい未来なんじゃないかな、なんて考えつつ。  しかし、最後のサビのジャーンという音とともに、紗枝良が手を差し伸ばしたその瞬間、 「あ、目が合った」  上司に無理難題を押し付けられて、仕事に疲れていたのかもしれない。下手でも、誰も見ていなくても、自分の精一杯を披露しようとしている三日月紗英良を、可愛いと思ってしまった。アイドルなんて少しも興味がなかったはずなのに。    湯切りをして、うどんを丼に盛る。狭くて油汚れだらけの台所は湯気でいっぱいになり、メガネが曇った。    でも、もう彼女はこの世に存在していないのだ。    涙が丼へとぽとんと落ちる。  私を射抜いたあの瞳も、もう存在しないのだ。    まだ若い女の子が自殺したからと、テレビは面白おかしく報じしくさっている。何が枕営業だ、何が借金だ、そんなこと私の紗英良がしているわけないだろう。あのコメンテーターのジジイめ、勝手なことばかり言いやがって。彼女の本名が山田美月だなんてどうでもいいことじゃないか。  笑う紗枝良、手を振る紗枝良、少し緊張した顔の紗枝良、メジャーデビューが決まって泣く紗枝良。たくさんの紗枝良が私の脳裏を駆け巡っていく。  まだまだこれからだったのに。  じわり、と視界が滲みはじめた。  アイドル三日月紗英良自殺のニュースから3日、ようやく私は馬鹿みたいに声を上げて泣いた。  拭っても拭っても涙はあふれ続け、うどんを塩辛くしていく。 頭の片隅で「今日が金曜日でよかった」と考えながら、私は真夜中まで泣き続けた。 そうして家中のティッシュが尽きる頃、ふと髪を染めようと思った。  泣き過ぎて充血した目と赤くなった鼻があまりにも不細工だったから。こんな有様じゃ紗枝良に顔向けできない。  彼女と同じ黒髪にして、ポニーテールにしよう。お葬式なら服は黒だが、紗英良の衣装はいつも華やかなパステルピンクだった。   明るくて可愛くて努力家だった三日月紗英良のように生きることが、彼女から多くのものをもらった私にできる唯一の追悼だと思った。
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