遺影写真

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遺影写真

 三月も押し迫ったある日。関西にある大学の三回生だった私は、祖母の葬儀に出席するために、長野県の実家に向かっていた。就寝中に急性心筋梗塞を発症した父方の祖母は、七十八歳と今時の平均寿命からしたらまだ若いと言える年齢で、唐突にこの世を去っていったのだ。  ついこの間まで、この実家には、祖母、母、そして私と三つ違いの弟の達也の三人の人間が暮らしていた。父方の祖父は、もう二十年以上前、私がまだ二歳の時に病気で亡くなっていた。その後、長男であった私達の父が祖母を引き取る格好で、私達家族と祖母はこの実家で暮らしてきた。  ところが、三年前にその父が交通事故で亡くなった。その時、既に私は家を出ていたので、それ以来、祖母、母、達也の三人がこの家に暮らしてきたのだが、その達也もこの三月に国立大学に無事合格し、四月から東京で学生生活を始めることになっている。既に部屋も決まり、まさに引っ越しの準備をしていた矢先に祖母が急逝したのである。立て続けに二人の人間がいなくなるこの家には、この四月から母がたった一人で暮らすことになった。  父がかなり高額な保険に入ってくれていたおかげで、当面、私達家族が生活に困るようなことは無かったし、私や達也の学費や生活費にも一応の目処がついていた。勿論私も学生生活の傍ら、今もバイトに精を出しているし、母は母で父の死後から間も無く、パートの仕事を見つけて働き始めた。その間、達也の食事等身の回りのことは、主に祖母が面倒を見てくれていたのである。  達也は生来マイペースで、昔からちょっと何を考えているのかわからないようなところがあった。中学から高校一年生ぐらいにかけては、ゲームにふけっているかと思えば、サッカーに熱中してみたり、かと思えば友達とバンドを結成してスタジオに通ってみたりと、常にふらふらしていた。勉強の方も当然の如くおざなりで、成績もいつも下位の方をうろうろしていた。  ところが、父が亡くなって一月ほどしてから、その達也が急に猛勉強を始めたのである。やはり、父が急逝して、自分が頑張らなければならないという自覚に目覚めたのだろうと、みんな喜んでいた。あれよあれよという間に成績も上がり始め、既に高2の時に受けた模試では、名の通った私立大学は殆どどこでも間違い無し、著名な国立大学も充分狙える、というレベルまで達していた。そしてその後も達也は気を抜かず、必死に勉強を続けていた。 「うちは金無いだろ。俺、国立狙うよ」  それが口癖だった。後から聞いた話だが、そんな達也の言葉に祖母は涙を流して喜んでいたそうだ。 「ただいまー」 「あら恵子、早かったわね」  久々に帰った実家の玄関を入った途端、母の元気そうな声が私を迎えた。年末年始に帰れなかったので、母に会うのは約半年ぶりだが、妙に溌剌として明るい笑顔でテキパキと立ち働いていた。葬儀を取り仕切る立場だから気を張っていなければならないのはわかるが、少し違和感を覚えた。 「姉ちゃん、お帰り」  続いて達也が部屋から顔を出す。寧ろ達也の方がどことなく沈んだ表情を浮かべているように見えた。確かに母がパートに出るようになってから、彼の身の回りの面倒は主に祖母が見ていたわけで、ある意味私が思っているよりも、強いつながりがあったのかもしれない。 「ああ、達也。ただいま……あの……はい、これ入学祝い」  達也の表情を見て何と声をかけたものか迷った私は、咄嗟に買っておいたボールペンの包みを手渡した。 「無理すんなって。まあ、一応ありがとう」  達也が”一応”頭を下げた。 「それにしてもねえ。偶に電話で話すときは、おばあちゃん全然元気だったのに……あたし、未だに信じられないよ」 「本当にねえ。前の日まで何とも無かったのよ。朝も普通に起きて、家の中のことやって、ご飯もちゃんと平らげて。"あたしも偶には美味しいものでも食べに行きたいわ"とか、言ってたのよねえ」  私と母が話し始めると、達也は静かに自室に戻って行った。  祖母の遺体をこの目で見るまでは、まだ全然実感が湧かないのだが、生憎遺体は葬儀社の方で保管されている。仕方なく、私は祖母の部屋を覗いてみた。  きちんと整頓された部屋に入ると、生前の祖母の記憶が蘇ってくる。小机と座布団、大小二つの箪笥。見覚えのある家具類の中に、祖母の姿だけが無いのを意識すると、何となく涙がこみ上げて来る。  あらためて整然とした部屋を見回していると、ふと違和感を感じた。小箪笥と壁の間の隙間に、何かがはみ出ているのだ。  近寄って見てみると、何かカードのようなものが、箪笥と壁の隙間に落ちているように見えた。思わず拾い上げてみると、それは祖母の写真だった。  少し若い頃の祖母が自然な笑顔で映っている。とても良い写真だ。そして写真の裏には、達筆の文字が書いてある。 「二千二十年三月二十九日死去。享年七十八歳」  命日と享年が記入された祖母の写真。でも、何のために命日が記入されているのだろう。記念というか、何かの記録の為だろうか。我が家の家族史みたいなアルバムを誰かが作っているのだろうか。  考えているうちに、ふと思った。ひょっとして、これは遺影用に葬儀社の人に渡すべき物ではないか?だから命日と享年が記入されているのでは?それが、葬儀の準備のばたばたに紛れて箪笥の裏に落ちてしまったのだろうか。早く葬儀社の人に渡さなければまずいのでは?  私は、慌てて母を捕まえると、写真を見せた。 「これ、今、お婆ちゃんの部屋で見つけたんだけど、葬儀屋さんに渡さなきゃまずいんじゃない?」 「えっ?」  写真を見た母は、妙な表情を浮かべた。 「お婆ちゃんの部屋にあったの?」 「そうよ。小さな箪笥の裏に落ちてた」 「……ふーん……」 「これ遺影に使うんじゃないの?だったら、早く渡さなきゃ」 「遺影?」  今一つ、ぴんと来ていない様子だ。 「……これ、お母さんが用意したんじゃないの?」 「ううん、知らないわ。それに遺影用の写真なら、もう昨日葬儀屋さんに渡したわよ」 「あ、そう……」  どうも良くわからない。母でなければ、これは誰が用意したのだろう。達也か。あるいは、手伝いに来ている親戚の誰かだろうか。やっぱり家族史の記録用か。  とにかく遺影の準備が出来ているなら、まあ、いいか。ほっとした私は、何気なく写真を着ていたスーツのポケットにしまいこんだ。  葬儀は滞りなく終わった。最近は近親者だけでこぢんまりと済ませるのが多いようだが、今回もその典型だった。そもそも祖母の兄妹関連は、もう鬼籍に入っているか、あるいは遠隔地で介護を受けながら生きているといった人ばかりで、結局私達を除くと、父の弟と妹及びその家族ぐらいだった。私としてもその方が良かったと思う。身内以外の人がいると、どうしても気を使ってしまう。おかげで、祖母の遺体と対面した時は、思い切り泣くことが出来た。  骨揚げを無事に終えた後、バイトのこともあるので、私は一旦関西に戻ることにした。 「じゃあ、また納骨の時にでも帰るね」 「無理して帰って来なくてもいいのよ。あんたも忙しいんでしょう」  母は、何となく一人の生活を謳歌できるようになったのを喜んでいるようにも見えた。 「じゃあ、達也も元気でね。しっかりやるのよ。最初が肝心だからね」 「わかってるよ。何だよ、先輩面しちゃって。姉ちゃんはいいよな。俺より三年も早く、家出たんだから」 「何言ってんのよ。あんただってこれから東京に出るんでしょうが。順繰りよ。誘惑が多いんだから、遊び惚けてちゃ駄目よ」 「はいはい、姉ちゃんも元気でね」  おざなりな達也の声に送られながら、私は実家を出た。  最寄り駅に向かう途中で、ふと思い立って私はとある神社に立ち寄った。実家にいた時は、初詣の時ぐらいしか顔を出していなかった小さな神社なのだが、これから一人暮らしを始める母と都会で新生活を始める達也の為に、何となく無事を祈っておきたいような気になったのだ。  拝殿で二人の無病息災を祈った後、参道を歩いて帰ろうとすると「こんにちは」と声をかけられた。  声のした方を見ると、眼鏡をかけた初老の神主さんが、社務所の前からこちらを見ている。 「……どうも、こんにちは」  挨拶を返すと、こちらの方にゆったりとした足取りで近づいて来た。 「いいお日和ですね」  神主さんがにこやかに話しかけてくる。その穏やかな表情と話しぶりに、妙にほっとするものを感じた私は、何となく話をしたくなった。 「ええ、本当に良いお天気ですね。実は実家が近所にありまして、昔はこちらに初詣にも来てたんですけど、今は家を出てしまっているので、本当に何年かぶりにお邪魔したんです」  思わず饒舌に自分のことを話してしまう。 「そうですか。それは有難うございます。ところで、いきなり不躾なことを申し上げるようで恐縮ですが……」  神主さんが意味ありげに言いよどんだ。 「なんでしょう?」 「今、写真を一枚お持ちではないですか?」 「写真?」 「はい。それはつい最近亡くなられたご親族の写真で、裏にご命日が書いてあると思います……」 「……えっ?あっ……」  すっかり忘れていた。祖母の部屋で見つけたあの写真。スーツのポケットに入れっぱなしになっていた。 「これですか?」  慌てて取り出して神主さんに見せる。 「はい。これのことです。失礼ですが、これはとても”良くない”もののように思えます。宜しければお焚き上げすることをお勧めします」 「良くないもの、ですか……」  私には何が良くないのかよく分からない。そもそも何で、この人は私がこれを持っているのがわかったんだろう。 「いきなり言われても当惑しますよね。もしお時間がお有りでしたら、社務所で少々お話をお聞かせ願えますでしょうか」  社務所に通された私は、この写真に関する事情、つまりこれが最近亡くなった祖母のものであることと、偶然私がこれを祖母の部屋で見つけたこと、ついでに自分達の家族の概要について問われるままに話をした。  ひと通り話を聞いた神主さんは、今度は自分の方から説明を始めた。 「まず、この裏面に書かれた日付ですが、これは記録ではありません。この文字は、貴方のお婆様が亡くなるよりもずっと前に書かれているのです」 「じゃあ、これは祖母の死ぬ日を予言していた、ということですか?」 「いいえ、予言とも違います。これは、"この写真の人物は、二千二十年三月二十九日に死ぬ"という呪いなのです」 「……そんな……」  緊張した面持ちの神主さんが語る恐ろしい言葉に、私は絶句した。 「……じゃあ、祖母は呪い殺されたんですか?」 「そういうことになります。これが“良くないもの”と言ったのはそういう意味です。相手の写真に、死んで欲しい期日を書いて、後はひたすらその実現を念じ続ける……確かに素人臭い方法ですから、多分それなりに時間もかかったことと思いますが、結局、その呪いは成就してしまった。逆に言えば、そんな長期間に渡って念を維持するだけの強固な怨念があったということでしょう」 「一体誰が……?」  そんなに強く祖母の死を願っていた人がいたなんて。私には全然心当たりが無い。 「残念ながら、これ以上のことは私にもわかりません。不幸にしてお婆様は、呪いのせいで亡くなられました。そして、これは目的を達成した後の燃えかす、言わば空薬莢のようなものです。火薬の残滓のにおいぐらいは嗅ぎ取ることは出来ますが、一体、いつ、誰が、何故、これをお婆様に向けて撃ったのか……そこまでは、私の力では感じ取ることは出来ないのです。まだ未熟なもので、肝心な所でお役に立てず、申し訳ありません」  誠実に頭を下げる神主さんの姿にこちらの方が恐縮してしまう。 「いえ、とんでもないです。祖母が呪い殺された、というだけでも重要な情報ですから。現実問題、呪いをかけた人物がわかったところで、その人を警察に突き出すわけにもいきませんしね。そもそも、私自身がまだ呪いというものに半信半疑なくらいなんです。でも……」  私としては、ただ、真実が知りたいのだ。一体“誰が、何故"祖母に呪いをかけたのだろうか。 「仰りたいことは、よくわかります。申し訳ありませんが、私には今申し上げた以上のことは、本当にわからないのです。ただ、あらためてこれを眺めてみて、少し不思議に思ったことが一つ有ります」  神主さんが気になることを言った。一体、これ以上どんな”不思議なこと”があると言うのだろう。 「不思議なこと?」 「此処に書かれた文字は、書道の心得の有りそうな格調高い達筆です。自体も筆もしくは筆ペンを使用して書かれたもののようで、いかにも和文が似合う文字ですよね。実際、数字も漢数字ですし、もともときちんとした和文に拘りを持った人が書いたようにも見えます。ですが、それなら、何故和暦を使わなかったのでしょう?何故西暦表示にしたのでしょうか?」  神主さんの指が“二千二十年三月二十九日死去”という文字をゆっくりとなぞる。 「さあ……」  そう言われても、私には全く見当もつかない。 「これは、あくまでも推測に過ぎないのですが……ひょっとしたら、この文字が書かれた時期、即ちこの呪いが掛けられた時期に関係が有るのかもしれません」 「時期?」 「そう、時期です。本来和暦を使いたかったが、西暦にせざるを得ない状況だったのかもしれない。この文字が書かれた時、つまり、お婆様に呪いをかけようと決断した時、その人物は令和という元号は知らなかった。一方で、平成三十二年という書き方もしなかった。元号が変わることは知っていたわけです」 「なるほど……」 「先帝陛下が”お気持ち“を表明されたのが、平成二十八年の八月八日です。多分それよりは後で、かつ新元号が発表された平成三十一年四月一日よりは前……その人は、その期間のどこかで、お婆様を呪い殺すことを決意した。そしてその人にとって、お婆様が亡くなるのは、今年すなわち二千二十年の三月二十九日頃が望ましかった。そういうことではないでしょうか……」  神社を出た私は、半ば呆然としながら、駅への道をふらふらと歩いていた。  平成二十八年八月から平成三十一年三月末までの足掛け三年間、祖母の周囲でどんなことがあったっけ……  平成二十九年の春、私は大学に受かって家を出た。そしてその年の夏、父が事故で亡くなった。それからは、実家では、祖母、母、達也の三人が暮らし始めた。特に大きな変化は無く……父の死は衝撃だったけど、その後間もなく達也が長男の自覚に目覚めたのか、猛勉強を始めて……翌年の平成三十年には、殆どの有名大学が合格可能圏になって……それでも国立狙うと言って勉強を続けて……そして今年見事に合格した。その間私の方は、関西でごく普通の学生生活を送っていた。特に家族を巡るトラブルも聞いたことは無い。  トラブルは無い……  本当に”トラブルは無い”……?  考えながら歩いていると、ふと別れ際の達也の言葉が蘇ってきた。 ”姉ちゃんはいいよな。俺より三年も早く、家出たんだから”  何故か達也の声が反芻される。”俺より三年も早く、家出たんだから”……それにつれて、私の中に、一つの考えがまとまり始める。  父の死後、達也が猛勉強を始めたのは、自分がしっかりしなきゃという自覚に目覚めたからではなかったのかもしれない。勿論それもあったかもしれないけど、本当の動機は、多分、別にあったのだ。  そう、達也は単にこの家を出たかったのだ。  高校を卒業したら、すぐにでもこの家を出て都会に行きたかった。父亡きあと、経済状況も決して楽ではない中、周りに進学を納得させるには、それなりの有名大学に合格しなければならない。更には学費の安い国立大学なら、誰も文句も言えないだろう。多分、達也としてはそんな風に考えたのだ。その為に猛勉強を始め、現実に成果を出した。  何故、そこまでして家を出たかったのか。  父が亡くなり、姉の私も家を出ている。自分を除けば、この家には母と祖母、つまり嫁と姑しかいない。一つ屋根の下に暮らす嫁と姑……緩衝地帯だった父が突然いなくなったあと、どういう毎日が続いていたのか。家を出ていた私には、はっきりしたことはわからない。誰も何も言わないし、達也に聞いても言わないだろう。でも、今にして思えば、偶に帰省した時の妙な空気感が、今更のように思い起こされる。  そう、母と祖母は上手く行っていなかった……表立った喧嘩はしないが、時々遠回しな嫌味を言いあい、冷戦状態のように重苦しい空気が淀む家……達也はそんなところから一刻も早く抜け出したかったのだ。  だんだんと私の心も重く淀んでくる。そんな中、平成三十年頃には、達也は殆どの名の通った大学は合格確実というレベルに達していた。それはつまり二年後の春には、あの子がこの家を出ることがほぼ確実になったことを意味する……そうなったら、母と祖母は二人きりで、毎日顔を突き合わせながら、この家で暮らして行くことになる……それは、母にとって耐えられないことだったのだろう。  同時に、達也がこの家にいる間は、パートに出ている自分に代わって面倒を見てくれる人がいれば大いに助かったのも事実だろう。それも達也が家を出ると同時に、つまり今年の三月末頃には、その人は”不要”になる…… 「お母さん……まさか……」  駅前広場の辺りまで歩いてきていた私は、急な眩暈に襲われて思わずベンチに座り込んでしまった。もう、今までのように母と話すことは二度と出来なくなったような気がしてきた。 (ふふふ、面白くなってきたわ。このまま疑心暗鬼でみんなバラバラになったら、それはそれで楽しいわね。  まったく、達也がこの家を出てしまったら、あの馬鹿嫁と二人きりで、毎日顔付き合わせて暮らしていかなきゃならなかったものね。そんなの絶対に耐えられなかった。冗談じゃないわ。  まあ、息子の浩一の面影のある達也は可愛いからね。だから、あの子が無事に大学に受かって、この家を出るぎりぎりまで世話はしてやりたかったし、入学祝いもしてあげたかった。それさえ終われば、もうこの世には何にも思い残すことなんて無かったのよ。主人もとっくに亡くなってるし、浩一も事故で死んでしまった。私の兄妹も殆ど逝ってしまったしね。  それにしても、我ながらユニークな方法だったと思うわ。自分で自分に呪いをかけるなんてねえ。ふふふ) [了]
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